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アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】楽天 アメリカ法人 社長 飯田 恭久

Rakutenをアメリカの誰もが知るブランドに。 楽天市場からはじまり現在70を超える事業を手掛ける楽天は、2005年にニューヨークを拠点としてアメリカでの事業をスタートさせた。 社員数は当初の150名から3,000名を超えるまでに成長し、アメリカのインターネット業界でのシェアを勢いよく広げている。 その成長の立役者であるアメリカ法人のPresident 飯田恭久(Yaz Iida)氏にお話を伺った。 事業戦略は、米国企業の買収を通じて楽天独自のエコシステムを構築すること。 楽天のアメリカでの沿革を教えてください。 まず楽天自体の沿革としては22年前に三木谷浩史(代表取締役兼社長)が楽天市場というオンラインのショッピングモールを作ったのが始まりです。 まだ22年目の会社なのですが、事業の数としては現在70を超えます。なぜここまで成長を遂げることができたかというと、会員システムの構築により、独自のエコシステムを作ることに成功したからです。日本では9,000万人を超える会員がいます。オンラインショッピングだけでなく、現在は楽天トラベルや、楽天カードなどの多岐にわたる事業を展開しています。   アメリカでの沿革をお話ししますと、2005年9月にLinkShareというアフィリエイトネットワーク事業を行う会社を買収したのがスタートでした。 インターネット事業のように目に見えない商品を日本から持ってくるというのは非常に難易度が高いことです。楽天市場のビジネスモデルを持ってこようと思っても、すでにアメリカにはAmazonが存在しています。 そこで我々が着目したのが広告主にアメリカのリテーラーやトップブランドを持ち、メディアと広告主をつなぐビジネスをしていたLinkShareでした。その立ち位置を取れば、アメリカでのビジネスが俯瞰でき、米国市場を理解するのに最も効果的な入り方ができると考えて、この会社を買収しました。 アメリカでの具体的な事業内容を教えてください。 アメリカにおいても、日本と同じように楽天のエコシステムを構築していくことです。 そのためにさまざまな企業を買収しており、具体的にはLinkShareの次にBuy.comという楽天市場と同じようなビジネスモデルの事業、それから電子書籍プレーヤーでKindleに次ぐシェアを持つカナダのkoboや、消費者の詳細な購買データを集約するシステムを作るシリコンバレーのIntelligenceなどです。Intelligenceはものすごくパワフルで、人びとの詳細な購入データ(いつ、だれが、どこで、何を、購入したか)を蓄積できるため、とても重要なマーケティングツールとなります。さらに、全米の公立図書館に置かれているデジタル書籍の分野で9割以上のシェアを持つOver Driveという会社も買収しています。 各分野で外せないイノベーションカンパニーを次々と買収してきました。   あるアメリカの経済誌に、世界におけるインターネット会社のシェア率を示したマップがあるのですが、Facebook、Amazonと並んで、Rakutenの名前も掲載されています。これからもっとシェアを広げていきたいと思っています。 また、2017年の夏より世界有数のスポーツチームとパートナーシップ契約を結んでおり、欧州サッカーチーム「FC バルセロナ」とNBAバスケットボールチーム「Golden State Warriors」のスポンサーになっています。これは、「Rakuten」というブランドを世界に広めていきたいという思いからです。 日本では多くの方に楽天を知っていただいていますが、アメリカおよび、ヨーロッパ、アジアなど世界的な知名度はまだまだです。スポーツマーケティングを通じてブランドを創るというのは、東北楽天ゴールデンイーグルスが楽天の名を日本に広めたように、楽天のブランド戦略です。 飯田社長がアメリカに赴任したのはいつからですか。 買収したLinkShareの立て直しを図るために、2008年に楽天初のニューヨーク駐在員として赴任してきました。もともとアメリカの会社なので日本人は私ひとりだけでした。さらに同年9月にリーマンショックが起こり、ビジネスを取り巻く環境はひどいものになりました。 アメリカの人々ははっきりしてるので、会社が危機的な状態になったらすぐに辞め てしまう人が多い中、このビジネスが好きだと言って残ってくれた社員たちとともに会社を立て直しました。その結果、LinkShareはアフィリエイトネットワーク業界で全米ナンバー1の評価を得るまでに成長しました。 このように買収した会社を業界ナンバー1に成長させることができたことが、アメリカにおける楽天のビジネスの起源になっています。 社員数の規模と日本人の在籍者数を教えてください。 買収した当時は150人ほどの規模の会社でしたが、現時点でアメリカの楽天グループの社員数は3,000人を越えました。 アメリカの企業を買収しているため、社員のほとんどは日本人ではありません。アメリカ全体で日本国籍の社員は50人ほどです。 自分が楽天をグローバライズするという使命感を持っています。 歴史がない分、人から教わることができないIT業界で、どのように学んでいかれたのですか。 情報の収集をするということに関してはとりわけ努力しています。 この業界は日進月歩で技術が進むので、社内外関わらずさまざまなネットワークを通じて、多くの人と話し、世の中で何が起こっているのか、どういう方向に向かっているのかということを知る努力を常にしています。とにかく日々勉強です。 4年ほど前にニューヨークからシリコンバレーに本拠地を移したのですが、その理由はシリコンバレーはITに関する情報量と情報をキャッチできる速度が圧倒的に違うからです。 日本の楽天のエグゼクティブたちも、頻繁にシリコンバレーに来て、熱心に情報収集をしています。