CATEGORY ニューヨークで働く ビジネス情報

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】Bridgestone Golf, Inc. VP of Business Planning and Operations 内藤章仁

タイガーの復活優勝を支えられたことは全従業員の誇りです タイガー・ウッズの米ツアー復活優勝は、全従業員の誇り―。 同社が生産する「ツアーB XS」は、タイガーが高く評価したうえで使用契約を結んだボールだ。世界最大のゴルフ市場・米国で経営の前線に立つ内藤章仁氏に、契約にまつわるエピソードや高品質商品が生み出される背景、今後の目標を伺った。 ブリヂストンゴルフの沿革を教えてください。  同社は日本法人であるブリヂストンスポーツの子会社で、米国アトランタを拠点としています。「ブリヂストンスポーツUSA」として1989年に法人設立し、1991年にゴルフボールの製造を始めました。当初のブランド名はブリヂストンの名を冠さないもので、2001年に「プリセプト・エムシー・レディ」というボールがヒット。現在のブランド名「ブリヂストンゴルフ」は2005年から展開しており、その際に社名もブランド名に合わせました。2010年から2014年まではゴルフボールの売上金額シェアで米国市場2位につけました。2012年にはツアーウレタンボールの製造を始めました。これはコントロール性能に長けた高機能ボールで製造難度が高く、ツアー選手が使うものです。米国で製造するものは基本的に現地向けですが、一部は欧州や日本にも輸出しています。米国進出の際にアトランタを選んだのは、マスターズトーナメントの開かれる聖地オーガスタが近く、日本人コミュニティーの発達した西海岸をあえて避けることで、現地化を目指したいと考えたからです。日本ではゴルフのほかテニスやスイミングといったスクール事業も展開しておりますが、私たち米国法人はゴルフ用品の製造販売に特化しています。 グループ全体におけるゴルフ事業の歴史をお聞かせください。  ゴルフボールの製造販売には80年以上の歴史があります。(株)ブリヂストンタイヤの創業は1931年で、ゴルフボールの本格製造開始は1935年です。その後、ゴルフがまだメジャースポーツではない中で投資を続けました。これについては創業者の石橋正二郎に先見の明と、事業に対する熱い思いがあったからだと思います。また、ボールの中の層にはゴムが使用されるため、タイヤメーカーとしてのDNAがありました。1972年、ゴルフクラブ事業推進のためスポルディング社と契約、ブリヂストンスポルディング株式会社設立の後、1977年に、ブリヂストンスポーツ株式会社に社名を変更。「最高の品質で社会に貢献する」という使命のもと、スポーツ用品事業への歴史が始まりました。国内事業に一層力を入れ、1989年の米国子会社設立につながっていきます。 最も自信のある商品を教えてください。  ゴルフボールの「ツアーB」シリーズと「e」シリーズです。「ツアーB」は、タイガー・ウッズをはじめプロが使う本格的なものや、その技術を応用した中上級者向けがラインナップです。「e」は飛距離アップや直進性改善が特長となっています。 プロが品質の高さを認めてくれたことは自信につながりました 高品質なボールが生み出される背景とは。  ゴルファー30万人分のスイングから得られたデータを開発に生かしています。これはボールフィッテングという、1人ひとりのゴルファーに合うボール選びをお手伝いする活動で蓄積したものです。弊社のスタッフがフィールドへ出向き、お客様にスピン量やスイング軌道を計測機器で数値化し、他社と弊社のボールを打ち比べてもらいます。こういったサービスは他社にもありますが、弊社は2007年から続けています。他社が追い付けない量のデータを持っている点で、品質では負けない自信があります。マッド・サイエンティストと称されるブライソン・デシャンボーは、主要メーカーのボールを塩水に浮かべる比較実験をしたそうです。その結果、私たちのボールの重心位置が精巧だったことから、ボール使用契約の話をいただきました。プロが品質の高さを認めてくれたことは自信につながりました。 タイガー・ウッズ選手とのボール使用契約にまつわるエピソードを聞かせてください。  タイガー自身から、各社のボールを比較したうえで弊社の製品を気に入ったとコンタクトがありました。評価していただいたのは、スピン性能とタフなコンディションに強い性能です。プロとの契約においては、メーカー側が「ぜひ使ってください」とアプローチするのが一般的で、彼のようなビッグプレーヤーから話をいただくことはほとんどありません。そのようなボールを製造販売していることや昨年米ツアーでの復活優勝を支えられたことは、従業員全員が誇りに感じています。彼がカタログの表紙を飾ることも私たちの誇りになっています。昨年12月には弊社のあるコビントンまで、CM制作のためプライベートジェットで来ていただきました。私が撮影所に入ったとき彼はコーヒーを飲んでいて、「ハロー」と気さくに声を掛けてくれたのには驚きました。反響としては、タイガーが使用する「ツアーB XS」の売り上げがぐんと伸び、問い合わせやウェブサイトへのアクセスは爆発的に増えました。日本においても、「ブリヂストンと言えばタイガー」と少しずつ認知していただけるようになり、プラスの効果ばかりでです。 内藤様の経歴と携わった業務を教えてください。  大学新卒で入ったのは旅行会社でした。海外に出て働く気持ちが強まり2年半働いた後に、ブリヂストンスポーツの海外販売企画部に中途入社しました。最初に担当したのが、海外取り引き先からの受注管理です。各国からの注文を予測し、生産部門につなぐことが主な仕事です。次に海外営業を経験した後、米国生産企画を担当することになりました。米国には当時から年に2回出張で来ており、将来はここで働きたいと考えていました。その後、国内市場の企画販売を担当。ここでは、中期経営計画策定や予算実績管理など現在の仕事の礎となる部門横断的な経験を積ませていただきました。米国には2017年12月、事業全体に携わった経験を生かしてほしいとの使命を受け、赴任しました。現在の仕事は、日本本社と現地経営陣の間に入って方針戦略などの調整や、経営計画の策定などが主となっています。 今までの仕事で感動した出来事は。  企画販売所属時代の2014年に中期経営計画策定の指揮を、当時の役員が任せてくれたことです。異動直後で知識も経験も未熟でしたが、信頼してもらえたことがうれしかったです。開発や企画、販売などで優先事項が異なり、利害が一致しないことも多いのですが、ブランド拡大に向け、全体の整合性がとれるよう議論を重ねました。結果としてこの年は、日本市場のゴルフボールの売上数シェアで1位に返り咲くことができました。信頼されて与えられた仕事で結果が出て、しかもそれが個人の力ではなくチームで成し遂げたことなので、喜びは大きかったです。 仕事で困難に直面したとき、どう対応しますか。  何かトラブルが起きたとき、原因としては人が関わっていることが多いので、まずはなぜ困難なのか考えて、次にその当事者との対話を心掛けています。一人で考えて思うように進まず、話し合いでも解決しない場合は、上司や同僚らの意見を聞きます。というのも上司から昔、上の役職者はその解決策を持っているかもしれないし、違う部門と連携して解決する策が見つかるかもしれないと教わったからです。そういうことがあって、困ったときは人と話すことを大切にしています。 今後の目標を聞かせてください。  ゴルフを通じてブリヂストンというブランドを多くの方に知っていただき、グループの価値を高めていくことです。そのためには、これからも「ツアーB」など高品質なボールや、お客様が満足できるサービスを提供し続けます。米国は、2,400万人の競技人口を抱える世界最大のゴルフ市場です。これは日本の約3倍に相当し、用品市場規模は約60億ドル、ゴルフ場数は1万5,000以上とされています。弊社がブリヂストングループのなかで担う役割は重要で、売り上げなどの数字だけが目標ではありません。グループ全体でみると、売り上げの約8割はタイヤ事業によるものです。ブリヂストンとう名前に対し、真っ先にタイヤを思い浮かべる方はまだまだ多いです。ゴルフはさまざまな年代や職業の方に愛されているスポーツで、幅広いユーザーとの接点があります。だからこそ私たちは、ブリヂストンブランドの良さを感じてもらえるよう努力していきます。 企業理念は「スポーツを通じて世の人びとを健康で幸せにし、夢を与える」こと 日系メーカーが米国で成功する秘訣は何だと思いますか。  チャレンジャーの立場なのでおこがましく、秘訣と呼べるものはありませんが、「スポーツを通じて世の人びとを健康で幸せにし、夢を与える」という企業理念を大切にしています。それに見合う商品とサービスを提供、継続、改善していくことでブランド認知や顧客満足が高まり、成功につながると考えています。 米国でおすすめのゴルフ場を教えてください。  ゴルフの腕はまだまだ至りませんが、好きなコースは弊社の近くにあるオークスで、ここにはよく通います。なぜかというと、グリーンが広くラフにもあまり入らず、優しいコースだからです。ゴルフを始めることにハードルを感じている方もいるかと思いますが、米国はプレー料金が安く、こういったコースなら気軽に楽しめます。自然の中で体を動かすのはいいですよ。より多くの方にゴルフの良さを味わっていただきたいです。 ゴルフファンにメッセージをどうぞ。  (株)ブリヂストンは2024年までオリンピック・パラリンピックのワールドワイドパートナーになっています。ゴルフ競技は前回2016年大会で正式種目に復活していますので、私たちはこの競技がさらに盛り上がるよう尽力していきます。ゴルフシーズンは夏に向けて本格化します。みなさんもぜひ弊社のボールを使って、ゴルフの楽しさを感じていただけるとうれしいです。 Bridgestone Golf, Inc. Bridgestone Golf, Inc. Vice President of Business Planning and Operations 内藤章仁 Akihito Naito 2003年に立教大学を卒業後、旅行会社エイチ・アイ・エスを経て2005年にブリヂストンスポーツ入社。海外やゴルフボール事業を担当し2017年12月、米国子会社ブリヂストンゴルフに赴任。経営企画担当副社長として、日本本社と現地経営陣の調整や経営計画策定などに携わる。1980年栃木県出身。 Interviewer: Mika Nomoto  Photographer: Jonathan Wade  Editor:…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】Fujitsu America, Inc. President & CEO 木滑幹人

