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アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】東芝キヤリア・ノースアメリカ 社長 本郷 一郎

アメリカ市場向け商品の企画、開発を行うとともに、VRFを中心とした製品の営業技術やスペックイン活動を支援するエンジニアリング企業、東芝キヤリア・ノースアメリカ。 日本の東芝とアメリカのキヤリア社のDNAを受け継ぎ、空調機器をメインに研究、開発、販売サポートを行う。2016年に設立されたジョージア州アトランタにある東芝キヤリア・ノースアメリカの本社を訪ねた。 ジョイント・ベンチャーである我々は、多様な企業、人、製品と関わっています。 まずは東芝キヤリア・ノースアメリカの沿革について教えてください。 成り立ちが少し複雑なのですが、東芝キヤリア・ノースアメリカは、ジョイント・ベンチャー(合弁企業)です。 まず、日本を代表する電機メーカーの東芝と、アメリカのUnited Technologies Corporation(UTC)のグループ会社であるキヤリア社のジョイント・ベンチャーとして、1999年に設立されたのが東芝キヤリアです。キヤリア社はアメリカに本社を置く世界シェア上位の空調設備メーカーで、エアコンなど空調システム全般の製造や販売を行っている会社です。北米ではNo.1のシェアを誇ります。日本で開発した東芝ブランドの製品を、キヤリア社が持つ販売網を利用して世界中に広める、というのが東芝キヤリア設立の目的です。 そしてこの東芝キヤリアとキヤリア社のジョイント・ベンチャーとして、2016年に誕生したのが、東芝キヤリア・ノースアメリカとなります。 事業内容について教えてください。 東芝キヤリア・ノースアメリカは、エンジニアリング企業です。北米向け製品のマーケティングから研究、開発、そして販売までの一連の業務を統合し、常に最大限の成果を実現するように尽力しています。 我々が扱っている製品はおもに、ビル全体の空調設備と、ビルの管理システムなどのコントロールシステムのふたつです。メインで取り扱っているのは業務用の空調機。研究所や工場は日本にあるため、製品の研究開発と製造は基本的に日本で行っています。この製品を、キヤリア社の販売網を介して、北米全体へ営業、販売していく。これが東芝キヤリアのビジネススキームです。 クライアントはさまざまで、建設会社のなかでもゼネコンとサブコン、空調機だけ交換するという場合はそのオーナーさん、設計事務所など、多岐に渡ります。キヤリア社販売チームの技術サポートも大切な業務です。 アメリカで会社を設立するに至った理由は何でしょうか。 東芝ブランドのグローバル展開を加速させるというのが設立の目的です。北米のマーケット調査を行い、どんな製品が人気が出るか、気候や環境に合っているかなどを調べ、そしてそれに合わせた商品企画や設計、開発を行い、また製品販売の支援も行っています。 弊社は北米のキヤリア社内に拠点を置いており、ジョイント・ベンチャーである我々は、多様な企業、人、製品と関わっています。日本とアメリカを繋ぎチームワークを最大限に発揮することが必要とされているのです。 日本とアメリカでは同じ製品を扱っているのですか。 アメリカでは、日本やヨーロッパで普及している空調とは全く異なるダクト式という仕組みの、水を冷やして冷房に、水を温めて暖房にする空調が主流です。水を循環させるための配管やポンプ、風を流すためのダクトなどが必要となります。 一方、日本やヨーロッパで普及しているエアコンは、フロンガスを使用して冷房と暖房機能を実現しており、ダクトが必要ないダクトフリーの製品です。アメリカでは比較的新しいジャンルの製品 となるので、この東芝ブランド製品の普及が我々の使命ですね。世界各地でずっと空調機を扱ってきた我々からすると、完全なる新大陸です。 また、ビル用マルチエアコンという商品セグメントも人気の製品です。北米ではVRF(Variable Refrigerant Flow) と呼ばれ、ビルや商業複合施設、大規模集合住宅などでおもに採用される、可変冷媒流量制御技術を採用したマルチ空調システムです。高い省エネ効果が得られます。 追い風を十分に掴み切れているか?自らに問いかけ続けることが大切だと思っています。 東芝ブランド空調機のアメリカでの反応はいかがでしょうか。 アメリカは本当に国土が広く、寒い地域もあれば暑い地域もあります。建物も高層ビルもあれば平屋造りもあります。そのため要望の種類も幅広く、すべてに応えるのが難しいという課題があります。 お客様の要望に合わせて、データをもらって検討し色々なものを組み合わせて提案するなど工夫をして、できる限りのサポートをしています。お客様の要望にも応えながら、販売店の売上も上げていきたいという思いがあります。 この業界における日系企業ならではの強みは何だと思いますか。 世界でトップクラスの省エネを達成してきた、省エネ先進国である日本ならではの技術は、世界No.1だと思います。また、高品質であるということも強みですね。 実は、空調システムの開発に必要なのは最先端の技術ではなく、機械、電気、流体、制御の組み合わせによるすり合わせ技術です。日本の得意としているさまざまなノウハウの積み重ねによる、製造メーカーの文化が、実はアメリカにはぴったり合うのだと思います。 技術者としては、過去から身に付けてきたノウハウでかなり活躍できる。これまでの積み重ねのすべてが、今の自分を大きく支えてくれていると感じます。 アメリカでの空調機のマーケットはいかがですか。 東芝キヤリアは来年で設立20周年を迎えますが、空調機のマーケットは順調で、海外を中心に成長しています。日本流の空調機のシェアが伸びてきているのも大きな要因ですね。我々もアグレッシブな事業計画を立てています。マーケットの可能性は大きく、グローバルでますます伸びて行くだろう領域です。 この日々変容を続ける市場で勝ち抜くためには、既存の考えやシステムにとらわれず、イノベーションを起こしていかなければなりません。 東芝キヤリアのアメリカでの今後の目標について教えてください。 2013年の売上に対して、2020年の売上を2倍にする、というのが弊社の目標です。そのために打てる手はすべて打っていきたいと思います。 技術面では、製品開発を強化して、業務用空調のビル用マルチエアコンのシェアを上げていきたいです。 いずれはアメリカでも自社工場を建てて、製造まで行えたらというのが理想ですね。 業務用空調のマーケットは、毎年10%から15%ほど売上が伸びています。何もしなくても売上が上がる、恵まれた環境にいると自覚しています。その追い風を十分に掴み切れているか?自らに問いかけ続けることが大切だと思っています。 最後に本郷社長ご自身について教えてください。また、アトランタでの暮らしはいかがですか。 私は技術畑出身です。もともとは東芝の家電機器技術研究所からはじめ、エアコン工場の量産部隊にいたり、本当に色々なことを経験してきました。 海外赴任は今回が初めてですが、海外出張は何度も経験しています。30年以上も前の話ですが、東芝の研修制度を利用し、1年半ほど米国サンディア国立研究所にいたこともあります。海外に住むことも、英語で生活することも、私には合っていると思いました。 海外プロジェクトなどの新しいことでも物怖じせずに、ガンガン前進してみる。そんなことを続けてきたら、いつの間にかアトランタに辿り着いていました(笑)。 アトランタは住みやすく、現地に溶け込もうとすれば、広く受け入れてくれる場所だと思います。もちろん苦労も多いですが、日本企業としてこれからを期待されている新天地で、技術に関わる仕事に携わらせてもらうことは、やりがいがあります。 Toshiba Carrier North America, Inc.President 本郷 一郎 1958年生まれ、島根県出身。東京大学工学部、東京大学大学院工学系研究科を卒業。1982年に東芝へ入社、2002年に東芝キヤリアへ転籍。2016年より東芝キヤリア北米社社長としてジョージア州アトランタへ赴任。一般社団法人日本冷凍空調工業会の前会長(2014-2016年)。 ※2018年3月インタビュー時点 Photo :…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】YKKコーポレーション・オブ・アメリカ 社長 ジム・リード