それを止めてしまうとこの業界では生き残れません。 ご自身の経歴について教えてください。 私はもともとプロ野球選手を目指していて、甲子園出場の常連である日大三高に野球の推薦で入学しました。しかし肩を負傷し、プロ野球選手になる夢を断念しました。 附属高校だったので、そのまま日本大学に入ってこれから何をしようかと考え、たどり着いた答えが「野球以外に夢中になれるものを探しに、アメリカに行こう」でした。卒業後にアメリカの大学に入学し、英語も含めて一から勉強し直しました。実は、英語は留学した当時22歳まで一切喋れませんでした。 そして卒業後に男性用カミソリ・髭剃りのメーカーで世界ナンバー1のシェアを持つ会社、ジレットに入社しました。通常は全米トップ10くらいの大学卒業者しか雇わないような会社なのですが、偶然日本人に向けたマーケティングを強化するためにアメリカで教育を受けた日本人を探していたのです。 その次にエンターテインメント業界で世界ナンバー1のディズニーに入社しました。それぞれの分野で世界トップの企業の本社の優秀な人びとを見られたのは非常に良い経験でした。 そうしたエキサイティングな経験を経て、ダイソンが日本で事業を開始するタイミングで同社に入社しました。当初20人くらいの規模だったのですが、たまたま前任の社長が辞められて、私が社長になりました。日本の掃除機の平均単価は当時2万円以下だったところ、8万円で売ろうとしていたので「絶対に売れない、絶対に成功しない」と言われ続けていましたが諦めず挑戦し、今日のように日本の人気家電のひとつとなりました。  40歳になったとき資本の事業に携わっていたのですが、日本人として何か使命感のある仕事ができないかと思うようになりました。 そんなときにちょうど三木谷浩史に会う機会があったんです。 当時はまだドメスティックな楽天だったのですが、彼は「私はこの会社をグローバルな会社にしたい」と言っていました。それを聞いて、グローバル展開する時の役に立ちたいと思い、入社を決めました。 今までは海外の製品やサービスを日本国内で広めるという活動をしていましたが、その逆ができる。しかも楽天はモノを作っておらず、インターネットというこれからの人びとの生活のインフラとなる事業を展開している。楽天を自分がグローバライズするんだという使命感を持ちました。 それまではいわゆる外資の社長だったわけですが、それを辞めて何も知らないインターネットの世界に40歳で転職。最初の2年間は日本で楽天市場のショッピングモールの事業を担当しました。 入社当時、自分を一度ゼロにリセットしなくてはいけないと思い、まずはいち営業として働きたいと申し出ました。自分がダイソンの社長をやっていたということは社内では伏せて、22、3歳の同僚とともに毎日100件の電話営業をしました。入社時の最初の上司は新卒2年目の男の子で、毎日怒られていましたね(笑)。 そのように入社後8カ月くらいまではいち営業として働きました。現場を見たという経験は、結果的にとても良かったと思います。 今は苦しいというよりも楽しいですか? 仕事はすごく楽しいです。お金を稼がなければならないから仕事をしているという感覚は全くないですね。私にとって難しければ難しいほど面白いです。…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】AUTEC Inc. 代表取締役社長兼CEO 田中 上千

おいしくなければ広がらない。地域に根付き、学校給食にも寿司を。 寿司はロボットが握るもの。これが常識となる日が、もうすぐそこに来ている。 北米で寿司ロボットを販売するAUTEC Inc.は、味と品質を守りながら寿司のローカル化に奔走する注目の企業だ。事業拡大ときめ細やかなサービス提供のため、2016年にはブルックリンのインダストリーシティーにも新たな拠点を構えた。 寿司ロボットを武器に日本食文化の普及を仕掛ける若きトップ、田中上千(タカユキ)氏に聞く。 お客様の声を反映した商品。絶対に売れると確信していました。 事業内容とこれまでの歩みを教えてください。 55年以上前からレコードの針を製造・販売してきた、audio-technicaというオーディオ機器の会社が始まりです。 1980年代、レコードからCDの時代になり、ビジネスが低迷していた頃、金型整形と半導体技術などを生かした音響以外の商品開発に乗り出しました。社内でアイデアコンテストを開いたところ、食品関係の案が多く挙がり、1983年に子ども向けの簡単な寿司を作るおもちゃ「にぎりっこ」を作って販売しました。このおもちゃはテレビコマーシャルや「ウォールストリート」(1987年)というハリウッド映画に登場するなど国内外のメディアからも注目を集めましたが、売上面では思わしい結果は得られませんでした。 しかし、その数年後、「寿司ブーム」が起きて高級食だった寿司がスーパーや回転寿司レストランなどで手軽に食べられるようになった際に、タイミング良く業務用寿司ロボットを日本の市場に送り込むことができ、大ヒットを記録することができたのです。 アメリカに進出したきっかけは何ですか。 アメリカで寿司ブームが起こり、寿司を量産する需要が高まっていた2000年にアメリカ進出を果たしました。 オハイオ州に音響機器を販売しているaudio-technica U.S., Inc.があったことから、中西部を中心に寿司ロボットの販売を始めましたが、売れ行きは不調でした。中西部の人たちは生魚に対して保守的で、あまり寿司を食べないということが分かったのです。 そこで2年後に拠点を現在のカリフォルニア州トーランスに移転。当時、全米に約1万軒あった日本食レストランのうち33%はカリフォルニア州にあったことと、貿易上の利点や日系企業の多さなども手伝って、業績は上向きに転換しました。 市場が合っていれば商品は売れると、このとき実感しました。 業績が伸びるなかで見えた課題とは。 握り寿司用のロボットに次いでのり巻き用のロボットも開発しました。しかし機械自体が大きく値段も高額。アナログな成形方式だったため、形はできてもあまりおいしくなかったのです。 