あらゆるものが繋がる時代。デジタル革新の共創パートナーを目指しています。 富士通の北米通信拠点であるFujitsu Network Communications, Inc。最先端の光伝送技術を引っ提げアメリカ市場を開拓し、北米の通信事業を席巻した。IT戦国時代を経てデジタル革命の渦中にある今。あらゆるものが想像を絶するスピードで瞬時に繋がるこの時代に「繋げる」技術をどう生かすのか。リチャードソンの本社で、北米通信にキャリアを捧げる前CEOの木滑氏に話を伺った。 アメリカ進出の歴史と当時の通信業界の背景を教えてください。  富士通のアメリカ進出は1976年、カリフォルニアに情報と通信の販売拠点として、Fujitsu America, Inc.(FAI)を設立したことに始まります。1970年代は、来るべきコンピューター時代に立ち向かい、通信では光の伝送システムが研究所レベルから実用化の段階に入った時代です。さまざまなものの自由化が進み「ビッグベル」と呼ばれていたのがAT&T。全米の地域電話と長距離・国際電話、製造、研究開発とすべての部門を持つ巨大企業でした。それが独占禁止法に抵触しているという圧力が生じ、1974年にAT&Tが外部調達を開始したのは通信業界の大きな転機でした。1981年、AT&Tがボストン-DC-リッチモンドを光で結ぶ大プロジェクトの公開入札を発表。富士通はNTT通信研究所と培った最新の技術をもって応札したのです。AT&Tからも高評価を受け落札寸前まで傾きましたが、競合のロビー活動により公聴会で国益に反するという意見が集中し、最終的に落札されたのは国内ベンダーでした。技術的インパクトは大きかったはずですが、政治的な背景により敗北。これは、Fortune誌にも「Japan runs into American Inc. 」と特集されたほど衝撃的な出来事でした。 ドミノ倒しのように国内需要を席巻し、2000年代初めには全米一の光通信ベンダーになりました。 アメリカの通信業界の大きなドラマですね。  1981年は私が入社した年です。このなりゆきを見ていて憤慨したと同時に非常に興味を持ち、志望して1982年に北米通信営業に配属されました。その後、応札に負けたのが功を奏したかのように、MCIという電話会社に我々が採用され、以後常に全米初の最新光システムを納入し、北米通信ビジネスの基礎を築きました。  1984年、自由化の圧力は巨大なAT&Tを地域電話会社と各部門に分割させるに至り、駐在していた私も提案依頼書の対応に追われました。幸いにして、提案が受け入れられ各地域電話会社への個別参入に成功。その後、富士通が次世代技術のベンダー選定で採用され、競争優位を確立することができました。既存装置の置換に消極的だった他社を後目に開発した新機能を、各社が次々に採用。ドミノ倒しのように国内需要を席巻し、2000年代初めには全米一の光通信ベンダーになりました。この歴史のなかで1990年に通信部門としてFAIから分離したのが、Fujitsu Network Communications, Inc.(FNC)です。同時にテキサス出身の実業家ロス・ペローから100エーカーの土地を購入し、この本社を設立しました。 テキサスはビジネスの拠点としていかがですか。  1980年代初め、現地製造を強く主張していたMCIが既存ベンダーをほとんど呼び込み、このエリアは「テレコムコリドー」と呼ばれるようになりました。半導体の会社、テキサス・インストゥルメンツが開校したテキサス大学ダラス校(UTD)からも優秀なエンジニアが輩出され、活況を呈しました。テキサスはレベルが高いですよ。土地や物価が安くて住環境も良く、人も実直で礼儀正しく日本人に似ています。 光通信の近年の動向と日米の違いは。  アナログからデジタルへ移行したのが1970年代から1980年代後半。その間、光の高速化はどんどん進み、2000年前後に一気に需要が高まりましたが、過剰投資で2000年代後半はキャリアやベンダーの合従連衡が進みました。しかしその後も、モバイルやブロードバンドの需要は急速に伸びていて、それを支える光の需要は堅調です。昨年は日本に先行して5Gが出現しましたね。大容量で遅延が少なく、多数のデバイスを繋げられる。それを支えるのは光なので、光伝送システムは今後も世界中で需要があると思います。  新たな挑戦という点では、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Appleの4社をまとめる呼称)やマイクロソフトといったOTT(Over the Top)の台頭があります。彼らは巨大なブラックボックス的データセンターを持ち、光システムも独自に構築し、今や海底まで手がけようとしている。これはNTTの回線を皆が借りている日本との大きな違いです。   アメリカでのビジネスにおける課題は何ですか。  GAFAは世界を変えました。ネットワーク上に自社のコンテンツやアプリケーションを流し、収集したデータを使い新しい価値に変えたのです。ネットワークはただの手段になりました。これを受けどの通信会社もコンテンツ会社の買収やモバイルへの投資を行い、自社ネットワークに付加価値を付けようとしています。しかし、あれだけの情報収集力とAIなどの最新技術を用いたビジネスモデルには敵いません。この状況を打開する次の一手が必要です。  もうひとつはAT&TやVerizonにどんな解決策を提供し、共栄できるかという課題です。歴史ある大企業には稼動資産が重くのしかかり、通信業界はメンテナンス費用が大きい。古ければ古いほど、遅滞が起きたら適正なサービスが提供できなくなるため、難しい課題です。 ネットワークモダナイゼーション。旧資産をいかに新しいテクノロジーで現代化するかです。 その状況の打開策、また時代に即した技術やサービスとは。  我々が行っているのはネットワークモダナイゼーション。既存の旧資産をテクノロジーでいかに現代化するかです。また、新しいものを取り入れる際は、常に最先端の技術を取り入れること。さらにすべての分野において、良いパートナーとのエコシステム作りが進められています。今、AT&Tがイニシアティブをとり、Open ROADMというオープンソフトを使ったソフトウエア・ディファインディング・ネットワークを開発中です。ハードウエアをコモディティ化し、他社の装置が混在しても繋がることを目指すプロジェクトです。  さらに、5Gにも必要な光の技術をさらに磨きます。通信というのは人、コンピューター、IoTなどと繋がっており、デバイスやアプリケーションが適合していても、状況に合う通信方法がなければ最適化はできません。業種に特化したネットワークを提供するシステムが求められ、それが企業の競争力をも左右します。 どのような業界とパートナーシップを結んでいますか。  例えば今モバイルもオープン化が進むなか、韓国のとあるメーカーとパートナーシップを組み、「富士通がついているなら安心」とお客様に言ってもらえています。今、どの業界も自らの実業をITでバーチャルに写像し、データを分析してアルゴリズムを見つけたり、AIを入れたり、IoTからデータを持ってきたりして、新価値を提供することが求められています。富士通は通信だけでなくITでもさまざまな業界との価値の共創を目指しています。もっとオープンになることも大切でしょう。 地域貢献や、ニーズに応える方法とは。  まず積極的に共同開発などを行うことです。また、アメリカにあるユニバーサルサービス制度という法律は人びとに満遍なく電話を引くことを定めているものの、それは音声のみでデータには適用しません。つまり、高速の光やブロードバンドの回線が届かない地域もあるのです。我々は新しいサービスとしてそれらの地域の通信状況を改善しています。そのことで、隣町に比べ土地代が6%上がったとか、大病院の移転が決まったという事例も。病院は患者のデータを扱うためセキュリティーが厳しく、光でネットワークを引くことは大きなアドバンテージになり、経済効果も上がります。 ネットワーク技術がさらに発達するとどんな未来になるでしょうか。そこでFNCが目指すものとは。  一言で言うと「あらゆるものが繋がる時代」がきます。コンピューターネットワーク、センサーIoT、人の動き、GPSを含め地図情報など、データを瞬時に情勢判断、意思決定して行動する時代が既に来ています。そのために従来の考え方を脱し、新たな価値の発見と創出が求められています。2020年には500億のデバイスがIoT化され50億人が繋がり、2025年にはアメリカのフィンテックの市場規模が4兆ドルに。2030年にはS&P500社の75%が入れ替わり、2035年には汎用量子コンピューターが製品化されると言われています。とてつもない時代が来ますね。富士通の戦略は、AIが果たす役割に注目し、人びとの生活に意味のある洞察を生み出す最先端技術の開発に力を注ぐことです。繋げる技術を強みに、最適な価値をタイムリーに提供する。信頼されるデジタル革新の共創パートナーを目指しています。  アメリカは多様性に富み、フェアで自由な活動を許容する国です。富士通がここで成功できたのも、そんな風土があったからです。ところが近年、自国第一主義の下に社会が分断され始めている。すべてが繋がり、グローバルな価値の提供が求められる世界で、共通の価値観を探り持続可能な未来をリードできるアメリカであってほしいと強く思います。 日本人の比率と、現地スタッフへの教育方法を教えてください。  ピーク時には、デバイスも含めた開発要員を中心に50~60名いましたが、今は約1,500名中約20名です。弊社には日本の技術に惚れ込み、日本のビジネスのやり方やお客様との信頼感を心地良く思って長く勤める人が多く、勤続20~30年は当たり前です。  富士通には「Fujitsu Way」という理念・指針があり、グローバルに共通教育を実施し、富士通理念、企業指針、行動指針・規範が書かれたカードを全社員が携帯しています。また、毎年発行している「Fujitsu Technology and Service Vision」、コンプライアンス、ハラスメント、知的財産保護については導入時のみならず定期的に学習します。 座右の銘は。  「楽は心の本体」。儒学者、佐藤一斎の「言志四録」にある、王陽明の言葉です。人生には貧富や貴賎の別はあれど、いずれにも苦楽はある。心の本体である「楽」とは、外からの苦辛を受け止めながらも、自然体で心安らかに、何にも影響されない超然とした状態を指します。この心の有り様を私は目指していて好きな言葉です。 テキサスに赴任するビジネスマンにメッセージをお願いします。…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】American Tombow, Inc. EVP 田中公人