日系企業であると同時に、1950年代から海外進出を果たしている国際企業でもあるYKK。 その名はファスナーの代名詞として世界中で知られているが、多岐に渡る分野でイノベーションを実現し、躍進を続けている。その根底には日本のものづくり精神と、創業者吉田忠雄氏による教えがあるという。 地域にしっかりと根ざすと同時に、自社で定めた全世界基準のコンプライアンスの遵守、また環境・安全への取り組みを行なっているというが、その背景をジョージア州マリエッタのオフィスでうかがった。 オープン、フレンドリー、誠実といった言葉で表現されるアメリカ南部の気質は、日本にルーツを持つYKKの経営理念との相性がとても良いのです。 ジョージア州進出の経緯を教えてください。 ファスニング製品、および建材メーカーであるYKKは、1934年に日本で創業し、またジョージア州で事業設立を遂げた最初の日系企業です。 1959年のニュージーランド進出を第一歩とし、海外展開を積極的に進めてきました。1960年のニューヨーク営業所開設を皮切りに全米進出に乗り出し、1970年に営業所を置いたのがアトランタです。70年代にはアトランタ南東部のメーコンに製造工場を設け、一貫生産体制の運用を開始しました。 立地決定の決め手は何でしょうか。 創業者の吉田忠雄は立地決定の際、当時のジョージア州知事、後の大統領となるジミー・カーターに出会い、信頼関係を深めるなかで、この地に根を張ることを確信したと聞いています。 当時、アメリカの南東部にはジーンズ生産をはじめとする多くのアパレル工場があり、アトランタ周辺に製造・販売拠点を置くのは理に適っていました。 現在YKKは世界各国・地域に多くの拠点を置いていますが、これは顧客と地理的に近くにいる必要があるからです。 アトランタ都市圏にある、このマリエッタ・オフィスの役割はおもにどういったものなのでしょうか。 YKKグループは、71ヵ国/地域で事業活動を行っており、世界の事業エリアを北中米、南米、EMEA(ヨーロッパ・中東・アフリカ)、中国、アジア、日本の6極に分けています。 このオフィスは北中米グループの統括会社として、カナダ、米国、メキシコ、中米、コロンビアにある事業会社12社を管轄しています。そして北中米の本社機能として、それぞれの会社への経営支援と専門サービスの提供を行う役割を担っています。 アトランタに拠点を持つ利点を挙げてください。 コカ・コーラ、ホーム・デポ、メルセデス・ベンツ、ポルシェといった企業が北米の本拠を置いていることからも分かるように、アトランタには国際企業が求める環境が揃っています。 ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港は多くの路線を持つハブ空港ですし、ジョージア工科大学やジョージア州立大学、また近年評価を上げているケネソー州立大学などから優れた人材を確保で きるのも、大きな魅力でしょう。 メーコンを工場地として選んだのはなぜですか。 メーコンは地域コミュニティーが当初よりとても協力的だったうえ、緑溢れる恵まれた環境です。 YKKには「森」になぞらえた経営理念がいくつかあり、例えば「森林集団」というものがあります。これは一本一本の木が自立しながら大きな森林を形成するように、YKKグループの一人ひとりが皆で手を携えて一緒に大きく育つことを目指しています。 このメーコンにある工場は緑の中にいくつもの工場設備が並び、言うなれば「森の中のキャンパス」のようで、まさにこの思想を表現した環境となっています。 ファスニング事業の現在について教えてください。 90年代以降、アメリカ国内のアパレル業が生産拠点を国外へ移すにしたがい、我々のファスニング事業も国外生産にシフトしていきました。一方、新たなアメリカ国内市場を開拓し、自動車マーケットに訴求することにも成功しました。 製品は多岐に渡りますが、代表的なものは車の座席に使用されています。車のシートには実は多くのファスナーが使われており、縫い目が外部から分からない工夫がされています。座席の後背部には従来プラスチックパネルが貼ってあるのが一般的ですが、その代わりとして装着面には我が社の「コンシールジッパー」が使用されており、車両の軽量化にも貢献しています。 「善の巡環 ー 他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という創業者である吉田忠雄の企業精神が、今なお息づいています。 YKKというとファスナーのイメージが強いですが、YKK APの建材事業についても教えてください。 建築部材を扱う事業を行うYKK APは80年代よりアメリカでも販売を行い、1991年にはYKK AP America Inc.を設立し、ジョージア州のダブリンに工場を開設しました。この事業はそれ以来拡大し続けています。 近年の取り組みとしては、2015年完成のジョージア州立大学法学部校舎(写真)が挙げられます。環境面に留意した厳しい建築法規に沿う必要性があったため、YKK APによる複層ガラスが採用されました。屋内外の熱が伝わらないため、暖房効率をアップし、大幅な節電が期待できます。 YKK グループがアメリカでも成功を収めている理由について、どうお考えになりますか。 メーコンの工場では一貫して強い生産基盤が保たれていることが第一にあります。 転職者の多いアメリカでは驚くべきことですが、ここでは多くの従業員が40年以上も勤続しており、これはYKKの経営理念への評価によるものだと考えています。 我が社には日本文化と創業者吉田忠雄の教えが今なお息づいています。「オープン、フレンドリー、誠実」といった言葉で表現されるアメリカ南部の気質と、経営理念との相性が良いからでしょう。 その経営理念について教えてください。 YKKグループでは彼の哲学でもあった「善の巡環 ー 他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という企業精神を掲げています。これは彼が若かりし頃、実業家アンドリュー・カーネギーの著作から着想を得たものなのです。 その思想は、企業も社会の一員であり、その企業が経営者に利益をいかにもたらしたかではなく、社会に利益をいかにもたらすかという部分にこそ価値がある、というものです。我々はコミュニティー、従業員、顧客、サプライヤーのすべてに利益を還元し、すべてのエコシステムが健全でなければいけないという使命を常に持っています。 我が社のジッパーは最高品質だと自負していますが、顧客のニーズに合わせ10万色のバラエティーを提供し、価格を抑える努力も怠っていません。 従業員数の目安、日本からのスタッフの数とその任務を教えてください。 このオフィスには34名、北中米グループとしては約2,700名、またYKKグループ全体では約4万5,000名のスタッフがおります。 管轄の北中米グループでは、およそ100名の駐在スタッフが日本などから来ています。その多くがエンジニアであり、日本のものづくり精神、研究開発のノウハウといった知的リソースを伝達する役目を果たし世界に誇る高品質を保つ努力を続けています。 メーコン市と姉妹都市である黒部市との関係とは。 YKKの本社は東京にありますが、主要製造拠点のある黒部市は我々にとってホームタウンのような場所です。1977年に我々はメーコン市と黒部市との姉妹都市提携を促進し、以来、高校生の交換留学や医師の交換研修プログラムを実施しています。また1998年にはYKK APの製造施設のある宮城県大崎市とジョージア州ダブリン市との姉妹都市関係が結ばれています。 私自身が大学時代に日本に留学をし、それが人生のなかで大きな経験となったこともあり、高校生が日本に行き価値観が大きく揺さぶられるような経験をすることは、大変素晴らしいと考えています。…

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【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】第一精工 Touchstone Precision, Inc. 副社長 伯川 勝徳

1963年に京都で創業し、金型の設計・製造販売から始まった第一精工は、現在では年間で約40億個の電子部品・精密機構部品、約2億個の自動車部品などを世界各地で製造し、その先端技術が評価され大きな飛躍をみせている。 2000年にはアメリカに工場進出を実現し、自動車関連事業の現地法人としてTouchstone Precision, Inc.を設立。自動車精密部品、センサー、コネクターをはじめ、見えない部分に使われる大切な機能を支えるのが、同社が誇る精密技術だ。 創業から一貫して「ものづくり」へのあくなき挑戦を続ける背景を伺いに、アラバマ州オーバーンを訪ねた。 自動運転による自動車の電子化が加速することで、センサーを得意とする我が社のビジネスチャンスがより増えることが考えられます。 Touchstone Precision, Inc. 設立の背景と業務内容を教えてください。 第一精工は超精密金型製造に始まり、その日本の技術と設備をもってアメリカ市場に挑戦しようと、Touchstone Precision, Inc.を設立しました。Touchstoneとは「試金石」という意味です。 法人設立は2000年ですが、工場を建てオペレーションがスタートしたのは2002年で、今年で16年目となります。 アラバマ州オーバーンにアメリカ国内唯一の生産拠点を置き、100%自動車関連事業として、射出成形、インサート形成、コネクターの組み立て、それらに必要な金属部品のスタンピングの3つをメインに製造しています。 オーバーンの地を選んだ理由は何でしょう。 自動車関連では、ビッグ3があるミシガン州のノバイに、2015年より自動車部品関連の営業を統括するデトロイトオフィスを置いています。 自動車メーカーも現調化が進められ、トヨタ、マツダ、ホンダ、メルセデス、ヒュンダイ、キアの工場がアメリカ南東部に集中し生産拠点の南下現象がみられ、アラバマ州も今後より活性化していくでしょう。 バーミングハムにはミシガン州立大学、オーバーンにはオーバーン大学もあるため優秀な人材も確保でき、温暖な気候で自然災害が少ないのも立地決定の理由に挙げられます。 また、テクノロジーパークとして州が企業誘致をしていたため、設備投資に対して優遇税制もありました。 御社の事業の内容とその比重、そして伸びている市場を教えてください。 第一精工の事業展開は、大きく3つのセグメントで構成されています。 