さらに、現地のお寿司屋さんに行くと、前日に炊いたお米を使っていたり、炊飯時の水加減や炊飯後の酢合わせのタイミングなどお米の基本知識が従業員ひとりひとりにまで周知されていなかったりと、おいしく作れない原因がほかにもあることが判明しました。 そこで、アメリカで使われているお米や炊飯器を日本に送り、試行錯誤を繰り返した結果、今の機械では安定した品質の寿司を作れないという結論に達し、アメリカ向けのロボット開発に乗り出しました。このとき、広いアメリカ国内で営業担当者が商品をひとりで運べるようにするため、航空会社の重量やサイズ制限に合うように設計し直し、商品をお客様の目に触れても見映えするデザインに変更。 こうしてアメリカ向けのモデルがもうすぐできあがるというタイミングで、リーマンショックの影響により、会社から撤退を命じられたのですが、諦め切れずに会社に増資を提案しました。業績不振だったためその案は通らなかったのですが、北米でのビジネスを続けるために独立したいと申し出たところ、その熱意が伝わり現在に至ります。2010年のことでした。 独立当時は、まだ29歳。さまざまな苦労があったと思います。 アメリカ向けに開発した新商品はお客様の声を反映した商品であり、必ず売れると確信していました。 アメリカ進出から10年が経ち、寿司ロボットのことを知っていただく機会が増えたこと、食の多様化が進み、健康食としての日本食がより注目されていたことなどが要因となり、独立後1年目から黒字を出し、5年後には過去の負債をすべて返済することができました。 その後、衛生面などをアメリカ国内の基準に合わせた新しい商品が誕生したのが3年前です。 最も需要が高い商品はどれですか。 のり巻き用のロボットです。握り寿司と比べてのり巻きは作るのに手間がかかるので、1日150本以上作る店であれば機械を使ったほうが効率的です。 また、弊社の商品を通して人材不足に悩む日本食レストランも応援できればと思います。 空きスペースを利用し小型ファストフード店をテナント化するフードコートビジネスの流行りや「ミールパル」(定額制のテイクアウトフードチケットの販売を加盟店の有益なデータ分析に結びつけるビジネス)のようなレストラン業界の新しい流れなども、新たなビジネスチャンスだと感じています。 ロボットで作るおいしさとは具体的に? ご飯にお酢を混ぜるのも形を作るのも含めて、作ってすぐにお客様に提供するのがいちばんおいしい。最新技術を採用した寿司ロボットは、ヒーターによって人肌と同じ温度をキープできます。 また、できた寿司を口に入れたときの空気感なども緻密に計算し、成形後に冷えてしまった寿司でもお米が口の中でほどよく崩れ、その他の具材と上手に混ざるように開発されています。 非常に緻密に計算されていますね。 お客様からも好評をいただいております。誰でも簡単に使えて、自信を持っておすすめできる商品ですから。 おいしさを保つために実際にお客様の店に行って使用状況を見て、アドバイスをすることも大切にしています。 ハードだけ売っていても生き残れない。店のコスト計画などソフトも提案していかなければなりません。 東海岸にも拠点を構え、全米での業績の好調さが伺えます。 約2年前、東海岸の売り上げが伸びた結果、西海岸と東海岸の売り上げが半々になりました。 B to B(企業向け)ビジネスは企業の抱える問題に耳を傾け解決策を提案し、お客様とともに成長していかなければ成り立ちません。お客様の声をもっと近くで聞かなければ、良いサービスや商品の提案ができないと思い、東海岸への進出を決意しました。 ニューヨークオフィスを設立してから、ニューヨーク市内での売り上げは1.5倍に増え、独立当時3人だった社員も今では14人に増えました。ブルックリンのインダストリーシティーを選んだ理由は、情報やイノベーターが集まる場所で常に新しさを求めたかったからです。 今年は、カナダ支店(オンタリオ州)も開設しました。 ビジネスと同時に、地域貢献も行っていきたいそうですね。具体的な計画はありますか。 現在、日本食レストランは全米5,000店。各店が売り上げを伸ばすためには、経費の削減や仕事の効率化のほか、デリバリーのシステムを構築することも重要です。寿司ロボットを使えば1時間に2,400個の寿司を作れるので、開店前のケータリングビジネスなどを提案することもあります。そうすれば、地域のレストランが学校給食にも寿司を提供でき、地域に寿司文化を根付かせることにつながると考えています。 また以前、寿司のことを何も知らない3人のアメリカ人から寿司店をやりたいと連絡を受けて、オハイオ州で開業の手助けをしたことがあります。寿司を食べない地域だと思っていたオハイオでしたが、その店は今年10店舗目を開き、学校給食として寿司を提供し始め、ドキュメンタリー映画にもなる予定です。 地域に根付かせるという夢が、少しずつ形になっていますね。 ビジネスの多様化が進むなか、ハードだけ売っていても生き残れない。店のコスト計画などソフトも提案していかなければなりません。地域産業であることから、他都市の流行を知りたくてもあまり外に出る時間がないレストランのオーナーに、私たちが持っている情報を提供できれば、さらなるビジネスにつながる可能性もあります。 今後進出する地域はどこですか。 我々がターゲットとしなければならないのは、まだ寿司が広まっていない地域です。 全米にある日本食レストランのうち約6割が寿司を提供していますが、その多くは非日系人の店。実際に寿司を広めてくれているのは彼らであり、この現状でどうしたら寿司をピザやハンバーガーと同じくらい浸透させることができるかが鍵となります。例えば、まな板や包丁など日本食の伝統の部分が使いこなせていないとすれば、ファストフード店のように包丁を使わなくても作れる商品の開発を検討してみるなど、簡易化を促していかなければ、日本食のローカル化ができないのではないでしょうか。 麦の文化に米の文化が入っていくには、流通しているお米や現地の人の好みを分析し、さまざまな観点から「おいしい」を見つめ直す必要があります。ある会社の統計調査によると、32%のアメリカ人が一度も寿司を食べたことがないという結果が出たといいますからね。 ニューヨークに赴任したのは2017年の12月だと伺いました。 はい。アメリカ生活は20年以上になりますが、ニューヨークに来てからは、まだ約9ヵ月です。…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【メキシコで活躍する日本企業インタビュー】フマキラーアメリカ 社長 高村 哲夫