ソーシャルメディアで発信を続け米国のトンボファンを倍増させました。 アメリカのアート・クラフト領域で大きなマーケットを開拓した。ソーシャルメディアにより製品の魅力と創造性をアピールする「啓蒙、エデュケーション」を根気強く続けた結果、業績が急伸している。米国法人唯一の日本人で副社長の田中公人氏にそのマーケティング戦略について話を伺った。 ⽇本とアメリカでの沿革を教えてください。 トンボ鉛筆の創立は1913年。創立当時は社名の通り鉛筆の製造と販売が主でしたが、1950年代より商品の多角化に乗り出しました。現在弊社が取り扱う製品は、ボールペン・シャープペン・マーカーなどの「書く」、消しゴム・修正テープなどの「消す」、スティックのり・液体のり・テープのりなどの「貼る」の3分野です。 米国法人の創立は1983年。当初はカリフォルニア州に拠点がありましたが、1992年にジョージア州アトランタ郊外に移転しました。アトランタは全米へのアクセスも良く出張に便利で、西海岸に比べて物流やさまざまな固定費を抑えられたため、移転後にビジネスが軌道に乗ったと言えます。数多くあった候補地からアトランタを選んだ諸先輩方の選択は正しかったと、感謝しています。 社名の由来とは。 創立当時は、創立者の名前を冠にした「小川春之助商店」という社名でした。その後、鉛筆ブランドとしての事業を推し進めていきたいという理由から、「トンボ」印の鉛筆を発売し始め、その後に社名となりました。なぜ鉛筆にトンボ印をつけたのかというと、日本でトンボは前にしか進まず退かないところから、「勝ち虫」と言われ、非常に縁起の良い虫だからです。 日米の顧客ニーズに違いはありますか。 日本では修正テープ・消しゴム・固形のりで国内トップシェアを誇ります。一方アメリカでは、以前は修正テープが圧倒的な主力商品でしたが、マーカーがここ数年で売り上げを拡大し、トップに台頭しました。マーカーの売り上げは今後も伸びていく見通しです。代表格の商品は、「デュアル・ブラッシュ・ペン」というアート用の筆の水彩ペンです。「日本では発売から30年以上が経っている」と言うと、非常に驚かれます。パレットの上で色を混ぜたり、紙への押し付け方次第でさまざまな線が描ける、とてもクリエイティブなペンです。 また、日米ではターゲットユーザーも異なります。日本では学校とオフィスが顧客の大きな割合を占めていますが、アメリカではアートやクラフト関係者が主なターゲットです。例えば鉛筆にしても、日本の小学生が普段学校で使用しているものは、アメリカでは最高級のクオリティ。ですから、我々の製品を求めるのは、質にこだわるアート関係の人々になるのです。 アメリカではアートやクラフト関係者が主なターゲットです。 事業拡大の秘策とは。 我々が最も力を入れてきたことは「啓蒙、エデュケーション」です。この商品はこういう風に使える、こういうテクニックがあるということをユーザーに伝えていく活動を約10年にわたり続けています。アートやクラフトが得意な社外の人たちと提携してデザインチームを作り、ユーザーの啓蒙活動を行うと同時に、フォロワー数の多いトンボ愛用者にブランドアンバサダーになってもらいインフルエンサーとして活動してもらっています。ソーシャルメディア上で、トンボ商品を使った作品とその作り方、描き方を紹介するなど、商品の魅力を地道に発信し続けてきました。 同時に、オンラインで購入できる仕組みも強化しました。イーコマース事業と、ソーシャルメディアでのマーケティング活動やPR活動が上手いこと噛み合い、事業拡大に成功したと感じています。 ソーシャルメディアを使った具体的なマーケティング戦略とは。 目的によって、フェイスブックやブログ、インスタグラムなどプラットフォームを使い分けていますが、主軸はインスタグラム。商品の用途や便利なテクニックを動画や写真とともにわかりやすく紹介しています。そうすることで、ユーザーにトンボ商品に親しく、詳しくなってもらい、さらにはトンボ商品がネット上で話題となることを狙っています。また、最近インスタグラムでは、写真をタップするだけでウェブサイトに飛んで購入ができるようになっているのでとても便利です。この効果からか、アメリカにおけるトンボの認知度は私が着任した7年前よりかなり拡大していると感じます。実際、インスタグラム(@tombowusa)のフォロワー数は現在30万を超えており、もうすぐ40万に届きそうです。日本やほかのどの国の拠点のアカウントよりも多いフォロワー数です。 このようなマーケティング戦略は米国法人社長のジェフリー・ヒンが社長就任後に取り組み強化されました。彼が社長に就任した頃の米国経済はリーマンショックのあおりを受け低迷していました。厳しい時期でしたが、彼が主導して改革を始め、オフィス向けの修正テープ等に大きく依存していた体質を改め、アートやクラフト分野にも注力するべくこのようなマーケティング戦略を打ち出しました。しかし、啓蒙や教育というのはすぐに効果が出るものではありません。いつか結果につながるはずだと信念を持って続けてきました。成果は徐々に出て、私が着任した2012年当時と比べて、アメリカントンボの売り上げは倍以上に躍進しました。 今後の展望をお聞かせください。 マーカーの効果で売り上げは伸びていますが、さらなる柱を作らなければと考えています。まだ模索段階ですが、個人的に考えている商品は、世界一品質に厳しい日本人が認める、日本でシェアナンバー1の「MONO消しゴム」です。消しゴムに対するアメリカの意識は実は非常に低く、鉛筆の頭についているピンクイレイサーの消し具合以上のものがあるとも思っていないし、期待もしていないのが現状です。そこを変えていけたら面白いなと思っています。 また、現在すでに進めている、他社とのコラボレーションはこれからも展開させていきたいです。北米限定で、VIPボックスという商品があります。これはVIP会員登録をしているトンボファンに先行販売する、新商品や限定商品が入った商品の詰め合わせボックス。価格は30ドルほどですが、中身の合計金額は1.5 〜2倍ほどで非常にお得でもあります。このVIPボックスに、我々の製品と調和する、他社の手帳なども入れて販売しています。それによりこのVIPボックスの内容を充実させることができますし、協力会社にとってもトンボファンに商品を広める機会になります。 北米ではVIPの会員制クラブを立ち上げています。 トンボのVIP会員制度があるとは面白いですね。 日本では問屋さん、小売店さん、ユーザーという製造業界で流通3段階と言われているものがあり、メーカーからユーザーへ直接販売することができません。しかし、アメリカではそういったルールがないので、ダイレクトにユーザーに商品を届けられる。そういったことから北米ではVIPの会員制クラブを立ち上げています。メールアドレスを登録するだけで、会費はありません。 VIPボックスの販売は北米のみですがとても人気で、販売の告知をソーシャルメディアで行うと、世界中のユーザーからオーストラリアでの販売はないのか?フィリピンでは?インドでは?とコメント欄に質問をいただきます。 田中さんの好きな文具は何ですか。 特技が鉛筆削りだと伺ったのですが… 私は鉛筆が好きです。もともと筆圧が強かったせいか、シャープペンの芯をたびたび折っていて、中学・高校で同級生がシャープペンに切り替えていくなか、私は鉛筆ユーザーに戻りました。小学校3年生くらいのときに、母に鉛筆を手で削る方法を習いました。私の家ではカッターは大人しか使うことが許されていませんでしたが、鉛筆削りの際はカッターに正当に触れることができる。そんな不純な動機から鉛筆を手で削るようになりました(笑)。以来削り器を使ったことはほとんどありません。鉛筆を手で削っている時間は、「無」になれる。頭がリセットされるので好きですね。手で削る利点は、出したい分だけ芯を出せるということ。削り器を使う際に出る芯の長さの2倍ほどを出せば、芯がすぐにつぶれず、長く使い続けられますよ。 鉛筆には独特な筆記感があり、鉛筆で文字を書くと自然と頭も回転する気がします。アイデアをひねり出したりしたいときや、頭に叩き込みたいときには、パソコンやスマートフォンを使うのではなく鉛筆を使ってそのことを書き続けます。 ⽶国オフィスで唯⼀の⽇本⼈として、アメリカ⼈スタッフとどのようにコミュニケーションを図っていますか。 重要な話をするときには、相手の認識と相違がないことを確認するため、自分が聞き取って理解した内容を、自分の英語にして復唱確認をします。分からない英語を使われたときはときは正直に分からないと伝えますし、砕けすぎた言い回しやスラングを使われた時には、不機嫌な顔をして聞き返しますね(笑)。開き直りも大切です。言葉の壁は大きいですが、きれいな英語を話そうと力まずに、1回で伝わらなければ伝わるまで何度も言い換えること。そして言語はいくつかあるコミュニケーションツールのうちのひとつに過ぎないと気軽に考えることも大切だと思います。 日本でのコミュニケーションと大きく違うところは、社員と家族の話や週末や休暇の話をよくすることだと思います。家族や休暇の話から始めて本題に入ると、雰囲気良く話が進むと感じています。 トンボ製品はアメリカのどこで購入できますか。 弊社のウェブサイトで、米国で展開しているほぼすべての商品を販売しています。便利帳の読者さんのためのディスカウントコード(「BENRICHO2019」※2020年6月30日まで有効)がありますので、ぜひご利用ください。また、アマゾンなどのイーコマースや、全米展開しているクラフトショップのマイケルズなどの小売店でも取り扱いがあります。今年の下期にはマイケルズで、ついにMONO消しゴムの取り扱いが始まる予定です。全米のチェーン店でMONO消しゴムが販売されるのは初めてですので、とてもうれしく思っています。日本に帰ったときに消しゴムをまとめ買いされている方も多いと聞きますが、もうその必要はありません。 これからアメリカに赴任してくるビジネスパーソンとそのご家族に向けてメッセージをお願いします。 私は出不精なのですが、旅行好きな妻のおかげで、この7年間でアメリカ各地を訪れることができました。日本に比べて長距離ドライブも気軽にできますし、日本ではお金持ちの道楽という印象のクルーズ船ツアーも、アメリカではポピュラーな休暇の過ごし方のひとつです。いろいろな場所に行って、さまざまなものに触れてみることで、米国の良さと、日本の良さも見えてくると思います。アメリカにいらっしゃったら、ぜひフットワークを軽くして各地に出掛けてみることをおすすめします。 American Tombow, Inc. 副社長 Executive Vice President 田中公人 Kimihito Tanaka 東京都出身。専修大学法学部卒。1999年、㈱トンボ鉛筆に入社。量販店営業担当を経て本社営業部門に。ユーザーインタビュー調査や業務改善活動も行う。その後、経営企画室に着任。経営計画、予算管理やミッションステートメント制定等に参画。2012年より現職。 Interviewer: Mika Nomoto Photographer: Jonathan Wade  Editor:Kaori Kemmizaki …

ビジネスEYE

八重洲・イブニング・ラボ in NY 2019