2017年の統計では全体の57.3%を占めるのがコネクターおよびエレクトロニクス機構部品などの電気・電子部品事業、続く自動車部品事業は全体の37.2%を占め、残りの5.5%を占めるのが半導体封止金型・生産設備といった設備事業となっています。 すべての事業が伸長をみせておりますが、昨年度(2017年度)は半導体市場が活況であったため設備事業は前年度比で約1.77倍と大きく売上の割合を伸ばしています。また電気・ 電子部品、自動車部品も売上額を順調に伸ばしています。 海外展開の流れとオペレーションを教えてください。 第一精工の海外展開の第一歩はシンガポールでした。生産拠点はおもに東南アジア、東アジアが多く、マレーシア、中国と工場を開き、その後アメリカ進出に目を向けたというのが大まかな流れです。 当社グループのなかで伸びているものに、電気・電子部品のアイペックスというコネクター事業があります。ここでは高速伝送、電波障害を防止するEMIに対応し、狭ピッチで小型化された製品を作っています。最小のピッチは端子の極間が、0.25ミリとなります。 このアイペックス事業は、北米ではテキサス州オースティンとカリフォルニア州サンノゼに拠点があり、営業と技術サポートをしていますが、この電気・電子部品事業と自動車部品事業のUS両営業チームの融合を計り、北米事業を更に伸ばす取り組みを始めました。 このアイペックス製品が自動車の液晶パネルなどにも使われ、自動車業界へのビジネス拡大チャンスも増え、顧客のニーズが高まってきています。 米国法人に勤務するスタッフの数と、日本からの駐在スタッフの数は。 第一精工全体では、日本に2,000名、海外に4,000名、全体で6,000名規模となっています。米国法人では総勢136名が営業、生産業務に従事しています。日本からの駐在スタッフはTouchstone Precision, Inc.に11名、デトロイトオフィス、オースティンオフィス、サンノゼオフィスに各2名がおり、計17名です。事業拡大に比例して駐在スタッフが増えることはなく、その分現地での雇用数を増やす予定です。 近年、御社は工場の拡張を果たされましたが、その背景を教えてください。 北米マーケットは順調な売上の上昇をみせ、2015年には従来の工場スペースを2.5倍に拡張させましたが、2023年には不足することが予想され、事業拡張に向け、更なる拡大を検討中です。 自動車の自動運転に向け、電子化が加速しており、そこにはたくさんのセンサーが必要とされてきます。 当社は樹脂と金属の複合品、センサーを得意とするため、我々のビジネスチャンスがより拡大することが考えられます。 日米文化の違いを理解し尊重することが、アメリカでオペレーションする際の日系企業の課題だと思っています。 成功の背景に、ターニングポイントとなった開発製品はありますか。 1997∼8年頃、大手自動車部品メーカーから耳にした、ある問題点がありました。 車のエンジンの中ではカム軸が回転し、その角度によりエンジンの点火、排気を調整しています。そのタイミングを正確に捉えることで、燃費や排ガス量の抑制に効果的に働き、環境にも配慮した車づくりが可能となります。 その部品に使用される樹脂が高分子&エラストマー入りの樹脂であったため成形性が難しく、バリ(樹脂が金型から洩れ出る)発生に苦労されていました。 当社の技術は精密金型で1,000分の1ミリ以下の精度を誇るため、試行錯誤の末、量産化に成功致しました。この成功事例により、そのお客様のシリーズの8割方のお仕事を頂いたことは大きな転機となりました。 また近年では、LEDライト化が進むヘッドライトに使われる高熱対応のコネクタを開発し、優れた接続信頼性を提供し、多くのお客様に受け入れられています。 ヒット商品を生む秘訣をどのように考えますか。 お客様の必要とするものが何かを掴み、そのニーズにマッチした製品の開発をスピーディーに行うことです。 当社グループにおいて生産設備の設計・製作を行っており、部品の製造、部品間のマッチングまで自社内で完結可能であり、高品質な製品が納品できることが強みです。 また当グループは超精密部品メーカーとして設計から量産までの一貫生産体制を確立してきました。 顧客の現調化が加速している現状で、超精密金型を含めた生産設備を当グループ内で製作し、ワールドワイドで量産を行うことができるため、顧客ニーズにマッチした高い品質の製品を納入することができ、顧客に安心感と信頼感を提供しています。 日系企業の海外拠点では現地化が進められていると聞きますが、御社の人事はいかがでしょう。 お客様と接する窓口の責任者は既に現地化しております。 また、現在エンジニアリングチームは5名の日本人+ローカル社員1名で構成されていますが、ローカル社員は現地のテクニシャンを指導できるレベルまで技術習得が進んでいます。今後、更にローカルエンジニアリング社員を増員する予定です。マネジメントにおいても更なるローカライズを進めていく予定です。 なお、当社Touchstoneのローカル社員は女性が6割を占めており、スーパーバイザー以上の管理監督職でも女性が活躍しております。 実力を正当に評価することで、モチベーションを社員に持ってもらうのは大切なことですね。…

ビジネスEYE

【特別インタビュー】社会人のアメリカでのMBA取得体験

MBAとは何か? アメリカでは社会人がキャリアアップのために大学院に戻ることは普通のこと。その代表的なものがMBA(Masterof Business Administration)、日本語で「経営管理修士・経営学修士」というビジネスの学位だ。 発祥はアメリカ。1881年に「企業の経営を科学的に捉える」ためのコースとして、ペンシルベニア大学がウォートン校を開校し、1990年にはダートマス大学がビジネススクールを設立。1998年、ハーバード大学で初のMBAプログラムが生まれた。 MBAは3大国際認証機関であるAACSB、AMBA、EQUISのいずれか、もしくは複数から認証されたビジネススクールでの修了が主だ。 学生は、経済学、統計学、会計、金融、マーケティングなど経営に関わる一通りのクラスを履修する。研究者ではなく、ビジネスの実践者としてのリーダーを育てることが目的のため、ケーススタディーやグループワークなど実践重視の授業が主で、欧米の学校では通常修士論文は必要ない。 実社会での実務者の能力向上のための学問なので、他の大学院と違い、働きながら学べるパートタイムのコースが充実しているのが特徴だ。 ニューヨークでは、働きながらMBAの取得を目指す社会人は多い。日本の社会人がMBA取得のために留学する場合は、会社からの派遣でフルタイムで通学することが多いが、現地企業で働きながら、パートタイムのコースを会社の支援、もしくは自費で目指す社会人も少なくない。 「NY MBAの会」会員の竹内さとみさんも、社会人になってから自費留学でMBAを取得したひとりだ。 竹内さとみさん略歴神奈川県立外語短期大学付属高校、国際基督教大学卒。学生時代に日本舞踊サークルの公演で訪れたニューヨークへの留学に憧れて、2012年に29歳で渡米、2015年5月ニューヨーク市立大学バルーク校MBA修了。2017年よりロンドン在住、Rakuten Insight London Limitedにアカウントマネジャーとして勤務。 竹内さんのきっかけ 竹内さんがMBA取得を目指し始めたのは、2011年に起きた東日本大震災がきっかけだった。 海外マーケティングリサーチ専門会社のAIP(現:楽天インサイト・グローバル株式会社)に転職して3年目、次のステップを模索しているときだった。 震災後、東京も交通が混乱したため自宅勤務になる。日本中が不安に包まれていたとき、部屋にこもって通常通りに仕事をしている自分に、「このままでいいのだろうか。もっと広く世の中に貢献したい」という思いがこみ上げてきたという。 当時日本では、ブラック企業や、職場環境や働き方に起因するうつ病や自殺などが大きく取り沙汰され始めていた。「人が働きながら幸せになれる方法」を模索するためにも、経営の根本を学ぶ必要があると思いMBA取得を決めた。 MBAの取得 竹内さんがMBA取得の場にニューヨークを選んだ理由は、海外に出て広い視野で物事をとらえたかったこと、そして社会人が働きながらMBAを取得する環境が整っていたからだ。 過去に訪れたニューヨークで生活することへの憧れもあった。 アメリカの職場では、基本的に定時に仕事を終えることに罪悪感を感じる風習はない。社会人が勉学を続けることができる大きな理由のひとつだろう。 とはいえ竹内さんの場合、会社からの派遣制度も、仕事を辞めて留学する余裕もなかった。 幸いにも上司の理解を得られ、同社のニューヨーク現地法人での「現地採用」という形で仕事を続けることが可能になった。 しかし会社がサポートできるのはここまで。学校を探し、入学申請をし、学費を支払うのはすべて自分だ。 キャリアを積みながらの結婚や出産・育児も視野に入れれば、独身の今しかないという思いもあった。 社会人用にパートタイムのコースを開設している大学をリサーチし、ニューヨーク市立大学バルーク校を見つけたとき、「ここしかない」と思った。 ニューヨーク市に居住し就労、納税をしていれば、市民向けの授業料割り引きが適用されるのも魅力のひとつだった。 滑り止めとして私立のグローバルな大学も受験したが、本命はバルーク一校に絞った。 申請・入学準備 以下は通常入学申請に必要なもの。学校やコースにより異なる場合もあるので確認が必要。 