日本では知らない人はいない殺虫剤ブランド、ベープ。亜熱帯エリアを擁し殺虫剤の需要も高いメキシコに、命を奪いかねない害虫から人びとを守るという信念の下VAPE(バペ)として渡り10年が経った。 今回お話を伺ったのは、ベープを手がけるフマキラーアメリカの高村社長。徹底的な現場主義を貫き、極小店を含む末端市場をも自身の足で歩き回る。競合大手には真似のできない、幅広い層へ商品の浸透を図るその戦略とは。 「ひとの命を守る、ひとの暮らしを守る、ひとを育む環境を守る」 フマキラーアメリカの沿革と事業内容を教えてください。 日本でベープという殺虫剤で知られるフマキラーは、1890年創業で100年以上の歴史を持つ「大下回春堂」を前身とした会社です。 1920年に今のエアゾールの原型となる「強力フマキラー液」を世界に先駆け発売しました。1963年には世界初の電気式蚊取りベープマットを発売し、ベープの名が世界に浸透しました。2000年に電池式の「どこでもベープ」を、2008年に火も電気も電池も使わない「おすだけベープ」を発売。害虫に効果的なのはもちろん、より安全・安心というコンセプトの下、常に「世界で初めて」のイノベーションを提案してきました。 フマキラーアメリカは、グループの経営理念「ひとの命を守る、ひとの暮らしを守る、ひとを育む環境を守る」の実現を当地でも目指すため2007年に設立され、2017年に創業10周年を迎えました。殺虫剤のベープ線香、ベープマット、ゴキブリ捕獲器メラメラの輸入販売を行っています。 メキシコ進出を決めたのはなぜなのでしょうか。 ひとつは、人口1.3億人の伸びゆくマーケットであること。そして亜熱帯に含まれる南東部や湾岸部に、蚊や害虫に困っている人が多いという事実にビジネスチャンスを見出しました。 フマキラーメキシコではなくフマキラーアメリカという社名にしたのは、将来的にメキシコを拠点にフマキラーをアメリカ大陸全体に浸透させていきたいという思いからです。 メキシコでの殺虫剤の需要について教えてください。 メキシコの殺虫剤市場において、金額ベースではエアゾールが約60%を占めています。次に線香、マット、リキッドと続きます。 低収入層を見ると、エアゾールよりも線香を使う方が多く、その割合は約15%。我々はこの層に焦点を当て、求めやすい価格を実現するとともに営業戦略を立てました。 営業はどのようにされているのですか。 基本的には営業員が歩き回り、市場調査を行います。各エリアの重要な卸業者と直接取り引きをし、その傘下の卸し、さらにその下の一般店、極小店にアプローチして商品の流通を図ります。この、大手メーカーの取らない手法がひとつの戦略です。ブランド力と大々的な宣伝で、スーパーマーケットなどに大量に流通させる方法もありますが、我々は逆に下からマーケットを作っていきます。 極小店などへの調査によると、箱単位で買えない人がその日に必要な分をバラで買いにくるというのです。単にスーパーマーケットに並べているだけでは、商品が全体に行き届かないことを知りました。メキシコには日用雑貨やお菓子などを売る移動市場があるのですが、そこの露天商に商品の説明をし販売をしてもらいます。こうした線香ひと巻き、マット1枚からでも販売してくれる店をひとつの大きな販売チャンネルとし、ターゲットを広げています。サンプリングも行い、ブランドへの親しみを持ってもらい、ある程度収入が上がったら一箱単位で買ってもらえる状況へ繋げられたらと思うのです。 この方法は、インドネシアで大きな成功事例があり、今はアジアの国々でも展開しています。 高村社長も直々に露店などに出向かれるのですか。 はい。営業員が事前に話をつけてきたところへ行き、直々に商談をするのがトップとしての役割です。 良い関係作りが重要で、今では「もうVAPEしか売らない」と言ってくれる露天商もいることがとても嬉しいです。事務所に座っているだけでは何も進みません。営業員とともに市場を作るための行動をとり、成功を少しずつ積み重ねてやっとここまで来ました。 競合他社との差別化はどのように図っていますか。 現状、米系の大手競合が80%のシェアを持ち、とくに線香はその名が当地線香の代名詞になっています。これを崩すべく末端市場を大切にした地道な活動は基本です。 次に、地域に合った商品開発です。例えばメキシコの蚊は日本の蚊よりも抵抗力が強いので、効力の強い処方を行います。登録時に成分を証明したうえで、我々はメキシコで唯一、蚊を殺すという意味の「Mata al Mosquito」という文言をパッケージに表示できるようになりました。 今世界では年間何十万人もの人が蚊が原因で亡くなっています。「ひとの命を守る」という経営理念の下、効き目にとことんこだわった商品の開発を行っています。研究拠点のある日本、インドネシア、マレーシアでは、定期的にエリアごとの課題や消費者の声を調査し、開発に活かします。ただし、殺虫剤には安全性の問題から各国に基準があり、申請から登録までに数年を要します。日本と同じ処方が承認されないケースもあり、当地で受け入れられる処方を考える必要があります。 さらに、日本らしい細やかな目線での商品開発も差別化のひとつです。たとえばジャンボ線香。従来品より20%長く使え、朝方活発になる蚊にも対応します。マットは、個包装にアルミを用いて成分を長く保持できるようにしました。そのほか、プラグが回転しコンセントの向きに対応するマット器具、通電時に光る安全ランプなどがあります。 価格はもちろん、機能性と安全性を追求し消費者の方に実感してもらえるものづくりにこだわっています。 