9/23 追記:今回の講演に合わせて、紀伊國屋書店ニューヨーク店に、上念氏の『経済で読み解く日本史』シリーズ※ が入荷いたしました! ( ※全5巻:室町時代・安土桃山時代・江戸時代・明治時代・大正昭和時代 ) 現在、地下の日本語書籍売り場カウンター前にて絶賛発売中です! ニューヨーク講演会の当日会場では、書籍販売は致しませんが、上念氏のサインが欲しい講演参加者の方は、事前に購入された本をご持参ください。 経済評論家であり、経営者でもある上念 司氏。 その上念氏による講演会、「八重洲・イブニング・ラボ in NY 2019」が、今年もニューヨークで開催されます。今回はなんとテキサスでも開催予定! 講演会概要 「 トランプ VS パウエル 」   現在、この頂上決戦が勃発中!   果たして勝者はどちらに?   これまでは絶好調だったはずのトランポノミクスですが、 パウエルの裏切りで暗雲が立ちこめております! 利上げに資産圧縮、、、 これ、本当に必要だったのでしょうか??   7月に一応利下げはしましたが、付け焼き刃状態。 株価も暴落して万事休すか?!   しかし、そんな経済状況でも支那との戦いをやめるわけにはいきません。 なぜなら米中は現在冷戦の真っただ中!! 新時代の覇権争いはまだまだ続きます。   はたしてこの先、アメリカの覇権は維持できるのか? 米中貿易戦争はさらに激化していくのか? まさに正真正銘の正念場!!   目が離せません!!   そしてそんなアメリカ経済の行方は、 まちがいなく世界の未来を左右します。   世界の未来を左右するという事は 当然、我々の生活にも直結して来ます!   だから知りたい!今後いったいどうなるのか???   そこで、 そんな皆さんの疑問に、、、 今回も応えます!!   今年も開催!! 八重洲・イブニング・ラボ…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】ナムコUSA 社長 齋藤 陽史

我々の商品は単なるゲーム体験ではなくかけがえのない「モーメント」です。 バンダイナムコグループは世界最大級の総合エンターテインメント企業であり、幅広いエンタメ事業を手がけている。 アメリカにおけるアミューズメント施設の企画・運営を主に行うNAMCO USA INC.は、全米で約1,000ヵ所にのぼる施設を運営。 2018年4月に社長に就任した齋藤陽史氏に、旗艦店である総合エンターテインメント施設「パックマンエンターテインメント」(シカゴ)の戦略転換を含めた全社的改革について話を伺った。 アメリカで行われたビデオゲームキャラクターの認知度調査で、パックマンは1位でした。 ※Davie-Brown Indexより 事業内容について教えてください。 バンダイナムコグループは、エンタメに関してかなり幅広い事業を行っているのが特徴です。 グループ全体で約6,800億円の売上があり、家庭用やスマートフォン用ゲームのほか玩具や文具などの企画から販売、アミューズメント施設の運営、映画などの映像音楽プロデュース事業や、キャラクター事業まで、エンド・トゥー・エンド(端から端まで)で揃っている、エンタメ業界において世界的に見ても非常にまれな企業です。他にこのような幅広いエンタメ事業を行っているのはウォルトディズニーくらいだと思います。   同グループの一員である弊社は、アメリカにおけるアミューズメント施設の企画・運営を行っています。 運営する施設の数は約1,000ヵ所。大規模な施設もあれば、3台ほどゲーム機が置いてあるような小規模なものもあります。消費者向けの事業を行う日系企業で、全米に約1,000ヵ所もの事業所がある企業はあまりないと思います。 パックマンエンターテインメント(シカゴ)はどのような施設ですか。 150台以上のゲーム機のほか、ボウリング場、レストラン、スポーツバー、イベントルームを備えた超複合エンタメ施設です。 ただゲームをプレイするだけではなく、ボウリング、スポーツ観戦、飲食、弊社ならではの店舗イベントなどを楽しんで、かけがえのないひととき=モーメントを過ごしてもらうことにフォーカスしています。 例えば有名な話では、スターバックスは家、職場に次ぐ第三の場所を目指しており、コーヒーはあくまでもそのためのツールで、快適なひとときを提供することに最も価値を置いていると言われています。 我々も、お客様が本当に求めているものは単にゲームをすることではなく、家族や友人と過ごす楽しいひとときだと考えています。そのモーメントを何度でも体験してもらいたいという思いを込め「リプレイ・ザ・モーメント」という言葉をコンセプトとして掲げています。 ゲームの内容においては、一緒にやって楽しめる、競争して楽しめるゲームを多く取り揃えています。アメリカの人びとはチームとして団結するのも好きだし、競うのも好きという両面を持っているからです。 また、こういった施設にある飲食店は出来合いの冷凍食品を解凍して提供するだけというようなところも多いですが、ここのレストランの料理はすべて手作り。ピザも生地からこねて作っており、カジュアルなレストランですが質にこだわっています。 また、イベントルームは多目的に使えるボールルームのようなものからラグジュアリーな雰囲気のものまであり、プライベートのパーティーから企業イベントまで、さまざまなシーンで利用できるスペースになっています。 齋藤社長が就任してから改革されたポイントを教えてください。 私が行った戦略転換の大きなポイントは、機能的価値軸で言うと、施設内にエンタメ体験の要素を増やしたこと。情緒的価値軸では、全米で圧倒的な認知度を有するパックマンを使ったリブランディングの徹底です。 ゲーム機の台数を増やし、スポーツバーを新設するなど、施設のエンタメコンテンツのバリエーションをぐっと増やしています。シカゴにはアメリカ4大スポーツのすべてのチームがあるため、スポーツ観戦は欠かせないエンタメです。 また、以前は施設名を「レベル257」としており、ビデオゲーム好きの間で知る人ぞ知る場所でしたが、「パックマンエンターテインメント」と改名し、認知度の高いパックマンを前面に出してリブランディングを実行。 我々はエンタメ提供会社として、常にお客様にとって最終選択肢のひとつに入ることを目指しています。どのブランドが選ばれるかという戦いでは、認知度の高いパックマンを前面に出すことで、まずはシード権で決勝戦に残れると想定。同時に、色々なキャラクターを活用したコラボレーションを企画しSNSを駆使して発信、来店促進施策も走らせ、決勝での勝ち切りを目指す。くわえて、最高の店舗体験を提供し続けることで、リピート率を最大化し、お得意様になっていただくことにも注力しています。 以上のような戦略を実行するうえで、ターゲット層も広げました。大まかに言うと、子どものいる「ファミリー」と、子どものいない大人のグループ「ソーシャル」という幅広いふたつのセグメントを狙っています。 以前はソーシャルだけをターゲットにしていたので、ショッピングモール内に位置しているにも関わらず、あえて入り口をモールと接続せずファミリーが来店しづらい設計にしていました。そこをモール内からもアクセスできるよう大工事を行い、モールに来店するファミリーも入りやすく整備。 ただ、ソーシャルの人たちはファミリーと過ごす場が一緒になるのを嫌うことも分かっていましたので、ファミリーとソーシャルで顧客体験を分けられるように、ゾーニングを工夫しています。スポーツバーは、ソーシャルのお客様が楽しむゾーンとして作りました。 このような戦略転換を通じて、施設の売上アップに成功しています。 80年代のゲームキャラクター、パックマンを使ったブランド戦略とは。 パックマンを起用したことは、情緒的価値の創造における基礎です。 2020年、パックマンが誕生して40周年を迎えます。認知度が非常に高く、アメリカで行われたあるビデオゲームキャラクターの認知度調査で、マリオを抑えてパックマンが1位にランクインしています。94%のアメリカ人が世代を超えてパックマンを認知しているということです。パックマンを起用したのは、このブランドを最大限活用するための、当然とも言える戦略的な選択です。 ただ、パックマンゲーム自体の基本設計は元祖の設計を踏襲しているため、店舗体験をパックマンゲームにフォーカスすると古臭いと受け止められる可能性が高いという課題がありました。そこで、店舗体験自体は常にアップデートをしてエキサイティングなものを提供する。認知度の高いパックマンをホスト役にして、ゲストを招いて集客をし、そして最高の店舗体験を提供すること でブランド資産をさらに蓄積していくという戦略を設計しました。 このパックマンの活用の仕方を芸能界で例えるなら、タモリさんを挙げることができます。タモリさんのイグアナの芸は、現在は番組の目玉にはならないかもしれません。しかし、既に番組は終了してしまいましたが、「笑っていいとも」では、タモリさんの知名度を活かして色々なゲストを招き、タモリさんがゲストと絡むことで楽しい番組になっていたと思います。 メインゲストの配役を考えるなら、その時に高パフォーマンスを持つキャストを選択するでしょう。例えばアイドルで言えば、それはおニャン子クラブ、モーニング娘。、AKB48といったように、時代の流れとともに変化します。 施設事業は初期投資も大きいため、長期的に運営することでリターンを稼いでいくビジネスモデルです。パックマンを起用したのは、長きに渡って支持される施設として運営を継 続・拡大していくためです。 物は有限ですが、記憶は残る。一期一会のモーメントを大切にしたいです。 施設運営のほか、どのような事業に力を入れていますか。 先に述べた、パックマンがホストになり、旬のゲストを招いて展開していく仕掛けをパックマン・アンバサダー・プログラムと呼んでいます。この施策のもうひとつの狙いは、企業とのコラボレーションを行うことで、お互いの顧客ベースを共有し事業拡大をしていくということ。 現在は、紀伊國屋書店と連携して「ドラゴンボール」の最新映画の公開に合わせたポップアップ店舗の展開、期間限定で「レッドブル」の缶がパックマンデザインになる企画や、ユニクロではパックマンTシャツを販売しています。コラボした商品は、施設内で販売したり、ゲームの景品にしたりして活用しています。 また、コスプレイベントの運営会社CHICAGO C2E2のイベント会場として、2017年からパックマンエンターテインメントが毎年使用されています。次回は会場提供のみでなく一般公開をして、来場者が大会を観たり、一緒にゲームを楽しめるようにし、ともにイベントを盛り上げていく予定です。 リーダーシップを取るうえで大切にしていることはありますか。 「現場現物」「率先垂範」「ビジョンの共有」の3つです。 「現場現物」に関しては、私はこの施設を週に3回は訪れ、スタッフたちに色々と要望を伝えています。ほかの地域部長たちとも毎月電話会議をし、現場にも頻繁に足を運んでコミュニケーションを取っています。 「率先垂範」は、上位層が自ら動くこと。まず自分がやることを心がけています。例えば、現場の掃除や機器のメンテナンス、現場スタッフからのヒアリングや戦略の落とし込みのコーチングです。 「ビジョンの共有」については、「お客様に焦点を当てる」ということを、どれだけスタッフに腹落ちさせられるか、ということ。「我々の施設事業は何のためにやっているのか」「お客様に楽しいひと ときを過ごしてもらうために、自分達は何ができるのか」と常に問い続け議論をし、それをスタッフ達の新しいDNAとすべく、密なコミュニケーションを構築し続けています。 座右の銘を教えてください。 「一期一会」ですね。人との出会いも、出来事も、人生に一度しかありません。…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】米国岡谷鋼機会社 社長 本多 良隆