TOEFLスコア(学校により足切り点の設定もある) GMAT(Graduate Management Admission Test)スコア ※学校によりGRE(Graduate Record Exam)あるいはテストスコアを必要としない場合もある 4年生大学の成績表 推薦状(職場の上司、顧客や学部時代の教授など、各学校の要項による) 志望動機のエッセイ 竹内さんは、翌年4月の出願締め切りを目指し、震災後の5月からエッセイや読解、ヒアリングなど、留学塾や通勤時間を利用しての猛勉強を始める。 自費留学なので会社に迷惑はかけられない。 残業後に24時間営業のファストフード店で追い込みをかけ、つらすぎて全部放り出したくなったときもあったが、1年後に無事合格通知を受け取った。 卒業までにかかる時間と費用 パートタイムコースは通常、平日の夜と土曜を合わせて週2~3日授業を取り、夏期インターンシップの代わりに授業を取ることで、2~5年で過程を修了する。 仕事や家庭の都合に合わせフレキシブルに受講クラスの予定を変更することも可能だ。 取得に時間をかけたくない場合、Accelerated Programのある学校では1学期に取るクラス数を増やすことで、1年半での修了も可能となる。 一方で5年かけてこつこつ頑張る社会人も多い。 竹内さんも当初はAccelerated Programだったが、途中で通常のパートタイムコースに切り替えた。…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】ジェイテクト・ノースアメリカ 社長&CEO 山中 浩一

光洋精工と豊田工機が合併し誕生したJTEKT。 まだ11年目の若い会社ながら、両社の強みを生かし28ヵ国130以上にネットワークを広げグローバルに活躍する。今や、同社のステアリングや軸受は世界中の車に使われ、“IoE = Internet of Everything”のコンセプトの下、工程のスマート化も推進する。 同社にお話を伺うべく、サウスカロライナの北米本社を訪ねた。 日本とアメリカは、自動化推進の最重要拠点であると言えます。 JTEKTの事業内容と、アメリカ進出の経緯をお聞かせください。 弊社はアメリカで、軸受、ステアリングとドライブライン、工作機械の販売という3つの事業を行っています。 軸受は、日米貿易摩擦により現地での生産を余儀なくされた1973年、北米に会社を設立し1975年からサウスカロライナのオレンジバーグで生産を開始しました。 1995年6月には、同州リッチランドにタイヤのホイールに付くハブユニットというベアリング製品の専用工場を建てました。これはJTEKTのハブユニットとしては最も大きな工場となっています。さらに2001年にケンタッキーに、2008年にはテネシーのテルフォードに工場を設立しました。次に大きいのはステアリング部門です。ステアリングについては1988年、テネシーのボノアというところでTRWとの合弁会社を設立。2004年にはメキシコの日系自動車メーカー対応として、テキサスに工場を建設しました。 そして2006年、光洋精工と豊田工機が合併しました。ベアリングの光洋精工、工作機械の豊田工機、ステアリングのJTEKTと3つのブランドを有しています。 現在、買収・合併した会社が元々所有していた工場も含め、北米に15工場、26拠点を、グローバルでは65工場を置き、自動車部品業界のなかではトップ20に入っています。 光洋精工と豊田工機が合併した経緯と、シェアの変化を教えてください。 両社ともトヨタの仕事をメインとしていましたが、同じグループ会社2社でひとつの仕事を得るため競争していたら、リソースがいくらあっても足りません。そこで競争力を高めるべく合併を決めました。元々はステアリング事業での親和性があったのですが、それに限らず色々なものを作り、シナジーを生みたいという狙いもありました。 マーケットシェアは、現在ステアリングがグローバルで25%と、4台に1台は弊社の製品を搭載していることになります。軸受はアメリカでは4番目くらいでしょうか。工作機械はトヨタの北米工場がメインなのでシェアはあまり大きくありません。こちらではサービスと販売を行い、設備は日本から作って持ってきています。 アメリカと日本との事業の違いは。 事業自体は同じですが、ステアリングとひと口にいってもタイプがさまざまです。 日本は中・小型車が多くコラムタイプのEPSが主流、アメリカはSUVや小型トラックが多いのでラックパラレルタイプが主流です。販売時の商品名は同じですが、商品そのものが違うのです。ラックパラレルは日本ではなじみがなく少し苦戦しています。 ベアリングは、競合他社の競争力が非常に強く価格面では苦労していますが、販売品目はまったく同じです。 自動運転化によるマーケットへの影響は。また、日本のものづくりの未来をどう予測されますか。 現在産業機械部分のベアリングはとても好調なのですが、自動運転の車ではベアリングの数が減り、その分電気メーカーの仕事が増えていきますので、我々は臨機応変に対策を講じる必要があります。 自動運転になってもステアリングは残るので、競争力をつけ拡販していきたいと考えています。 しかし、この業界における日本の優位性は低くなってきており、日系メーカーは遅れをとっているのが現状です。自動化のためのロボットも欧州が圧倒的に優れており、最近は多くの会社が、いち早くIoEやIoTに取り組んだドイツの仕事を見習っています。 これまで日本の製造業は時間を際限なく費やし目標を達成してきましたが、政府も提唱する「働き方改革」という面では非常に遅れています。 さらには新興国メーカーの急成長により、競争はますます激化します。 日本は高齢化が深刻で、アメリカは製造業の離職率がとても高いことから、この両国は自動化推進の最重要拠点であると言えます。無人化ラインの取り込みを進め、そのための新製品の開発が急がれます。 サウスカロライナに本社を置くメリットとは。 デトロイトからここに本社を移したのは2016年です。営業と技術部門のトップがデトロイトを拠点としていましたが、各拠点への移動効率が非常に悪かったのです。サウスカロライナからは、15工場のうち11ヵ所に車で4時間以内で行けるため、営業を除く本社機能をここに集めました。 また、近くにクレムゾン大学があり、研究面で大学と連携しやすく、優秀な人材を採用できます。買収したトリントンの研究所を引き継ぐ形で産学共同の形をとっています。 離職率0.7%という弊社の社員の定着率は非常に高いと感じています。 ヒューマンリソースの施策や苦労は。 現在弊社には、アメリカ全体で7,000名、本社だけで200名強が在籍しています。7,000名中、日本人は100名と割合は昔に比べ減っています。 アメリカ全体の製造業の平均離職率は2∼3%です。デトロイトやケンタッキー、テキサスなどに比べても、離職率0.7%という弊社の社員の定着率は非常に高いと感じています。 ローカルスタッフの教育には、苦労は当然あります。工場長、 製造部長、品質課長は全員ローカル社員で、その周辺にあくまでコーポレートアドバイザーという形で日本人を配置しています。 弊社には「JTEKT WAY」という全世界のスタッフが共有する共通価値観があります。マネジャー、工場長、部長クラスは頻繁に交代するのですが、そうした変化点では自ずとJTEKT WAYの理解が必要となり、日本人がしっかり指導をする必要があります。 JTEKT WAYについて詳しく教えてください。 キーワードは「お客様視点」「当事者意識」「たゆまぬ改善」「和して厳しく」「技に夢を求めて」の5つです。 光洋精工85年、豊田工機65年の社史のなかで培ったものが集約されています。 多くの会社に見られる傾向として、トップと話す機会が多いマネジャー以上だけが会社方針を理解していることが多いのです。新入社員も含めすべてのクラスが同じ考え方を共有しようと、こ の共通価値観が提唱されました。 今はタウンミーティングで、会社の方針を上から下へとすべてのクラスへカスケードダウンし、人事中心に全従業員に研修も行います。 「お客様視点」というのは、工場などで前工程から後工程へと物が流れていくときに、前工程に携わる人は常に後工程のお客様のために何をすべきか意識するということです。お客様は、直接取引をしている相手のみならず、どこにでもいるのです。それは製品の質にも表れてく るでしょうし、サービスの向上にも繋がります。 アメリカのビジネスの難しさ、また日本との違いは。 離職率が高くノウハウの定着がしにくいことです。 とくに現場作業者は、離職率が高いと生産性が上がりません。生産性が上がらないから残業をする、残業があるから人が辞めていくという負のスパイラルに陥るときがあり、アメリカで事業をする難しさを痛感します。 また、中国やタイ、インドネシアなど競合の少ないところはまだ競争が激しくないのですが、欧米にはメガ・サプライヤーがいます。デトロイト3などの要求する価格は、日系メーカーに対し20∼30%厳しいのです。 これらの状況に打ち克つには、IoT、IoE、AIを駆使して自動化を進め、競争力をつけるしかないのではないかと思います。 今後の課題や目標を教えて下さい。…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】アビームコンサルティングアメリカ マネージング・ディレクター 渡辺 光