線香ひと巻き、マット一枚からでも販売してくれる店をひとつの大きな販売チャンネルとし、ターゲットを広げています。 ローカルスタッフと働くうえでの苦労はありますか。 今この国の一番の難点は労務管理ではないでしょうか。国民性か文化か、なかなか熱心に仕事をしてくれない傾向にあります。とくに、地方駐在の営業員は行動管理が難しく、日報での虚偽報告が多く、営業車にGPSを取り付けて行動チェックをしています。社員募集では、条件に全く合わない人が多数応募してきたり、職歴も毎年転職しているケースも多く、入社しても3ヵ月の試用期間だけ頑張って、正社員となった途端に仕事をさぼり始めるなど、社員の定着・育成には大苦戦で、過去経験した他国に比べ労務管理の悩みは大きいです。 一方、創立10周年を迎えた2017年、1名の社員に勤続10年の表彰を行うことができました。今年も1名が勤続10年を迎えます。無理な採用を行うより今いる社員を一生懸命教育し、会社ロイヤリティーを取れる人材を大切にしていきたいと考えています。 メキシコはお好きですか? これまでインドネシア、マレーシア、インドと赴任しインドには7年半と長くいました。メキシコにきて3年半、生活水準や生活物資の入手の面でも、天国のようで非常に気に入っています。 幸い家内がこれまですべての駐在先についてきてくれ、とても助けられています。ただし、治安が悪いのは事実で外出に緊張感をともなうのは難点です。 休日はどうお過ごしですか? 職業柄か、休日はスーパーマーケットなどの売り場を巡るのが好きなんです。家内もショッピングができるので、一緒に行動できます。 店舗に自社の商品が置いていなかったり欠品していたりすると、悔しくなり翌月曜日には従業員を呼んで話します。これを続けていたら、今は営業員が注意して私の行動範囲をフォローしてくれています。売り場を見ると、自社の商品に限らず、どんな商品が売られていてどんなプロモーションをしているのかがよくわかり、それを参考に市場を分析したり、プロモーションのアイデアを練っています。 この先10年の展望をお聞かせください。 今はまだ導入商品が少ないのですが、今後メキシコ全土にエアゾールも含めた商品を導入し、安心して使えるブランドとして浸透させていきたいです。日本にある豊富なラインナップからも商品を導入し、メキシコの人に「VAPEは素晴らしい」と認識してもらいたいですね。まだまだ市場No.1は遠いですが、「殺虫剤ならVAPEだ」 と言ってもらえるポジション作りを意識していきます。 「フマキラーアメリカ」という名前に込められた、アメリカ大陸全体への展開も実現していきたいです。 最後に、メキシコに進出を考えている日本の企業にアドバイスをお願いします。 まずはメキシコを好きになって下さい。 私がここに赴任してもっともびっくりしたのは、やはり労務管理の面です。任期が2∼3年で終わるとなるとローカル社員にも足元を見られると思ったので、「私は10年はここにいるから、諦めろ」と宣言しました(笑)。ローカル社員と良い関係を築き、社員一丸となり会社を作って頂きたいと思います。 治安は少し悪いですが、自分の身は自分で守るというのが海外赴任者の鉄則です。安全管理には十分に気をつけて行動してください。 フマキラーアメリカ Fumakilla America S.A. de C.V.  社長 Director General 高村 哲夫 TETSUO…

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【メキシコで活躍する日本企業インタビュー】山善 社長 吉倉 雄二

創業70年以上となる専門商社の株式会社山善は、50年以上前より海外展開を始め、2013年にメキシコ現地法人を設立。メキシコでは自動車関連メーカーをはじめとする企業のモノ作りを支える生産設備を主に扱う。 現在はシラオ市とサン・ルイス・ポトシ市にショールーム兼事務所を構え、4,000社に及ぶメーカーの商材を流通させる。 現地法人の立ち上げからメキシコ事業の展開を手がけてきた、メキシコ現地法人社長の吉倉雄二氏にお話を伺った。 メキシコは「生産」という面で米州のハブとなるモノ作りに欠かせない国です。 メキシコでの沿革を教えてください。 メキシコでの事業は2012年の1月、メキシコシティーのポランコに駐在員事務所を設立したのが始まりです。そして、2013年の9月にレオン市に現地法人を創設しました。(2016年シラオ市に移転) 山善の海外進出は歴史が長く、50年以上前にアメリカ現地法人を設立したことからスタートしました。この業界では比較的早い海外進出になります。 現在は海外に4支社、17現地法人、67事業所を展開しており、海外で働くスタッフは1,000名を超える規模となっています。支社は北米支社(シカゴ)、アセアン支社(バンコク)、台湾支社(台北)、中国支社(上海)の4つです。 メキシコは山善の海外の現地法人のなかで最も新しい現地法人になります。米州においては早くから事業展開をしていましたが、90年代後半から2000年初頭にかけては中国を中心としたアジアへの進出に力を入れていました。中南米エリアは未開拓であったため、その足がかりとして、まずは北米メキシコでの事業展開を決めました。 北中南米エリアのなかでもメキシコを選んだ理由は、「生産」という面で米州のハブとなる国だからです。メキシコは多くの日系自動車メーカーも進出していますし、トランプ大統領就任後は懸案事項となっていますが、NAFTA(北米自由貿易協定)を締結しているため基本的には自由貿易で、モノ作りには欠かせない国です。 メキシコでの事業内容を教えてください。 山善は大きく分けてふたつの分野で事業を行っています。ひとつ目は工場生産のものづくりを支える生産財事業、ふたつ目が快適な生活空間を提供する消費財事業です。 海外での事業は、この生産財事業が中心で、メキシコにおいては、工場内の設備全般の取り扱いが中心となっています。企業が工場でものづくりをするための生産設備の流通とそのアフターサービスを提供しています。 