350年続く岡谷鋼機の歴史を受け継ぎ、米国岡谷を次のステージへ。 1669年に名古屋で金物商として創業した、鉄鋼を主に扱う産業材商社の岡谷鋼機。 350年もの間、脈々と受け継がれてきたチャレンジ精神は、本多良隆氏のなかにも宿っている。29歳で赴任したタイで事業の立ち上げに携わり、後にインドネシア法人で社長を務めた本多氏は、2018年5月に米国岡谷の社長に就任。米国岡谷が今目指しているものとは何なのか、話を伺った。 ナショナルスタッフが指揮を執り、今まで以上に活躍できる組織にしていきたいです。 岡谷鋼機の事業内容を教えてください。 弊社は、鉄や機械を中心に取り扱う産業材の商社です。 主要事業はものづくりに欠かせない鉄鋼製品や原料、高品質な特殊鋼を扱う「鉄鋼」、非鉄金属や半導体などのエレクトロニクス商材などを扱う「情報・電機」、工作機械などのメカトロ製品と化成品の樹脂材料を中心に扱う「産業資材」、住宅関連から食品まで生活に密着した商材を扱う「生活産業」の4つのセグメントに分かれています。 グループ全体で連結売上高は8,500億円にのぼり、その約4割が鉄鋼セグメントの売上です。 商社でありながら、事業チャンスがあるものに対しては技術面での協力企業を見つけて、ジョイントベンチャーとして製造子会社を立ち上げています。そのほか、より地域に密着した販売系子会社も多く所有しています。 アメリカでの沿革や事業内容を教えてください。 アメリカ国内には13の拠点と、3つの関連会社を持っています。 アメリカでの事業は、1957年にニューヨークに駐在員事務所を開設したのがスタート。当初は、米国から鉄のスクラップを日本へ輸出するための連絡業務が事務所の主な役割でした。 しかし、90年代から2000年初頭にかけて日系企業のアメリカ進出が盛んになり、日系の会社に貢献できる事業を行うためにアメリカ全土に支店を展開。商業活動だけでなく、ものづくりも含めた全面的なサポートを行っていきたいと考えるようになりました。 また、既存の商売にとらわれず、その都市ごとに今後伸びていくであろう産業の発掘にも努めています。 例えば、オイルやガス向けの鉄鋼製品の販売から事業をスタートしたヒューストンでは、樹脂材料の取り扱いも開始しました。LAを拠点に日本向けの航空機産業の取り組みも始めています。2年前にはシリコンバレーにも拠点を設立。これには世界をリードする最先端の技術やサービスを、日本はもちろんのこと世界中の拠点に発信し、新たな息吹をもたらしたいという狙いがあります。 また、カナダ・メキシコ・ブラジルの各現地法人とも連携をし、北・中・南米のビジネス拡大も考えています。 350年続く会社ならではの企業理念は何ですか。 本社の岡谷鋼機は350年もの間、代々岡谷家によって大切に引き継がれてきた歴史のある会社です。 しかし、全く古い体質ではなく、常に新しいことに挑戦し続けているからこそ会社を永続させることができています。この姿勢は、金物商だった創業当時も「棚の最前列には常に新しいものを並べる」ということを徹底していたほど、ずっと変わっていません。当時から新しい商品の仕入れルー トを開拓し続け、事業を拡大してきました。 このような精神は現在まで脈々と受け継がれています。 また、現在我々が経営理念として掲げているのは「グローバル最適調達パートナー」という言葉。常にお客様により良い物をお届けするために、何をすべきかを徹底的に考えるということです。 現在世界22ヵ国に拠点を展開し、世界市場におけるお客様の最適な調達パートナーを目指しています。製造子会社を作るのも、この経営理念に基づき、追求を重ねた結果です。ビジネスの持続性や社会との調和は我々がとくに重視することなのです。 歴史がある会社ゆえに、「堅実な会社ですね」とよく言われますが、それは適切なリスクを常に考えているためです。例えば「面白そうだからやってみよう」と何か新しいことをスタートするときも、最終的な判断に至る過程では、その商売の意義や持続性を徹底的に議論します。 目先の利益だけを考えるのではなく、自分たちが行っていることに、社会的な意義があるかどうかを常に問う。そういった姿勢を持ち続けています。 社長に就任されて、変えていきたいポイントはどこですか。 私たちは日本の資本が入っていますが米国企業なので、ナショナルスタッフ(現地スタッフ)がやりたいことに取り組める環境を作り、彼らが現地の事業を引っ張っていける組織にしたいと強く思っています。 米国岡谷は設立から50年以上が経ちますが、岡谷鋼機本社から派遣された駐在員が中心となりビジネスを考え、拠点を展開してきたという歴史があります。 しかし、より現地に根差し、その国の地域や経済に貢献できる会社になるためには、ナショナルスタッフが中心となってビジネスを考え、舵を取っていく必要があると考えています。ですから、米国岡谷においてもナショナルスタッフが指揮を執り、今まで以上に活躍できる組織にしていきたいです。 これまでは拠点長にナショナルスタッフがいなかったのですが、人材の育成と登用に力を入れ、組織を変えていきたいと考えています。 お客様のものづくりに寄り添い、常に新しい付加価値を追求し続けています。 本多社長の経歴を教えてください。 私は岡谷鋼機の産業資材セグメント、メカトロ(機械)部門出身です。1996年の入社時には、自動車の部品メーカーのお客様が集まる愛知県の刈谷支店で、機械設備の販売を担当しました。入社した際は、20年後にまさか自分がアメリカにいるとは露ほども思いませんでした。 入社5年目に転機を迎え、タイでメカトロ部門を立ち上げるプロジェクトに偶然私が出張で送り込まれました。その後あれよあれよという間に2009年まで駐在することになりました(笑)。 しかし運に恵まれ、タイの経済も好調でしたし、国もお客様もみんなエネルギーに満ち溢れていた時代でした。新規進出や新会社設立など、お客様のプロジェクトも目白押しで、充実した駐在となりました。 なかでも、私が担当をしていたメカトロ部門で、機械や切削工具の販売を専門に取り扱う新会社の立ち上げを行うことになり、この大プロジェクトに30代前半で携われたことは大変勉強になりました。ひとつの会社を作り、社員を雇って事業展開をするという経験をさせてもらって。若いときにさまざまなチャレンジができたことは商社マンとしての醍醐味です。上手くいったことも失敗したこともすべての経験が、現在も私の中に残っています。 日本への帰任後は、インドネシアに赴任し、翌年からインドネシア法人の社長を務めました。さまざまな支店の立ち上げや多くの社員の雇用など、まだ若い会社でしたので自分で開拓していく楽しさがありました。   米国岡谷への着任がこれまでと違う点は、やはり50年の歴史の重みです。先輩方が築かれた歴史を大切にし、自分が指揮をとっていくことに対して、今まで以上に責任を感じています。 アメリカは国土も広い、世界を代表する国です。社員とともにこれからの米国岡谷を真剣に考えていきたいと思います。 自ら開拓をしたり、アイデアを出したりすることは好きですか。 そんなことばかり考えています。これは社内でよく言うことですが、「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれて、ただ「私は鉄を売っています」と答えるだけでは商社マンと言えません。「鉄を軸に何をやるのか」を考えるのか商社マンです。 例えば新しい拠点や製造子会社を作る必要性を感じたら、会社に言われてからやるのではなく、自ら提案をして実現させてきました。この仕事にチャレンジ精神は不可欠だと思います。 また、私たちには大手の総合商社さんのように新しい仕組みや国家的インフラを作ることではなく、お客様により近い立ち位置から事業をサポートをすることが求められています。お客様のものづくりに寄り添い、常に新しい付加価値の提供を追求し続けています。 経営者としての苦しみや喜びとは何でしょう。 苦しいと思うことはないです。サラリーマンで入社したにもかかわらず、経営者の立場を任せてもらえることには感謝しかありません。その期待に「応えないかん」というプレッシャーはもちろんあります。 でも、一度しかない人生、もし上手くいかないことがあっても、さまざまな課題を乗り越え、次々に新しいことに挑戦する人生の方が楽しいはずです。 350年続く岡谷鋼機の歴史を受け継ぎ、米国岡谷を次のステージへと前進させることが私の使命だと思っています。 最後に、日系企業がアメリカで成功する秘訣とは。 どの国でも同じだと思いますが、やはりその国、地域、社員、お客様とよくコミュニケーションを取りながら課題を解決していくことが重要だと思います。その対話力が日々試されていると感じています。 自分の経験に固執せずに、今置かれている環境へ頭を切り替え、自分の考えを押しつけるのではなく、相手の立場になって物事を見る。日本人は、やり方を型にはめる傾向にあると思いますが、常に対話をして柔軟な対応をしていくことが大切だと考えています。 また、日本人駐在員は、ナショナルスタッフから研修員のように捉えられがちというのも事実。駐在員は基本的に数年経験を積んだ後、次のステップに向けて日本に帰任してしまいます。ナショナルスタッフがアメリカに骨を埋めるつもりで働いている傍らで、本社からきた社員が、「自分にとってアメリカで働くことは腰掛けで、良い経験をするために来ました」なんていう気持ちでいたら、なかなか良い会社にはならないでしょう。 私たちは本社のためにだけ仕事をしているわけではなく、この国やこの国のお客様に対して、この国にいる人たちと一緒に働いています。それを第一に考えるということが、最も重要だと思います。 米国岡谷鋼機会社 OKAYA(U.S.A.),INC.  社長 President…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】MEIJI corporation 社長 佐合 俊治