日本発、アジア発のグローバル・コンサルティングファームである、アビーム・コンサルティング。 企業のグローバル化や経営変革をサポートする「リアル・パートナー」として、数多くのクライアントを支援している。 アメリカに進出する日本企業と現地の架け橋として発展を続けるアビームのアメリカ本社、ダラスのオフィスを訪ねた。 コンサルティングファームが提供するサービスは、モノではなく「ヒト」。だからこそ、人材の育成には力を入れています。 まずはアメリカでの業務内容について教えてください。 アビームは、北米やメキシコ、ブラジルなどの中南米に進出する日本企業のクライアントを中心に、現地で抱えるさまざまな課題を、日本人と現地人のハイブリット体制で対応するコンサルティングファームです。 言語や文化、習慣や考え方の違う土地で、製造や販売を行うことは失敗もリスクも大きい。また、海外で優れた人材を育てるには時間も費用も必要なだけに、幅広い専門性とさまざまなノウハウを併せ持つコンサルティングファームの需要は大きいです。 クライアントの課題やゴールを深く理解し、フレキシブルなオーダーメイドの提案を行なっています。 アメリカでの沿革について教えてください。 2003年にアメリカに進出、2006年にアメリカのコンサルティングファームQIS社を買収したのが現在の地盤になっています。 2015年にはアルゼンチンに本社を構えるGrupo ASSA社という中南米のコンサルティングファームと業務提携をしたことで、ブラジル、メキシコなど中南米へのサポートも強力になりました。 言語が異なる場所では、やはり現地コンサルティングファームのサポートの必要性は大きいですね。 現在アビームでは世界10の国と地域に19の拠点を構えており、アビーム・アメリカではアメリカ本社のダラスを中心に、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、ブラジルにオフィスがあり、今後はメキシコにも進出予定です。 拠点をダラスにした理由は何ですか。 実は、買収したQIS社のオフィスがたまたまダラスだった、というのが理由です。先見の明があったわけではありません(笑)。 ダラスを中心に北米や中南米を飛び回っているので、今となっては利便性の良さがありがたいですね。 駐在員は基本的にダラス本社に集結させ、戦力をあまり分散させないようにしています。その方が、プロジェクトごとに最適な人材を配置できるという強みがあります。 アメリカでの社員規模と日本人社員数について教えてください。 サブコントラクターを含めた社員数は現在約100名、日本からの駐在員が16名です。 現在、アビーム全海外拠点のリーダーは、すべて日本人で統一しています。以前は現地社員のリーダーが中心でしたが、各拠点ごとの独立した経営体制をとっていると、全体としての意思決定がスムーズにいかないこともありました。「グローバル一体運営」として、日本本社とグローバル各拠点が一体となって運営することで、機能的かつ効率的に動ける。アビームの売りである、日本と同等のサービスを提供することができるというのが理由です。 また、若手社員も積極的に採用して、新しい意見をどんどん取り入れられるような環境にしていきたいと思っています。 若手社員を積極的に採用とのことですが、具体的にどのような取り組みをされていますか。 アビームでは、2016年からGTA(グローバル・トレー ニング・アサインメント)という1年間のプログラムを実施しています。これは社内公募制のグローバル研修制度で、海外のオフィスで1年間の経験が積めるというもの。30歳未満の若手の人材を対象に、海外でチャレンジしたいという希望者を募り、書類審査と面接による選考を行います。 2016年は3名、2017年は5名が選ばれ、ダラスに研修に来ました。 その土地でのビジネス感覚を掴むのはもちろん、語学研修も行なっており、語学力を養うこともできます。また研修終了後は、駐在員として海外へ赴任し、即戦力として活躍することも期待されています。若手社員のモチベーション向上にも繋がっているようですね。 コンサルティングファームが提供するサービスは、モノではなく「ヒト」。人がもつ知識や経験を売っているからこそ、人材の育成には力を入れています。 今アビームで人気のある旬なサービスについて教えてください。 ここ数年、IT業界で旬なものに、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)があります。これは、データ集計・抽出・入力など、人が行っているパソコンの定型処理をロボットが代行し、効率化していくというものです。アウトソーシングに頼るのではなく、ロボットに代替することで人件費を節約し、業務改善につながります。 アビームが提供するRPAを活用した業務改革サービスが「2017年日経優秀製品サービス賞最優秀賞日経産業新聞賞」を受賞し、多くの引き合いをいたただいています。 企業のどの業務にRPAを活用するのかといった診断やツール選定、開発から導入後の運用支援、さらには技術者の育成まで一環して行っています。 アメリカに拠点を置く日系企業でも興味がある会社が多いので、今が売り時だと準備を進めているところです。 アメリカの経済は、今とても元気。世界中が改めて注目していると感じます。 苦労されたこと、難しさを感じたエピソードなどはありますか。 日本のアビームでは、お客様が絶えることはあまりありません。年間で700から800ほどのプロジェクトが存在し、クライアントを探すのに苦労をしたことがありません。 しかし、アメリカでのアビームの認知度はまだ発展途上。クライアントと契約を結ぶことが大変です。何度もクライアントのもとへ足を運び、まずはアビームについて知ってもらう。良い関係性を構築し、提案する機会を得るところからのスタートです。 そもそもアメリカ発祥のコンサルティングサービスを、日本流にアレンジして、本場アメリカで提供するというのは、ある意味大きなチャレンジです。 アメリカには大きなマーケットがありますが、その分大きなコンサルティングファームもたくさんある。生半可な覚悟で勝ち抜くことはできません。 日本にあるコンサルティングファームの多くは、欧米のビジネスモデルを踏襲する組織が多いですが、アビームでは新しいスタイルの確立を目指しています。 日本の企業が海外で事業を展開するとき、日本本社の意志を尊重しつつ、それぞれの国や地域の事情を踏まえたうえで、グローバル化を推進することを大切に考えてきたからこそ、今のアビームがあると思っています。 日系企業がアメリカで事業を行う難しさは何だと思いますか。 単純な言語の違いよりも、仕事に対する考え方、進め方が違うところから、ミスコミュニケーションが発生することです。アメリカでは助けてほしいときは助けてと言わなければならない。受け身の姿勢では誰も助けてくれません。 しかし現在、アビームの現地社員たちは、細部にまでこだわる日本企業独自のカルチャーや日本流のコミュニケーションを理解してくれています。決定までのプロセスや時間がかかることにも慣れていますし、ジョブディスクリプション以外のことはしません、という姿勢もない。 これは積極的に意思表示を繰り返し、信頼関係を構築してきたからこその成果です。 同様に、日本からの駐在社員も、その地域の作法をしっかりと理解して取り組む必要もあると感じています。日本とアメリカ両方の文化をよく理解したうえで、お互いの良いところを出し合っていけたらと考えています。 これからの展望、アメリカでの事業展開についてお聞かせください。 アメリカの経済は、今とても元気です。世界中が改めて注目していると感じます。 そして世界最大のコンサルティングマーケットのアメリカにおいて、アビームの認知度にはまだまだ成長の余地があります。アビームの今後のグローバル成長を考えると、アメリカでの規模拡大は必須なので、将来性を感じられる事業です。 日本と違い、ビジネス環境が整っていないと感じることも多いですが、その分自分たちで道を切り開くおもしろさもあります。これから大きく伸びる可能性を秘めています。 アビームの全社員数は2018年1月現在、4,600名。世界最大のマーケットであるアメリカで100人そこそこの社員規模というのには、全く満足していません。 いずれは大手コンサルティングファームを脅かす存在の規模になり、他社にはアビームがいるときは気をつけろ、というポジションでありたい。NO.1グローバルチャレンジャーになりたいと考えています。 どんな困難な状況に直面しても、最後まで責任を持って成し遂げ、成果をもたらす「リアルパートナー」として、そして日本発、アジア発のコンサルティングファームとして、グローバルのリーダーになることがアビームの使命であると考えています。 ABeam Consulting…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】米国三菱電機(空調冷熱事業本部)副社長 薮 重洋