ショールームには数多くの商品が展示されていますが、どれくらいの数の商品を扱っていますか。 バヒオ地区のショールームに展示しているのは30社ほどの商品です。我々は専門商社で、自分たちでモノを作っているわけではないため、さまざまなメーカーの商品を扱っています。取引のあるメーカーは約4,000社、商品は何十万単位のものがあります。メーカーは日系企業から海外の企業までさまざまです。 具体的にどのような設備の流通がメインですか。 四輪一次サプライヤー等の自動車産業をクライアントとする流通がメキシコでは主体です。メキシコには日産、マツダ、ホンダのほか現在トヨタの自動車工場も建設中で、多くの日系自動車関連メーカーが進出しています。我々は自動車のエンジン、ブレーキ、ステアリング等の関連部品を生産する生産設備を主に取り扱っています。その中でも特に関連部品を加工するための設備が多い状況です。 メキシコの市場のニーズを察知するためにされていることを教えてください。 組織としての情報収集です。我々は創立70年以上の企業ですので、比較的日系企業の情報は入手しやすいですが、海外企業の動向を知るのは非常に難しいです。メキシコは多国籍な企業が集約していますし、ポテンシャルの高い現地企業もあります。そのような企業の動向を知るために、さまざまな角度から情報を集めています。 現在はインターネットやSNSなどの情報網が発達しているので、そういったものも社内で独自にカスタマイズして情報収集のツールとして活用しています。マーケティングに役立つ情報収集をいかにして組織立って行うかというのが今後のカギになると考えています。 メキシコ法人の日本人社員の割合はどのくらいですか。 現在27名のスタッフのうち、日本人の駐在員は5名で、そのほかはメキシコのローカルスタッフです。社内は英語が公用語です。 本来であればお互いに第二言語でコミュニケーションを取るより、この国の文化を知るという意味でもスペイン語の方がよいと思うのですが、なかなか日本人スタッフ全員がスペイン語を習得するというのも難しく、私も現在勉強中です。 ローカルスタッフと仕事をするうえでの困難はありますか。 日本人とメキシコ人のメンタリティーは当然違います。私はメキシコに赴任する前は、中国に7年ほど駐在していましたが、どの国であっても国ごとに文化の違いがあるのは当たり前のこと。メキシコ人は比較的のんびりとした国民性だと思います。 また、日本人は良くも悪くも仕事の優先順位が高いですが、メキシコ人は必ずしもそうではありません。ですから、モチベーションを高く保てる環境を作ることで、ポテンシャルの高いメンバーに継続して働いてもらえるように心がけています。単純に給与を上げれば良いということではなく、ローカルスタッフは若年層も多く、自身の能力向上に敏感です。働くことで自分自身の能力が向上していく、組織はそのためのチャンスを提供してくれると感じさせることが大切だと思います。やる気のあるメンバーには、個々人の能力を上げるためのチャンスをできるだけ与えるようにしています。これは国民性の問題ではなく万国共通のことだと思いますが、能力のある人ほど自分のスキルアップを実感すると、やりがいを感じてくれます。所謂、知的好奇心に訴えかける事が重要だと思います。もちろん成果に対する報酬を与えることも行っていますし、結果、やったことが報われるという環境作りも、その上で必要だと考えています。 メキシコを足がかりに、未開拓である中南米のマーケットを開拓していきたいです。 メキシコの事業において最も力を入れて取り組んでいることは何ですか。 組織の拡大とサービスを含めたCS(顧客満足度)の向上です。そのためには組織としての体制をしっかり強化していかなくてはなりません。当然メンバーのレベルアップもそうですが、サービスに対しどのような付加価値をつけていくかという事も重要だと考えています。エンジニアによる日本と同等の決め細かなアフターサービスなども付加価値のひとつとして力を入れて取り組んでいます。 今後の展望を教えてください。 メキシコを足がかりに、未開拓である中南米のマーケットを開拓していきたいと考えています。これは5年以内に達成したい目標です。 吉倉さんご自身について教えてください。メキシコに来て何年目ですか。 メキシコのビジネスに関わり始めたのは2011年からです。立ち上げ当時は本社からの出張というかたちでしたが、メキシコ現地法人に赴任してからは4年目です。 メキシコは比較的高地にあり、メキシコシティーの標高は2,200メートルほど、中央高原でも標高が1,800メートルほどあります。富士山の5合目と同じくらいの高さで生活していることになりますので、スポーツ選手が行う高地トレーニングを常にしているようなもの。ダイエットには最適な環境で、私はメキシコで生活を始めてから体脂肪が減り、ウエストは5センチも減りました。生活しながらダイエットができて一石二鳥です。 休日はどのように過ごしていますか。 趣味のゴルフを楽しむことが多いです。メキシコにはプロゴルファーがツアーで周るような非常に広くてチャレンジングな面白いコースがあるのが魅力です。おすすめのゴルフ場はトーナメントでも使用される名門コース、エル・ボスケです。 また、遠いのでなかなか行けないですが車で6時間ほどかけて釣り場に行き、釣りをすることもあります。日本では釣れないような大きな魚が釣れますよ。 吉倉社長の座右の銘を教えてください。 常に思っていることは「同じアホなら踊らにゃ損」。どうせやるなら面白く、楽しくやりたいと考えています。この考えは仕事もプライベートもどちらにおいても大切にしています。 そして、何事においてもやらないよりやった方がいい。よく言われていることですが、やらない後悔よりもやった後悔の方が断然良いと思います。私は攻めが得意で、どちらかというとディフェンスが弱いと言われていますが(笑) 山善自体も関西が本社ですが、私も大阪出身の関西人です。定期的に社内でも食事会を開いて楽しむようにしています。メキシコの方も集まってワイワイするのが好きな方が多く、メキシコのラテン系の気質は関西人に近いところがあるなと感じています。 