ものづくりの生産性・品質向上を実現させるソリューションを提案しています。 1920年に創業し、当初はモーターの販売や修理を主に手がけ、高度成長期には日本の産業の柱となった自動車産業を支えてきた明治電機工業。 自動車産業の海外進出に合わせて事業のグローバル化を推し進めるために1987年、イリノイ州にMEIJI corporationを設立。 2017年、同社が創立30周年を迎えた節目の年に社長に就任した、佐合俊治氏に話を伺った。 自動車メーカーをはじめとする生産現場の課題を解決しています。 貴社の沿革を教えてください。 2020年に創業100周年を迎える、明治電機工業が本社です。 創業当初は繊維機械のモーターの販売と修理が主な事業でした。そして、戦後、高度成長期に「自動化」という言葉が日本産業を取り巻きました。我々もその波に乗ろうと、さまざまな電機メーカーや機械メーカーと手を組んだのですが、なかでも自動車産業は高度成長期の大きな柱でしたので、自動車メーカーの機器の調達や生産の支援に力を注いだことが今の事業につながっています。   MEIJI corporationは1987年に設立し、2017年に創立30周年を迎えました。 アメリカに進出したきっかけは、1985年にアメリカで「プラザ合意」が発表されたことです。それにより、円高が進み、貿易摩擦の問題で輸出が制限され、日本の産業界が空洞化していくことが予測されました。顧客である自動車メーカーや自動車関連企業、工作機械メーカーが次々にアメリカに進出していき、我々も日本で行っている協力を北米でもしていきたいと立ち上げた会社です。 ここシカゴ近郊には、名だたる自動車メーカーや工作機械メーカーが進出しましたので、ここに本社を構えることになりました。 主な事業内容について教えてください。 いわゆるファクトリーオートメーションという、工場の自動化を行うことで、お客様の工場の維持や管理、問題の改善、生産性や品質向上のためのソリューションを提案しています。 具体的な事例を挙げますと、あるクライアントが、生産効率を上げたいがどこに問題があるのかが分からないという課題を持っていました。そこで我々が工場の現場を調査し、工程内にある不良製品流出を防ぐための製品検査に時間がかかっていることが要因だと特定。それを改善するために、画像検査装置の導入を実施しました。その結果、検査スピードが上がり、品質を維持しながら生産効率を上げることに成功しました。 主に扱っているのは、自動車や工作機械を製造するための生産設備です。直接車に搭載する製品や工作機械そのものではなく自動車を作るための生産設備に使われる機器や、生産設備そのものをエンドユーザーに納入しています。 社員数は約70名。日本からの出向者は私を含めて5名です。残りは全員現地採用で、なかには日本語と英語のバイリンガルの日本人社員もいます。 いちばん力を入れていることは何ですか。 北米市場も日本同様、人手不足、労働力低下が深刻になると思います。我々はそれを自動化で解決したいと考えています。 日本も、高齢化によって働ける人口が減少します。ですから、機械にできることは機械に任せて、人はもっと高い次元のことをやっていくということを今後も提案したいです。 現在、人工知能などもますます発達してきています。我々が提案する機電一体装置(機械技術と電子技術を駆使した装置)と人を組み合わせることで、もっと効率的な生産や、より良いものづくりを実現させる環境づくりをしていくことが私たちの使命だと思っています。 物流の自動化においては、お客様の製品を工場内や倉庫内で機械が搬送するAGC(Automatic Guided Cart)システムの納入に力をいれています。さらに、幅広く生産・物流・全体管理システムのソリューション提案を行っています。 工場全体の最適化を我々が提案することで、人間はもっと次元が高く、付加価値の高い仕事ができるようになると考えています。 シカゴ近郊に競合他社はありますか。また、貴社の強みを教えてください。 競合他社はたくさんあります。私たちのように日本から進出してきた企業もあれば、同じような事業を行っている米系企業もあります。 そことどう差別化していくかは、モノを左からおろして右に売る、いわゆるQCD(クオリティー、コスト、デリバリー)だけでなく、さらにお客様のご要望、課題は何なのかを見極め、その課題を解決させる製品を我々がしっかりお納めするということであり、そこに我々の付加価値があると思っています。 さまざまなメーカーのものを我々がシステムアップしたり、なにかを加えたりすることで新たな価値が生まれます。お客様の課題解決を目的として、サービスを提供できることが我々の強みだと思います。 佐合社長の経歴について教えて下さい。 1983年に新卒で明治電機工業に入社し、現在に至ります。 最初は愛知県知立市にある営業所に配属されて、トヨタ自動車さんをはじめとするトヨタグループの営業担当になり、自ら営業をしながら、営業の管理なども行ってきました。 そして、2017年5月にMEIJI corporationの社長に就任し、アメリカに赴任して来ました。 いずれ今のような立場になることを見据えていたのですか。 いえ、全くそんなことは意識をしていませんでした。ただ、お客様に対しては、脇目も振らず一生懸命やってきました。今の立場があるのは、その積み重ねの結果だと思います。 もちろん、いつも上手くいくことばかりではなく、失敗もたくさんしてきました。でも、社員時代も会社を辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。それは支え合える仲間たちがいたからだと思います。 経営者になって感じる、苦労や喜びはありますか。 厳しいところは、経営者には迅速な判断が必要だということです。そして、何においても最後は私が決めるということ。その責任の重大さはやはり感じますね。 あとは、社員にいかに働きやすい環境を作ってあげられるかということも常に考えています。 喜びは、たくさんの方々と知り合えることです。これは私の人生観でもあるのですが、常に新しい方々と出会い、日々勉強させていただけることに喜びを感じています。 好きな言葉は“一生勉強、一生青春”。新しいことをやれば、前進します。 座右の銘を教えてください。 一生勉強、一生青春。これは、詩人の相田みつをさんの言葉です。 まずは、「やってみよう、聞いてみよう」と、臆せずに一歩踏み出すことを、歳を重ねても続けていきたいと思っています。新しいことをやれば、新しい感動もありますし、新しいときめきもあります。常に新しいことをやろうという意識があれば、前にも進みますよね。 リーダーシップを取るうえで、意識していることはありますか。   日本の親会社があって、我々の会社があるので、社員には明治電機DNAをまず学んでもらうようにしています。具体的にどういう商売をやってきた会社なのか、どんな価値観で事業を行っているのかを、共有することが大事だと思っています。 とくにアメリカは日本のように新卒の入社式が一斉にあるわけではなく、新卒からさまざまなキャリアを積んだ方々までが入社してきます。それでも、入社時には同じプログラムの社員教育を行います。同じプログラムを受けることで、同じ知見や価値観を持って活動できるチームを作っていきたいと思っています。 アメリカでビジネスをするうえで大切だと思うことを教えてください。 場所はアメリカであっても、やはり我々は日系の会社ですから、日本のおもてなしの心は大事にしています。 茶道の世界に、「用意」と「卒意」という考え方がありますが、そのふたつを兼ね備えることが大切だと思っています。用意は、客人をもてなすために主人があらかじめ準備すること。卒意は、その主人のおもてなしに応えるために、客人に求められる心構えや行動のことです。 おもてなしというのは、主客一体となって、主人と客人の相互作用で成り立つもの。ビジネスにおいても、自分の考えでどんどん突き進むのではなく、日本のおもてなしの心、思いやりや謙虚な気持ちを大事にしていきたいと思っています。…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】ミスミUSA 代表取締役社長 蘆田 暢之

顧客視点での迅速・確実・誠実な対応。 それがミスミの「時間戦略」です。 1963年、金型部品を扱う商社としてスタートしたミスミグループ。 現在、製造業も手がける同社は、「製造業の裏方」としてグローバルにビジネスを展開している。その事業戦略は、同じ製造業者としてのノウハウやアイデアを生かし、お客様目線の課題解決を徹底的に追求したからこそ生まれたものだった。 ミスミのビジネスと米国市場における今後の展開について、ミスミUSAの蘆田暢之社長にお話を伺った。 製造・物流・IT基盤を駆使した「自社プラットフォーム」で高品質・低価格・確実短納期を実現させました。 会社の沿革について教えて下さい。 ミスミグループは1963年に田口弘が創業し、金型部品を扱う商社としてスタートしました。その後2005年に駿河精機と経営統合し、商社機能と製造業とを併せ持ちます。 取り引き先の業界は幅広く、自動車・電気・電子・医療関連など製造を必要とするあらゆる企業様とお付き合いさせて頂いています。 グローバルに展開し現在では全世界に62の営業拠点、17の配送センター、23の生産拠点を構えており、海外売上比率も日本国内に迫る勢いで成長を続けています。 米国法人の歩みを教えて下さい。 ミスミUSAは30年前の1988年に現地法人として設立されました。 設立当時はアメリカの商材を現地メーカーから購入し日本のお客様へ輸出する拠点としてスタート。2001年に新経営体制になり、米国を含む海外拠点でも日本と同じ事業を現地のお客様へ展開するという経営方針を打ち出し、アメリカ国内のお客様へ向けたビジネス展開にも注力し現在に至ります。 現地法人設立後の業績は毎年二桁の成長を果たしています。 事業内容についてお聞かせ下さい。 大きく分けて「FA事業」、「金型部品事業」、「VONA事業」の3つの事業を展開しています。 まず、FAはFactory Automationの略で、主に工場の生産ラインの自動設備に使用される部品を製造・販売する事業です。FA部品や、部品を組み合わせたユニットなどを提供し ています。例えば近年、製造過程で人に代わりロボットや搬送設備が多く採用されています。搬送・溶接・組み立て・梱包などの作業を行う自動設備の需要は高く、そのマシンの部品となる製品を製造・販売しています。 次に金型部品事業は、金型そのものを造っているのではなく、金型を構成するのに必要な部品の製造・販売をしています。例えばプラスチックとなる樹脂を金型に流し、それが固まり型から抜く際に押し出す部品であるエジェクタピン、車のボディーを圧縮形成する際に用いられる、鉄やアルミが対象のプレス金型用部品などです。金型には耐摩耗性や耐久性、精度の高さが求められます。 そして3つ目のVONA事業(Variation & One- stop by New Alliance)は、業界最高水準のEC基盤を活用しミスミブランド以外の商品を含め販売する事業です。分かりやすく例えるなら、B to B版アマゾンでしょうか。アマゾンでは種類やブランドを超えてB to C商品を1ヵ所で購入することができますよね。私たちもB to Bのお客様向けに、製造現場で必要な工具から消耗品まであらゆるものを自社のプラットフォームを通して「ワンストップ」で調達できるよう2010年に事業を開始。高品質・低価格・確実短納期を実現させました。現在では3,324社を超えるメーカー様、2,530万点を超える商品を扱っています。 