大正10年、三菱造船を母体に設立された三菱電機。 歴史のなかで培った最先端の技術を駆使し、一般家庭用の製品から宇宙システムまで、電気で作動するものはほぼすべてを手がけてきた。 2020年、東京オリンピックの年に100周年を迎える同社は今、「グローバル環境先進企業」を目指し、世界中の人びとがさらに快適に暮らせる豊かな社会の実現へと邁進する。環境負荷を低減し、細やかなニーズに応える空調システムを世に送り出す、アトランタの拠点を訪ねた。 お客様にとって本当に良いものは、上手に現地にフィットさせることで可能性が広がります。 三菱電機のアメリカ進出の歴史、現在のシェアは。 三菱電機は、大正10年に三菱造船電機製作所を母体として設立されました。私が担当する空調冷熱事業のアメリカにおける歴史は、1980年、空調機器の販売を開始したことから始まります。 そして三菱電機は2020年、オリンピックの年には100周年を迎えます。エレベーター、エスカレーターの分野でスポンサーになり、この年をひとつの区切りとし、それまでに会社全体として5兆円を目指しさまざまな分野を強化しています。 現時点では、全世界で約4兆4千億円を売り上げ、アメリカでの売り上げはそのうちの約10%となっています。当社にとってアメリカは日本以外の国では最大のマーケットです。 事業内容を教えてください。 三菱電機の事業は、重電システム、産業メカトロニクス、電子デバイス、情報通信システム、そして私が担当している空調冷熱システムが属する家庭電器の5つに分かれています。 世界における我々のビジネスのポートフォリオは、そのままアメリカにも凝縮され、世界で強い事業はアメリカでもそれなりの市場ポジションを確保しています。世界でトップクラスに入るような強い事業を残し集中強化するという経営方針があり、その例として、空調冷熱システム事業やエレベーター等を手がけるビルシステム事業があります。 藪副社長が担当されている、空調冷熱システムについて詳しく教えてください。 まず、アメリカで販売する一般家庭用と業務用のシェアは、およそ6対4です。 アメリカの一般的な空調設備は、ダクトで空気を送って各部屋を温めたり冷やしたりするものです。一方、日本で一般的なのは、壁等に取り付けるタイプのエアコンで、各所に冷媒を直接持っていき、送風口から冷風・温風が吹き出すものです。冷媒とは、空気を温めたり冷やしたりするために使う液体や気体に変化する媒体のことで、主にフロンガスが使われています。フロンを圧縮し、熱いガス状のものが凝縮して液体に戻るときには熱を発散する。この液体を蒸発させると、周囲から熱を奪い冷えた空気ができる。この原理を冷暖房に応用するバリアブル・リフリジラント・フローに代表される技術を我々は得意としています。 100年程前、キヤリア社の名の由来となった発明家、ウィリス・キャリアが発明した蒸気圧縮式、冷凍サイクルの技術を我々が学び、アジアやヨーロッパの環境に適合する形にしてきました。アメリカの家庭用の物と比較すると、小さくても十分な機能性を発揮する意味も込めて 「ミニスプリッツ」と言われます。 長年、我々を含め多くの日系メーカーがアメリカ市場にその技術を導入しようと努めてきましたが、顧客のニーズと常識、業界の慣行はなかなか変わらず、30年もの間受け入れられずにいました。 ところが最近、大きな流れができ、急激に売り上げを伸ばし始めたのです。 売り上げが伸び始めたのはなぜでしょうか。 アメリカの建物の多くは、一ヵ所に機器を一元化してダクトで空気を送り全館を常に快適な温度にしておくのが一般的で、我々の製品も当初はダクトの空気が届かない部分を補完するものからスタートしました。 しかし深刻化するエネルギー問題や、ガス代・電気代の高騰をきっかけに、ダクトで全館一気に空調する仕組みが徐々に見直されていきました。やがて、大規模なビル空間もエネルギー消費を抑えられるものへと変化していきました。 昨今は、コンピューターなどを置く部屋は一年中暑く冷房が要り、でも隣の部屋には暖房が要るという状況が普通にあります。そこで、熱を冷媒に乗せ各部屋へ移動させ分配する技術が活躍します。一般家庭も同様で、各部屋を別の温度に設定でき、人のいないときはOFFにもできる。これを「Zone Comfort Solution」と呼びプロモーションしています。 実は我々の製品が比較的沢山売れているのはニューヨーク等北東部です。スペースが狭小なニューヨークでは、リノベーションの際等にこのシステムが次第に採用されました。これまで文化や商習慣の違いが壁になっていましたが、やはり良いものは受け入れられていくのだと実感しています。 ただし、アメリカで導入する際には、ここの文化に合わせる必要がありました。我々はここに50名程のエンジニアを勤務させ、日本やヨーロッパ市場で流通しているものをアメリカのお客様に最適化するよう改善設計してきました。 アトランタは、ダイバーシティーにおいてとても先進的な地域です。 営業、販売はどのようにされているのですか。 この業界では代理店が販売を担うことが多いです。一般的にはトレイン、ヨーク、キヤリア等米国大手メーカー各社の系列の代理店が全米にあります。そしていわゆるコントラクターといわれる、空調設備業者が全米に何万人、何十万人います。町の職人達がお客様のところを訪ね、販売と設置をするというシステムです。アメリカ各社のダクトを使うエアコンを請け負う彼らに、我々も依頼をします。製品がニーズにマッチしているため、彼らは徐々に我々の製品を扱い始めてくれています。 工場出荷レベルで1兆7,000億円くらいの空調マーケットにおいて、かつてこの仕組みの製品のシェアは1∼2%程度でした。それが近年7∼8%と急激に伸びています。マーケットそのものが毎年2∼3%増で推移するなか、我々の作るタイプの製品が20%、好調なときには30%くらい伸びた年もあります。 アメリカの大きな会社が不得手とする領域でのニーズの拡大を受け、大手のヨークやキヤリアも、日系やアジア系メーカーとその消費地でアライアンスを組んでいます。 製造拠点について教えてください。 生産は、おもにメキシコ、日本、タイと、一部中国で行っています。かつてはアメリカにも製造拠点がありました。 製造戦略を立てるポイントは3つあります。第一に、ニーズを的確に拾える消費地の近くで開発・生産すること。次にデリバリーという観点からは、需要の変動に合わせどれだけフレキシブルな供給をできるかというのがポイントです。だからこそ市場の近くを意識し、メキシコでも製造・開発を行っています。最後は投資効率です。ひとつのシリーズの専用生産設備、例えば金型を作るだけでも、5∼10億円く らいの投資が必要です。これを償却し採算を合わせるためには、最低10∼20万台の生産が必要になります。沢山売れるものは近くで作り、そうでなければどこかに集中したほうが効率が良い。 これらの要素のバランスをとってどの工場に生産配置するかというのが戦略なのです。 ハワイのフォーシーズンズ・リゾート・フワラライで、ゴルフの三菱電機チャンピオンシップを開催されていますね。 お客様をお呼びするうえで、キーとなるコントラクターや代理店の方々はゴルフ好きな人が割と多いんです。 この近くのTPCシュガーローフというコースでも三菱エレクトリック・クラシックという大会を行います。どちらもPGAシニアの大会ですが、フレッド・カプルスやトム・ワトソン等彼らが子どもの頃から憧れていた選手が多く、喜ばれます。 こうした活動は、もともと三菱電機の空調にネームバリューがなかった時代に、まずはお客様にブランド名を知って頂きたいという思いから始まりました。 この先10年の目標を教えてください。 アメリカの市場では、我々のタイプの製品は恐らく世界一のスピードで成長すると予想されます。 目標はマーケットが伸びた分きちんとシェアをキープし、あるいは多少なりとも増やしていくことです。それができれば恐らく5年後には当社にとって世界最大の市場になるのではないかと思います。各社の市場への投資額も、数年で倍増するのではないでしょうか。 日本メーカーの作った洗浄便座や瞬間湯沸かし器等は、その利便性から20∼30年かけ浸透してきました。お客様にとって本当に良いものは、上手に現地にフィットさせることで可能性が広がります。 日本企業はアメリカにはない繊細な技術をまだ持っています。もちろん地道なPRやマーケティングが必要ですし、時間はかかりますが、いざ認められたらアメリカはフェアで合理的な国なのでどんどん受け入れられていくでしょう。 今後アトランタに進出する企業に何かアドバイスを。 アトランタ周辺は、定点観測をするのには最適です。建設関係も商業施設も勢いに満ちています。また、ダイバーシティーにおいてとても先進的な地域で、政府も文化の融合を生かし前向きな政策を沢山打ち出す等、文化の並存に長けています。 そして最近驚かされたのは、ついに日本語と英語で授業を行う公立のチャータースクールが開校するのだそうです。各国の文化を認める寛容な地域なんですね。ニューヨークほど物価も高くないですし、全米の都市と中南米のほとんどの国へ直行便も出ています。拠点を置くにも住むにも良い場所ではないでしょうか。 Mitsubishi Electric US, Inc. Cooling & Heating…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】CBCアメリカ President & CEO 木田 勝紀