最後にこれからメキシコに赴任する読者の方にメッセージをお願いします。 メキシコは日本から見れば治安の面で不安なところもあり、我々のスタッフも少なからず被害に遭っているので注意は必要ですが、住めば都です。食事も美味しいですし、気候もよく、住みやすい国だと感じています。 アメリカとの問題など悪いイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、市場もまだまだ伸びていく、大きなチャンスがある国です。ぜひ、一緒にメキシコでのビジネスを楽しみましょう! 株式会社山善 Yamazen Mexicana S.A. de C.V.  社長 President 吉倉雄二 YUJI YOSHIKURA 1971年生まれ。1996年株式会社山善に入社。2001年より7年以上中国に駐在し、現地でのビジネスを展開。2005年に広州事務所所長に、2010年に国際本部機工部課長(部門名は当時)に就任。2014年メキシコ赴任。2016年より現職。 ※2018年7月インタビュー時点 Interview:Kaori…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】トヨタ自動車 EVP/ Chief Administrative Officer 小川 哲男

2017年7月、カリフォルニア州、ケンタッキー州、ニューヨーク州の各拠点をテキサス州プレーノに移転・集約させたトヨタ自動車。 本社機能の集約を目的とした「ワン・トヨタ」のスローガンを掲げ、ますますその動向に注目が集まっている。 まだ移転して間もないプレーノの新社屋を訪問し、小川哲男氏に話を伺った。 ビジターからネイバーへ アメリカでのトヨタの歴史を教えてください。 2017年にアメリカ進出60周年を迎えました。 1957年に車を輸出する事業から始めたのですが、最初のオフィスはハリウッドにありました。1937年にトヨタ自動車工業株式会社が設立されたので、それから20年の時を経てアメリカに居を構えたことになります。現在、本社1階のショールームには、記念として当時販売していたクラウンとランドクルーザーを展示しています。 1977年からはアメリカ国内での技術開発に着手し、1986年にはケンタッキー州に工場を設立、現地での生産がスタートしました。 それから約30年後の2017年に本社機能をここプレーノに集約し、「ワン・トヨタ」という形となりました。 アメリカに進出してからの60年を振り返ってみて、いかがですか。 やはり進出当時のことは会社にとって印象深いものでした。 当時はまだ商品的にも未熟だったうえ、デトロイトのビッグ3が全盛期を迎えていました。トヨタの車はなかなか積極的に売ってもらえず、マイナーな存在でした。当時の苦労は計り知れません。 最近では、2010年前後のリコール問題があります。現地で生産・販売を行いそれなりにステークホルダーが増えていた頃の出来事で、アメリカの一企業として足りない部分があったと痛感しました。 北米の本社機能を集約されたのはなぜですか。 今までバラバラだった製造・販売・金融などの各機能を集約することで、意思決定のスピードを上げ、業務の効率化を目指したのが大きな理由です。 また、2010年前後のリコール問題も大きなきっかけのひとつでした。アメリカでまだまだビジターの域を出ていなかったと感じ、ひとりでも多くのサポーターを確保するためには、地域への強いコミットメントが必要だと考えました。 移転にあたっては1,000億円近くをすでに投資しており、プレーノが我々の「ホーム」であることをアメリカの地で宣言することは、ビジターからネイバーへの転換を図るという意思表示でもあります。 プレーノ近郊の環境はいかがでしょうか。 カリフォルニアには、お金では買えない気候の良さがありました。しかし交通渋滞には常に悩まされ、郊外でないと家を買うのが難しいのも事実です。 その点プレーノは、コスト・オブ・リビングやクオリティー・オブ・ライフの観点から見て豊かですね。20近くの大学があり中学校、高校の水準も高いため、ローカルの社員にはその点を評価し移住を決めた者もいると思います。 新社屋の規模はどれくらいですか。 正社員が約4,000名、ビジネスパートナーの方を含めると6,000名程度が働いています。そのうち日本人出向者の数は約120名です。 しばらくこの規模での運営を考えています。 移転されてまだ間もないですが、現時点でのご状況は。 機能をひとつ屋根の下に集めたことで、部署を越えたディスカッションや、ジョブローテーションが可能となりました。 また、各機能の特性が混ざり合い、新しいカルチャーも生まれます。 (部屋に飾ってある象の写真を見て)この写真は戒めとして飾っています。自動車産業は非常に裾野の広い産業なので、全体を捉えることが重要です。象の鼻だけを見るのではなく、足はどうか、耳はどうかと全体像の中で考えられるようになってきたことは、機能統合のひとつの成果だと思います。この象の例えは、社長の豊田の教えでもあるんですよ。 テキサス州でビジネスをされる利点は何でしょうか。 土地も広大で、全米各都市、カナダ、メキシコへ4時間圏内という交通の要所でもあり、時差の面でもコミュニ ケーションが取りやすいです。レストランやショッピングモールも増え、とても伸びしろがあります。 今後も大企業の本社機能の移転が続くのではないでしょうか。 次はアラバマ州にマツダとの合弁の工場を建てられると伺いました。なぜアラバマなのでしょうか。 これは大変ありがたいお話で、20を超える州から誘致のお話を頂きました。 各州の方と真摯に話し情報交換をしてきたのですが、物流面やサプライヤーのリソース面、州の労働人口などを総合的に判断し決定に至りました。建設予定地は広い平地のコットンフィールドであるため、迅速な立ち上げには最適でした。 稼働は2021年を目指しており、カローラの15万台生産、約4,000人の雇用を予定しています。 テキサス州内でのCSRにも力を入れているそうですが、具体的にどのような活動をされていますか。 