弊社が取り扱う製品は、最終製品の製造過程で使用される設備や部品なので、皆様の目に直接触れる機会はあまりありません。そのため事業内容を理解していただくのはなかなか難しいですが、つまり「製造業を裏方として」サポートする事業なのです。 貴社が掲げる「スピード出荷可能、納期遵守率99.9%」を実現させる仕組みとは。 これは正にミスミの事業コンセプトである「ミスミQCTモデル」です。QCTはQuality(高品質)、Cost(低コスト)、Time(確実短納期)に由来します。 高品質な製品を扱うのは絶対条件。それらをいかに安く提供できるかに価値があると思っています。また、確実短納期というのは、お客様が欲しいときに、欲しい分だけ、欲しいタイミングでお届けするという意味です。在庫拠点がLA、シカゴ、メキシコの3ヵ所にあり、ご希望の場合は部品ひとつからでも即日発送します。1週間後に欲しい場合は1週間後に確実にお届けします。 高品質で低コストな製品をお客様が指定した日付に確実にお届けするこのQCTモデルは、事業の根幹であり、全社員が意識している非常に重要なコンセプトです。 そのコンセプトを実現するための具体的な取り組みとは。 先にも申し上げた、スピーディーに対応し納期を確実に守る「時間戦略」だと思います。 例えば、お客様からの見積もり依頼は多品種・小ロットの複雑なものでも平均15分以内に確実に回答。受注書が届いたらその瞬間に処理を開始。製造現場では生産指示書にある期日までに必ず製造する。物流拠点でも指定された納期に確実にお届けする仕組みを構築しています。これらの対応処理はすべてデータ化して常にモニタリングしています。万一、納期遅れが発生したら早急に策を検討し、多少コストがかかってもすぐに対応します。 この迅速さがお客様に対する我々の「付加価値」であり、「確実短納期」の実現はリピートにも繋がります。 米国拠点においても、日本と同様の誠実で迅速な対応が今後も必須だと考えています。 アメリカと日本では、商品の需要に違いはありますか。 製造における違いはいろいろあります。ひとつ挙げるなら、アメリカでは日本で取り扱いのない製品・サービスが求められる点です。 日本やアジアでは規格がほぼ画一であるため特殊な注文は限定的ですが、アメリカではジャンボジェット機の製造を行う企業も、日本より大きいサイズの車を製造する企業もあります。するとそれらを造るために必要な自動設備も大型のものになります。自ずと製造ラインを支える自動機のサイズも大きくなり、より丈夫な製品が求められるのです。日本と同等のサイズや製品でカバーしきれないため、必要とされる製品のバリエーションも増えます。 アメリカ現地企業が求める製品、つまり現地のお客様のニーズに合ったものを開発しなければアメリカでは受け入れてもらえません。そこが日本やアジアとの違いだと言えます。 困難を共に乗り越えた時に絆が深まる。そうして戦友になれるのだと思います。 蘆田社長のキャリアや携わったプロジェクトなどを教えて下さい。 前職は日系大手メーカーで営業、マーケティング、経営企画を統括していました。 ミスミに入社し、タイでは工場長兼社長を務めると同時に、インド現地法人の前身であるインド駐在員事務所を立ち上げ、市場参入に向けたフィジビリティスタディーを実施しました。また、昨年はミスミメキシコのビジネスプランを策定し、立ち上げの総責任者を務めました。 アメリカ含めどの国でも数々の失敗を経験し痛い思いもしましたが、優秀な幹部・社員に恵まれ数々の貴重な経験をさせていただいたことにはとても感謝しています。 そのなかでも最も印象に残っているエピソードは何ですか。 11年前に初めて社長を務めたタイ駐在時のこと。設立後間もないまだ小さな現地法人ながら、250人程従業員がいました。 ところがオペレーションが全く機能しておらず、月次の損益も正確に把握できない状況の立て直しを任せられたのです。当時日本人駐在員は私を含め3人しかおらず、タイ人の社員も約9割が英語が通じずコミュニケーションが取れない状況で、何から手をつけてよいのかさっぱりわかりませんでした。製品が出荷できない、従業員がストライキを起こしそうになる、政府から訴えられるなど問題は山積し、現地人マネジャーも問題の原因すら把握していないという状況。はじめの頃現場は混沌とし、眠れない日もありました。…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】トヨタ紡織アメリカ 社長 望月 郁夫

「ずっと乗っていたい居心地の良さ」 を追求していきます。 自動車のシートをはじめとする内装部品や内装システム、フィルター、およびパワートレイン機器の開発・生産を行うトヨタ紡織。 ケンタッキー州に本社を置くトヨタ紡織アメリカは2005年に設立され、現在米州に18拠点を展開。同製品において世界トップレベルのサプライヤーとしての地位を確立している。 アメリカで17年にわたる経験を持つ同社社長、望月郁夫氏に話を伺った。 車室空間のコンセプト作りから、開発、生産までを一貫して行っています。 トヨタ紡織の歴史とアメリカでの沿革を教えてください。 トヨタ紡織の前身は、1918年に創業した漢字で表記をする豊田紡織です。名前の通り紡織業からスタートし、そこで培った技術を生かして徐々に自動車内装部品事業にも進出しました。 1990年代からは内装システムサプライヤーを目指し、2000年に豊田加工と合併。2004年に内装事業を手がけるアラコ、タカニチとの3社合併があり、そこでカタカナのトヨタ紡織が誕生し、今日に至ります。 2018年で私たちのルーツである豊田紡織の創業から100年、記念すべき節目のときを迎えています。現在世界においてもトップレベルの内装システムサプライヤーとしての地位を確立できていると思います。   1988年にケンタッキー州のハロッズバーグで工場を設立したのを皮切りに、現在米州においてはアメリカ、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンに18の生産拠点があります。トヨタ紡織アメリカが設立されたのは2005年。 約1万1,000人の従業員がおり、ほとんどが現地採用です。インディアナとケンタッキー州においては、2006年に設立されたヘッドオフィスと、4つの工場があり、トータルで1,900人が働いています。 また、アメリカで働く日本人は(現地採用・出向者を含め)約200人です。 主な事業内容を教えてください。また、日本とアメリカで事業内容の違いはありますか。 日本とアメリカでの事業内容は同じです。自動車のシートをメインに、自動車の内装部品、自動車用フィルター、およびパワートレイン機器の開発・生産をしています。 我々のスローガンは「世界中のお客様に最高のモビリティーライフを提案する」。車室空間全体のコンセプト作りから、開発、生産までを一貫して行っています。 「QUALITY OF TIME AND SPACE」というコンセプトのもと、車内でお客様が快適に過ごせるようにという思いで開発、生産を続けています。 トヨタ社以外の自動車メーカーの製品も手がけていますか。 トヨタ自動車に納入する製品の製造が主ですが、ダイムラーやBMWなどの内装部品も製造しており、自動車用フィルター、およびパワートレイン機器においてはクライスラー、ホンダ、スバル向けなどにエアクリーナ、エアコン用フィルター、インテークマニホールドも手掛けています。 今最も力を入れている分野の事業はありますか。 我々の主力製品はシートです。「ずっと乗っていたい居心地の良さ」、「世界トップレベルの安全性」の実現に貢献できるよう、シート作りを進めています。 現在、間もなく小型新型車に搭載されるシートの最終生産準備を行っています。シートは安全性を確実に確保したうえで乗り心地に徹底的にこだわりながら開発を進めています。 また、さまざまな車種に対応できるよう標準化も徹底しています。 ケンタッキー州はビジネスの拠点として、いかがですか。 ケンタッキー州は、アメリカにおける我々の製造拠点のちょうど中央にあり、さまざまな場所に高速道路を使って行くことができるという地の利があります。我々はケンタッキーのほか、テネシー、ミシシッピ、インディアナ、イリノイに製造拠点、ミシガンに開発拠点があるので、非常に行き来がしやすいです。 また、空港も事務所から10分ほどの距離にあり便利ですね。空港のサイズも、例えばアトランタやデトロイトなどの大規模な空港だと空港内の移動だけでも時間がかかりますが、シンシナティ(ノーザンケンタッキー)空港は小規模なので、すぐに飛行機の搭乗口に辿り着けます。移動時間が短縮できるのでかえって便利だと思っています。 望月社長は、いつからアメリカに赴任されていますか。 私は以前デンソーに勤めており、自動車のフィルターなどの生産技術を担当していました。デンソー時代の1990年にテネシーに赴任し、6年間勤務。そして1999年に再びテネシーに赴任して7年間、今度は生産技術だけでなく生産、品質も含めて担当しました。 その後2006年にトヨタ紡織に入社し、2014年からケンタッキーに赴任、現在5年目になります。 ですからトータルで17年間程アメリカに滞在していることになります。 アメリカでビジネスを成功させるうえで大切だと思うことを教えてください。 アメリカは人種のるつぼと言われるほど多民族国家ですので、やはり多様な文化的背景や考え方を持った従業員が集まります。日本と違って、今までずっと同じ会社に居て同じ知識を共有してきたというメンバーではありません。 ですから、何かを実行するときに目的をきちんと伝えて、なぜそれをやるのかを共有しながら仕事をするというのが非常に大切だと思います。 ただ、現地の方も各々の常識や考えを持っているので、それも受け入れて、皆が理解しやすい方法や手順で働いてもらえるようにすることが重要だと思います。私たちが常識だと思っていることがこちらでは常識ではないことも多いため、「こうしてほしい」と伝えるだけでなく、時には実際にやって見せて、目的やメリットを説明しながら伝えることを心がけています。 自動車業界は大きな変革期を迎えています。人びとの車内での過ごし方が変わり、よりシートが重要視される時代になります。 アメリカ生活はいかがですか。 1990年に赴任したときはちょうど30歳を過ぎた頃でした。家族共々来米し、最初は英語で苦労しましたが、地元の方々にもよくしていただいて、大変楽しい思い出となりました。 最初は家内も誰も知り合いがいないなか、子どもの幼稚園であったり、環境に慣れるまでに時間はかかりました。ただいったん慣れると、お父さんよりも家族の方が生活面が充実するようです(笑)。2回目の赴任からは、もう苦労はなかったですね。 いずれにしてもこちらは生活するうえでのシステムがしっかりと整っています。アメリカは非常に住みやすい国だと思っています。 座右の銘を教えてください。 座右の銘というわけではないですが、「誠実」という言葉がいちばん好きで、とにかくさまざまな仕事や人に対して誠実に向き合おうと思っています。 例えば、お客様から何か依頼されたとき、お客様の対応をするとき、社内のメンバーと仕事をするときも、若い人から年配の人までいますがそれぞれに同じように、真面目に真摯に考えて向き合うということを大切にしています。 もともと生産技術を担当されていたとのこと、技術者の方にいつも伝えていることはありますか。 これはトヨタグループにおける仕事の仕方の基本でもあるのですが、なにかトラブルが起きたときにはその原因の本質をきちんと見つけるように指導をしています。問題が起こったらしっかり解決する。 よく私たちが使うのは「5なぜ」という言葉です。5回「なぜ」を繰り返し、本当に何が問題なのかを見極めてから対策をするという意味です。 私もずっと生産技術を担当してきたので、生産拠点の現場にはよく足を運んで、製品の現物をしっかり確認するように心がけています。 今後の展望を教えてください。 現在自動車業界でよく言われるCASEという言葉があります。Cは「Connected」、Aは「Autonomous」、自動運転のことです。そしてSが「Share」のカーシェアリング、Eが「Electric」で電気自動車のことです。 今は、自動運転、カーシェアリング、電気自動車など、自動車業界そのものが大きな変革期を迎えているときです。そのなかで、私たちもお客様からの期待が少しずつ変わってきていると感じています。それに応えられるような製品を追求していく新たな努力をしていかなくてはいけないと思っています。次の世代に向けた製品作りや生産システムの基盤作りをしていきます。  …