中外貿易株式会社という名で1925年に創業したCBC株式会社。 化学品や染料などの輸入に始まり、90余年の社史のなかであらゆる分野の商品を手がけてきた。「創造商社」を称す同社は、世界30ヵ所以上に広げてきたネットワークを駆使し、一般的な商社の業態を超えて飛躍。次世代をも視野に入れた野心的なイノベーションは、止まるところを知らない。 CBCが北米本社を置くノースカロライナの社屋を訪ね、お話を伺った。 取り扱う製品に付加価値をつけて販売することで競合他社との差別化を図ってきました。 CBCのアメリカ進出の経緯について教えてください。 弊社は、中外貿易株式会社として1925年に創業しました。もともと化学品専門商社で、今でもそれがコアビジネスとなっています。 ニューヨークに進出した1970年を皮切りに、国外に駐在員事務所を拡大していきました。当時はマンハッタンに事務所を置き、欧米からの輸入をメインとする化学品の輸出入事業を行っていました。しかしマンハッタンに在庫を置いてのディストリビューションは課題が多かったため、ロングアイランドに自社ビルを建て、在庫を置き始めたのが、アメリカでの事業拡大の大きなきっかけです。 CBCの事業内容を教えてください。 部門ごとにご説明すると、母体になっている化学品専門商社のルーツを引き継いでいるのがElectronics Devices & Materialsの部門で、合成樹脂、化学品、添加剤などを扱い、最も売上があります。これにくわえ、アラバマに工場を置くIngsという部門では電磁波シールド加工やUV塗装などといった付加価値加工を行う工場を持っています。生活関連資材などを扱うLife Products部門では、食品や介護用品、食品パッケージなどを手がけています。Healthcare部門は医薬・農薬を扱い、今最も成長しています。タブレットの薬は1錠あたり0.1mgがAPI (Active Pharmaceutical Ingredient)と呼ばれる薬効成分なのですが、2006年にイタリアでAPIを製造しているプロコスという会社を買収し、世界各地に製品を提供しています。アメリカは世界一の医薬品のマーケットで、ジェネリックの使用率も格段に高く、まだ数年はかかると思いますが非常に期待しています。 そして我々の部門、Image & IT部門です。ノースカロライナのメベン市に倉庫を持ち、エンジニアなどが在籍するBroadsight Systems社が、防犯カメラの加工や、カメラ部品の製造を行っています。 商社事業のほかに、マニュファクチャリング部門も展開されていますが。 弊社では、取り扱う製品に付加価値をつけて販売することで競合他社との差別化を図ってきました。何かを買っても、右から左へ流すだけでなくそれを加工・改良するなどしてお客様により良い形で提供するのです。 弊社の主要事業のひとつであるセキュリティー光学情報機器の事業はアメリカが発祥です。初めは商社として製品を売買していただけだったのですが、マーケットの大きさを受け、社として初めてメーカー部門を設立しました。 セキュリティー事業はレンズから始まっており、その生産は日本が得意とするところでしたので、日本のレンズをアメリカで販売したのです。今では監視カメラなどを指す「CCTV」という言葉も一般的になってきましたが、当時は日本よりアメリカのマーケットが進んでいました。アメリカで拡大している市場は、他国でもいずれ伸びゆくという自然な流れがあり、ヨーロッパ、日本と受け入れられていきました。これが、一般的な商社の業態を超え、メーカー的側面を持って事業を進めていくきっかけとなったのです。 やがて化学品や医薬・農薬などさまざまな分野がそうした機能を持ち始めました。今では各部門にひとつは製造・加工機能を置いています。 数ある候補地からノースカロライナを移転先に決めたのは、この地の将来性を見込んだからです。 2015年に本社をニューヨークからノースカロライナに移転した背景は。 マンハッタン本社と、ロングアイランドの自社ビルの2ヵ所でビジネスを行っていたのですが、ふたつの理由から移転を決めました。 まず、ロングアイランドは家賃や生活費、税金も高く、ローカル採用の若い人材がなかなか定着しにくいという状況がありました。有能な社員がいても、プライベートの生活環境を考え他のエリアに引っ越してしまうケースが多かったのです。 もうひとつは物流のコストです。全米への物流を考えた場合、ロングアイランドはベストな立地ではありませんでした。 ノースカロライナを選んだのはなぜでしょう。 数ある候補地からここを移転先に決めたのは、この地の将来性を見込んだからです。 州主導の企業誘致も活発に行われており、一見田舎に見えるエリアですが、実際農地はあまりなく、暮らす人の多くが会社員なのです。ラーレー、キャリー、ダーラムに囲まれたリサーチ・トライアングルでは、とくに積極的に開発と誘致を行っているのが見て取れます。 州全体では、1日約80人のペースで人口が増えているという話もあり、実際肌でもその勢いを感じます。これはなかなか面白い場所だと考え、ここを選定しました。 ローカル人材のマネジメントについての取り組みを教えてください。 このオフィスの約80名のスタッフのうち、8名が日本人です。 ローカルスタッフのマネジメントは試行錯誤の繰り返しです。我々は商社ゆえビジネスの幅が広いので、採用の際、その人の持つキャリアと、担当してもらう業務を慎重に見極めます。 一方メーカー部門では、ある程度職務内容がはっきりしているので、それをいかに実行できるかが評価基準となり、ローカルスタッフの採用がしやすいです。既にいくつかの工場にはローカル採用のマネジメントを置いており、こうした現地化を進めていくのが社の基本的なポリシーです。 アメリカでのビジネスはいかがでしょうか。 優良な人材の確保も大きな課題ですが、世界でいちばん進んでいる国でビジネスをする難しさもあります。 全部門に言えることですが、アメリカは研究開発、テクノロジー、需要と、多くの点で世界一スピード感のある場所です。テクノロジーの進んでいるものを発掘し、それをビジネスに繋げていく、または投資をしていくのが我々の任務です。私が以前いたヨーロッパにも同様のことが言えましたが、スタートアップ企業などを見てもアメリカの方がさらにスピードがあります。とくにこのセキュリティー事業は、軍需から民需に下りてきていますので、圧倒的に進んでいると言えます。 今後のビジョンをお聞かせください。 やはりメーカー部門の成長は常に目指していきたいと思います。また、買収などを含めた投資をもう少し進めていく計画もあります。大前提として、本社の売り上げがあくまで一部となるよう海外で成長していきたいという目標がありますので、我々の使命はアメリカでこれまでにない新たなビジネスに参入していくことです。さらに勉強を重ね、コンサルタントにアドバイスを仰ぎながら、投資により業態を広げていくことを考えています。 また、セキュリティー事業はハードウェアからソフトウェアへと焦点を移行していく転換期にあります。3年ほど前に出資をしたソフトウェア会社が今年ようやく立ち上がりました。時間はかかりましたが、こうした部分が新しいビジネスになると考えているので、今年来年は大事な年になると考えています。 ノースカロライナに進出を検討している日系企業にアドバイスをお願いします。 ノースカロライナは州が誘致を進めており、積極的に事業をサポートしてくれるというメリットがあります。また、今後人口の増加が見込めるので、人材確保の面でも期待できます。 ただしひとつ、移動手段が要となる営業拠点を置くには、トランジットが多くなってしまうので、別の場所を検討した方が良いかもしれません。 ノースカロライナでの生活はいかがでしょうか。 木田CEO:とてもフレンドリーな土地柄です。先日、雪が積もって車がスタックしてしまったのですが、周りの車から皆出て来て長時間坂道を押してくれ、大変助かりました。自然が多いので、アウトドアも楽しんでみたいです。 藤田COO:他のエリアに比べ日本人の数が少ないので、おのずと地域との接触が多くなってきます。ニューヨークにも1時間で行けるアクセスの良さ、気候の穏やかさからも、住みやすい場所だと思います。 葛目CFO:人がとても優しく、近所の方にもとてもよくしてもらっています。イースターやハロウィン、ポットラックなどパーティーによく招待してくれます。また、夜が早くて健康的な生活ができます。 CBC Americas Corp. President…

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八重洲・イブニング・ラボ in NY ジョネトラダムスの米国経済大予想 2019

経済評論家であり、経営者もある上念 司氏。 その上念氏によるセミナー、「八重洲・イブニング・ラボ in NY ジョネトラダムスの米国経済大予想 2019」が、ニューヨークで行われます。 昨年開催し大好評だった企画の第二弾です! セミナー概要 アメリカが滅茶苦茶になるといわれていたトランプ政権。 ところが、ふたを開けてみれば経済は絶好調。 なぜ? そこにはCNNが絶対に伝えないアメリカ経済の真実があった!! なぜトランポノミクスが機能しているのか? そして死角はないのか? 米中貿易戦争の行方は? 経済学の知見を使えば、アメリカ経済の未来が見えます。 マクロ経済学のツールを使って、アメリカ経済を読み解きます。 *開催日:11月5日(月) *時間:18時半開場 19 時 ~ 20 時50分 *場所:マンハッタン某所( 詳細は応募フォーム完了画面に記載 )   *テーマ:「八重洲イブニングラボ in NY ジョネトラダムスの米国経済大予想 2019」 *講師:上念 司氏 *参加費:無料 *参加方法:以下応募フォームに必要事項をご入力の上、ご参加下さい。  応募フォーム  ※日本時間10月31日 08時00分( 10月30日19時EDT )から受付け開始 講師:上念 司(ジョウネン ツカサ) 1969年東京都生まれ。中央大学法学部法律学科卒業(在学中は創立1901年の弁論部・辞達学会に所属)。日本長期信用銀行、臨海セミナーを経て独立。2007年より、経済評論家・勝間和代と株式会社「監査と分析」を設立。取締役・共同事業パートナーに就任。(現在は代表取締役)2010年、米国イェール大学経済学部の浜田宏一教授に師事し、薫陶を受ける。現在、テレビ、ラジオなどに出演する傍ら、主に金融政策、財政政策、外交防衛政策等のリサーチを行なっている。 最新刊 『国土と安全は経済(カネ)で買える~膨張中国包囲論~』 扶桑社新書 既刊 『アベノミクスを阻む「7つの敵」 』  『悪中論』宝島社 『異次元緩和の先にあるとてつもない日本』 徳間書店 『「アベノミクス亡国論」のウソ』 イーストプレス…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】ジャノメ インダストリアルエクイプメントアメリカ株式会社 社長 舌間 聖一郎

家庭用ミシンのトップメーカーとしてなじみ深い、蛇の目ミシン工業株式会社。自社製品のミシンを作るための機械を独自に開発・製造したというルーツを持つ同社は、このシカゴでは産業機器部門として、工場で使われる産業用ロボットやサーボプレスの販売を手掛けている。 当地現地法人社長の舌間氏は「メカが主流の会社として、技術を日々伸ばしていきたい」と語りながらも、人との繋がりやチームワークの重要性を強調する。 我々のロボットは、ミシンで培ったノウハウが強みとなって、さまざまなシーンで支持されています。 まずは蛇の目ミシン工業の沿革をお聞かせください。 1921年、当社の前身、パイン裁縫機械製作所が東京で創業し、国産ミシンの製造が始まりました。ミシンの通称カマ部に収められたボビンがヘビの目に似た丸い形状だったことから、「蛇の目式ミシン」という呼び名が定着し、それに由来して社名を変更。 現在では産業機器部門と合わせて日本国内に93拠点、海外に20拠点を展開しています。市場のニーズにあわせ、近年ではブラジルに家庭用ミシンの販売拠点を開設しました。2021年には、創業100周年を迎えます。 ジャノメというとミシンの会社という印象が強いですが、シカゴではどのような事業を行っていますか。 蛇の目ミシン工業全体では売上の78%を家庭用ミシン事業が占め、15%が産業機器事業となっています。 シカゴオフィスは産業機器製品の販売に特化した子会社として設立されました。スマートフォン工場や自動車部品工場で使われる産業用ロボットやサーボプレスの販売を行っています。ロボットというと6軸多関節ロボットや介護ロボット、会話ができるロボットを想像されると思うのですが、それとは別の、生産現場で使われるロボットに分類されるものです。 産業機器部門開設の経緯を教えてください。 1984年、業界初の小型サーボプレス機「エレクトロプレス」の販売を開始したところからはじまります。もともとは、当社ミシンで使用されるステッピングモーターを製造する工程の中で軸を圧入する作業をさせるために自社設備として開発したことがきっかけでしたが、当時はそのような小型のサーボプレス機が世の中に存在しませんでした。そこでこの技術を製品化したところ、当社エレクトロプレスの持つ高い位置決め精度、精密な圧力コントロールが多くの製造業の方々から高い評価を受け、販売が伸びていきました。 1993年には卓上ロボットの販売を開始し、その後、スカラロボット、直交ロボットと製品ラインナップも増やし、各製品にお客様の要望を取り入れバージョンアップを行っています。 海外事業展開の流れを教えてください。 ミシン部門のアメリカ進出の第一歩は、1960年に当時アメリカの4大ミシンメーカーのひとつであったニューホームミシンを買収したことです。 日本国外でのミシン事業においては、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ヨーロッパを中心に広く展開しており、アメリカでは、Janome Americaとしてニュージャージーを拠点に活動しています。産業機器製品のアメリカでの販売は1996年から手掛け、2007年にシカゴに現地法人を設立しました。その他の仕向地としては、中国、韓国、東南アジアなどが好調です。 蛇の目ミシン工業の得意とする産業用ロボットはどういうシーンで使われるのでしょうか。 当社の販売するロボットは、主に自動車部品や電子機器部品を生産している工場で、業務を自動化、もしくは半自動化するために導入されます。主に接着剤などの塗布作業やはんだ付け作業、ねじ締め作業などで採用されています。 そのロボットの導入にはどういった利点がありますか。 まず、安定した品質を保ち、生産量も管理しやすくなります。とくに当社の製品は現場への導入のしやすさ、手軽さにより支持されています。通常ロボットを導入する際には、ロボット言語を学ぶために1週間ほど講習を受けた後、自ら作業プログラムを作る必要があります。これに対して当社の製品ではより手軽に自動化を実現でき、ティーチングペンダントというコントローラ画面上でプログラムを設定し、あとは調整するだけで導入が可能です。1時間ほど勉強すればどなたでも設定も操作もでき、とくにゲーム世代の若い方はとても飲み込みが早いです。 ミシン製造で培った使いやすさを追求したノウハウが強みとなり、さまざまな分野の生産現場で支持されています。 クライアントは日米どちらが多いですか? シカゴオフィスでは、クライアントの8~9割が米国系企業です。10年以上営業を統括しているスタッフを主体に、専属のチームを組織しています。今後は日系企業マーケットを深耕していくつもりです。 スタッフがよく“We are a team”と言うように、皆が一丸となってベストを尽くしてくれる環境です。 アメリカにおける販売方法の日本と大きく異なる点、特徴を教えてください。 日本や中国では販売代理店に向けてセールスをするのが一般的ですが、アメリカでは雑誌広告や展示会をメインにセールスを行っています。とくにここアメリカでは顧客ごとの細かなニーズに合わせるため、オフィスには3Dプリンターや加工機械を揃え、スタッフが図面を書き、希望の装備を施した製品を納入しています。 蛇の目ミシン工業が持つ、競合他社にはない強みは何ですか。 足の引っ張り合いがなく、フレンドリーでおおらかな社風ですが、ひとつ目標が定まれば社員が一丸となって突き進む力があります。スタッフがよく“We are a team”と言うように、我々はアットホームな雰囲気、チームワークを意識しています。 技術面では、ロボットメーカーのなかではアプリケーションがついたロボットを販売しているのは当社だけではないかと思います。自社でアプリケーションメーカーとタイアップしているため、ミシンを扱うような簡単さでロボットが操作できるというコンセプトを持っているところが強みだと思います。 今後、開拓する市場として視野に入れているのは、どのようなエリアですか。 産業用ロボットは生産工程の自動化になくてはならない製品です。メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなど、現在は人海戦術での工場作業に頼っている地域でも、人件費が上がるに従ってロボット化が進んでいくと考えられます。現在、中国でのロボット化が急速に進んでいるのも、同様の理由です。また、新たなマーケットとしてインドへも注力し始めています。 日系企業のメリットはどんなときに感じますか。 「日本製品=高品質」というイメージにも助けられ、日本製の産業用ロボットは好印象を持たれていますが、提示価格の落としどころは難しいです。当社の製品の品質や耐久性を分かってもらえればファンも増えていくでしょうが、壊れたら買い換えればよいというアメリカ的な価値観もあり、価格勝負になることも往々にしてあります。当社製品は、使い方にもよりますが、定期メンテナンスをされている方に他社製品よりも一般的には長くお使いいただいています。 皆がはっきりとした意見を持つアメリカで、いかに製品の魅力を理解していただけるかが勝負だと考えています。 アメリカのものづくり観とはどういったものでしょう? 当社のスタッフを見ていても、日本人は、工程ひとつひとつの品質管理を大切にし、繊細にものづくりをします。対照的にアメリカの場合は、スピード感を持ってラフに作り上げ、最後に締めます。仕事で難題があってもどんどん突き進み、結果を重視するところがあります。 座右の銘があれば、教えてください。 「一期一会」は好きな言葉です。あと若い人によく言うのは、なんでもいいからチャレンジしてみなさい、ということです。失敗は成功のもとなので、思い付いたことはまずやってみるといい、と言うようにしています。 仕事を通して感じる「やりがい」は何でしょう。 色々な人とお会いできるのは素晴らしいことですし、実際に当社のビジネスは成長過程にあり、どんどん伸びているため、やりがいを大いに感じる毎日です。日々の生活のなかでのトラブルにも、アメリカ人はこう考えるのかという発見があったりと退屈しません。 今は赴任して間もないため仕事詰めの毎日ですが、時間ができればやりたいことは山ほどあります。オートバイや車が好きなので、ミルウォーキーのハーレー博物館に行ったり、ハーレーでルート66を走ったりするのもいいですね。 便利帳の読者にアドバイスをお願いします。 自分が一生懸命に働いていると、意外と皆がそれを見ていると感じています。自分が前向きな姿勢であれば、それを見て変わっていくスタッフもいるでしょう。私は本当に恵まれていて、皆が一丸となってベストを尽くしてくれる環境にいます。人と人とが繋がって、会話が自然と生まれ、色々なことが進んでいくように思います。 Janome Industrial Equipment USA, Inc. President 舌間…