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】アネスト・イワタ・エアーエンジニアリング 社長 白井 淳夫

全世界に供給しているオイルフリースクロール機は、世界最大規模の年間数万台に上ります。 圧縮機と塗装機器の製造において、創業から92年に渡り業界をリードしてきたアネスト岩田。連結売上高は360億円を誇る。 アネスト・イワタ・エアーエンジニアリングは、北米の圧縮機と真空機器の製造・販売拠点。約6,500台の圧縮機・真空ポンプとそのサービスを北米全域に提供し、2018年現在14億円を売り上げる。 2011年にこの北米拠点の立ち上げという一大ミッションを成し遂げた白井社長にお話を伺うべく、シンシナティのオフィスと工場を訪ねた。 世界最高水準の大幅節電、クリーンな空気、静音性、省メンテナンス性を実現しました。 会社の沿革と事業内容を教えてください。 弊社の前身となったのは、スプレーガンや圧縮機(コンプレッサ)の製造を行っていた岩田製作所という会社です。1948年には岩田塗装機工業株式会社を設立。1996年にアネスト岩田株式会社に改名し現在に至ります。1926年に横浜で創立し、2016年に90周年を迎えました。 事業内容は、圧縮機、真空機器、塗装機器、液圧機器の開発・製造、それら設備の導入です。 現在世界21ヵ国に43拠点の連結子会社と1,624名の従業員を擁し、全世界に供給しているオイルフリースクロール機は、世界最大規模の年間約3万台に上ります。   2011年2月、当社アネスト・イワタ・エアーエンジニアリングを、アネスト岩田株式会社の100%出資子会社の北米新規法人として設立し、同年4月に事業を開始しました。 シンシナティには既に約30年前からPowerexという圧縮機メーカーとの合弁会社があり、主に医療市場向け製品を製造していました。しかし、最大市場である一般工業分野向けの製品の製造に限界があったため、それらを補うべく当社を設立。とくにオイルフリーに特化した分析器、精密機械、印刷機械、クリーンルーム、さらに食品、飲料、薬品、電気部品、半導体などの製造工程向け製品が強化されました。 また、約20年前から開拓してきた真空ポンプの事業が数年間低迷していたことを受け、販売・生産拠点の設立とサービス網の再構築、現地適合商品の開発が急務となったのも設立の大きな理由でした。 アメリカ市場で展開している商品のご紹介をお願いします。 現在は主に圧縮機と真空ポンプを製造しています。 圧縮機とは、モーターなどの動力を用いて大気の約10倍の圧縮空気を作る装置です。気体は圧縮すると大きなエネルギーに変換されます。身近な例で原理を説明すると、人力のピストン運動で圧縮した空気をタイヤに送り込む、自転車の空気入れと同じです。 圧縮機の用途は多岐に渡り、病院の人工呼吸器や麻酔装置、電車やバスのドアの開閉ブレーキ、コンピューター、携帯電話、家具、郵便局の郵便物仕分け用の機械などにも使われます。食品の鮮度を保つためパッケージに充填する窒素ガスの発生装置にも圧縮空気が必要です。また、スプレーガンなど板金塗装のための機器は弊社製品が日本国内シェア第1位、約70%を占めています。   真空ポンプは、圧縮機と逆で気体を吸引し空気の圧力を下げる機械です。そのことで熱が伝わりにくくなり、空気の容量が小さくなります。身近では魔法瓶、真空パック、フリーズドライ、吸着パット、プラズマ液晶画面の脱気充填装置、半導体の製造装置などに利用されています。当社の真空機器はNASAからも性能が認められ採用されたほか、放射光や加速器施設、大学研究機関、航空宇宙施設、超 電導施設で使用されています。 製品の特徴を教えてくだい。 当社の圧縮機の特徴は、製造工程においてオイルフリーという点です。圧縮機、真空ポンプともに世界初のオイルフリースクロールを開発し世に送り出しました。 クラスゼロのクリーンな圧縮空気ができるので、食品や医薬品などの製造、病院の機器にも利用できます。音も静かで生産工程や試験施設内にインライン設置ができ、圧縮室や配管の設置が不要なので設備費を大幅に削減できます。   また、5馬力の圧縮機と8台の電動機のユニットを組み込んだ多台搭載も特徴のひとつです。40馬力の電動機を1台だけ搭載する他社製品に対し、弊社製品は1台故障しても他の7台が作動するバックアップ機構を備えています。 また空気使用量が50%のときも他社製品は40馬力の電力を使用しますが、弊社の電動機は4台のみを動かす制御運転により電力が50%で済み、省エネ大賞を2回受賞しています。メンテナンスも、1万時間ごとにチップシールとグリスの2部品を交換するのみ。 環境規制も厳しいなか、世界最高水準の大幅節電、クリーンな空気、静音性、省メンテナンスを実現した弊社のオイルフリースクロール機は、北米市場にも適合すると確信しています。 なぜ、全米でオハイオ州のシンシナティを選ばれたのですか。 まず、中西部は日系の大手自動車関連産業が集結しており、工業製品の工場が沢山あるためです。 圧縮機は、生産部品の加工や組立に必要不可欠な設備です。 また、シンシナティは、大都市のシカゴ、デトロイト、コロンバス、クリーブランド、ピッツバーグ、ナッシュビル、インディアナポリス、セントルイスに車で5時間以内でアクセスできる中西部の中心です。これらの都市に拠点を構える多くのお客様のところに比較的短時間で商談に伺え、すぐ製品を供給でき、納入後のメンテナンスサービスも迅速に提供できます。スクロール機の最大の納入先である北米合弁会社もすぐ近くのオハイオ州ハリソン市にあります。 大都市圏に比べ治安も良く、人件費や工場の賃料も廉価で、事業を展開するには優れた条件が揃っています。 アメリカでの今後のビジネスの可能性についてどうお考えですか。 アメリカには事業拡大のチャンスがまだまだあると思います。アメリカのGDPは日本の約2.5倍、そして市場規模は一国でヨーロッパ全体とほぼ同等に近いことからも、ビジネスにおけるポテンシャルは非常に高いと言えます。 創業以来、米系企業様との取り引きを主としてきましたが、一昨年から日系企業様との取り引きが徐々に増えてきました。中国と比べても、アメリカに進出している企業数は多いので、今後事業を拡大するうえでは重要な国だと思います。 弊社の場合、商品のスクロール自体が高いオリジナリティーを持っています。 米州での今後の展望は。 中期計画として、お客様の満足度を高めるべく大型機種の導入とカスタマイズ製品の開発を強化します。生産効率の大幅な改善、即納体制の整備、開拓地域の拡大とフィールドサービスの充実、装置メーカーや大学研究機関、R&D市場の開拓強化と事業拡大も課題です。 拡大基調にあるメキシコ市場は、日系企業を中心に強化を進め、関税との兼ね合いもありますが、生産部品の現地調達による原価削減も検討しています。また、ブラジルにも4年前に合弁会社を立ち上げましたが、政権交代による経済の回復が見込まれ、ポテンシャルは高い地域です。アメリカからの技術支援を強化し、とくに医療向け製品の開発・導入を行いさらに拡大を図る方針です。クリーンな空気を必要とする食品、医薬品、分析器やヘルスケア産業の市場開拓も積極的に進めていきたいと思います。 白井社長の、現在に至るまでのお話をお聞かせください。 入社当時は開発部門に所属し、主に圧縮機の設計と試作試験を行っていました。 6年後、新型圧縮機開発のプロジェクトチームに異動し、世界初のオイルフリースクロールの市場投入に携わりました。その製品は、上市された1991年当時多数の特許を有しており、約10年間競合製品が出現しなかった画期的な構造で、今でも競合は数社です。 1994年、北米の合弁会社に社で初めて技術者としての海外赴任をし、約5年間スクロールの技術提供と医療向け製品や一般工業ユニットの開発を行いました。その会社は今や約40億円を売り上げる企業に成長し、年間約5,000台のスクロールポンプを供給しています。 1998年に帰任し、海外事業部で圧縮機の海外販売課長としてアジア・北米を中心に世界中を飛び回ることなりました。2005年には中国市場開拓のため、上海へ。2008年に帰任し、真空ポンプの販売課長として、日本や欧州・北米を中心に市場開拓と事業拡大を推進しました。2011年から3度目の海外赴任でここに来て、現職に至ります。 仕事でもっとも苦労されたことは。 海外部時代も出張ベースで立ち上げに携わりましたが、一からの会社立ち上げはこれが初めてでした。 工場の設立、設備の導入、製品立ち上げ、採用や訓練、市場開拓、販売 網作り、財務、税務、基幹コンピューターシステムの導入などゼロから行いましたが、想像を超えた苦難がありました。   まず、各製品の構成・仕様は日本と同じですが、重量や体積、圧力などの単位が日米では異なり、板金の厚さやネジ径も違うため新規設計や大幅な修正が必要でした。電装品関連はUL規格の認証を必要とし、日本の基盤制御や電装品を一切使用できないことが判明。専門技術者を雇ってUL認定工場の資格証明を取得しました。アメリカにおける20馬力以下の製品として主流のタンクマウント機という機種は、弊社のスクロールにはなく、新規設計とラインの立ち上げも必要でした。販売への寄与が極めて大きいためこの立ち上げは急がれ、休日返上で作業し想定より短期間で成し遂げることができました。   また、平均雇用期間が短い国ゆえ、人材の 定着率の低さにも苦労しています。弊社にも 設立当初雇用した社員は今ひとりもいません。 技術の継承ができず、納期が厳しいときは日本…