例えば、フードバンクや病院への支援などです。弊社にはサプライヤーの支援組織があるのですが、そのノウハウを生かして活動しています。フードバンクでは、在庫物資の「見える化」を実施し、必要なものを必要な時に配布できる仕組みを作りました。病院へは、待ち時間を短縮する改善策を講じました。こうした地道な活動を通して、地域に密着した会社を目指しています。 以前、テキサス州知事が「リーマンショックで景気が悪化した時も、トヨタは誰ひとり解雇しなかった。私は今なおそれを覚えており、その時にトヨタを真の友人だと思った」と言ってくれたんです。投資額や雇用数といった数字ではなく、ひとつのストーリーとして知事の記憶に残ったことは大変嬉しいことです。 テキサス州はとても伸びしろのあるところです 土地も広大で、競合も多いアメリカでのマーケティングはどのようにされていますか。 トヨタブランドは、全米に12のリージョンオフィスがあり、レクサスは4つのエリアオフィスがあります。土地ごとに合ったマーケティング施策があるので、各地域のディーラーと細かい戦略を策定しています。例えば、車の価格を下げるのがいいのか、金利に対して過敏なのかなどを分析します。全米共通の戦略は少ないですね。 「カムリ」は16年連続、全米での販売数が第1位と伺いました。 本当にありがたいことですが、アメリカでの乗用車販売台数においては2002年から16年連続1位を獲得しています。高い支持を頂いているのは、お客様の声に耳を傾けつつ、信頼とともに快適な自動車を提供し続けてきた結果だと思っています。 初期のカムリに比べ、アメリカのお客様の嗜好に合わせ車体は大きくなっています。それでいて燃費が良く壊れにくいため、一定数のアメリカ人にとって必需品のような位置付けになっているのではないでしょうか。 アメリカ人にとって車の存在とは。 文化的にも、生活手段としても切り離せないと思います。 カリフォルニアにいた時、私の娘は16歳になってすぐ免許を取り、車で高校に通っていました。日本だと考え難いことですよね(笑) テキサス州ではピックアップトラックやSUVに対する嗜好が高い傾向がありますが、スポーツカーもよく見かけます。そのなかでカムリの売れ行きが長きに渡り好調なのは、本当にお客様のおかげです。 カーシェアリングや電気自動車の普及で、マーケットはどのようになっていくとお考えですか。 カーシェアリングに関しては、共存の方法を考えています。今後もある一定のバランスは保たれると思うので、自動車の所有がゼロになることはありません。 電気自動車(EV)については、テスラに代表されるピュアなものは1%に満たない状況です。電動化は、ハイブリッド車やプラグイン・ハイブリッド車なども含め環境対応のためさらに進展していくと思います。 2018年1月にラスベガスで開催された展示会CESでは、電動化、コネクティッド、自動運転技術を活用し、移動、物流、物販など多目的に活用できる次世代EV、“e-Palette Concept”を出展しました。そのパートナーとして、アマゾン、ピザハット、ウーバーなどとアライアンスを締結しました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは一部機能を搭載した車両の実証実験を行う予定です。 ご自身についてお聞かせください。座右の銘はありますか。 そんな偉そうなものはないのですが、ひとつ大事にしていることは“Keep…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【メキシコで活躍する日本企業インタビュー】日産メヒカーナ 副社長 難波 喜一

1933年に神奈川県横浜市に設立して以来、大手自動車メーカーとして躍進を続ける日産自動車株式会社。現在は日本を含む世界20の国や地域に生産拠点を持ち、60以上の国や地域で商品を販売している。 今回訪れた日産メヒカーナは、今となっては世界中から注目を集めるメキシコに根を張って約60年、長い歴史とともに強い信頼を積み上げてきた。 現地メキシコ人スタッフの能力を活かし、お客様が必要としていることを理解し、確実に要望に応えられるようになってきた。 まずはメキシコでの沿革について教えてください。 メキシコでは1959年に、販売会社としてスタートしました。すでに60年近くの長い歴史があります。1961年には日産メヒカーナを設立、1966年には日産初の海外生産拠点であるクエルナバカにあるシバック工場で生産を開始しました。 現在はメキシコ国内に4工場(うち1工場はダイムラー社との合弁)、メキシコシティーのトルーカを中心に4ヵ所の開発拠点があります。 全体の社員数と日本人の比率はどれくらいですか? メキシコ全体で現在は約1万7,000人の社員がいます。私が勤務するR&Dは約650人、そのうち日本人は約30人で、全体の約5%です。 現地化を積極的に進めているのでメキシコ人の社員が中心ですが、ほかにもアメリカやブラジルからの赴任者など、多様な人種で会社が成り立っています。この多様性を活かしながら、日本やアメリカとの協業をスムーズに進めるためには、互いの理解を常に意識して高めていくことが重要です。 ここまで現地化が進んでいるのはすごいですね。 日本や北米との働き方、日産での仕事のやり方に慣れてもらうには、継続的なトレーニングが必要となります。 現在R&Dには2名のメキシコ人ディレクターがいますが、彼らはかつてシバック工場にR&Dが併設されていたころから30年近く勤続し、今はマネジメントに携わっています。これは、人材を継続して育ててこられた成果だと思います。そういった環境を整えて頂いた先輩方には、本当に感謝しています。 これからの若い世代を将来に向けて育てていくのが我々の重要なタスクのひとつです。 主な販売先はメキシコ国内でしょうか。 合弁も含めたメキシコ国内の4工場合わせると年間89万台強の車を生産をしており、そのうち約36万台をメキシコ国内で販売しています。他社と比べてもメキシコ国内向けの生産比率が高いのではないかと思います。 輸出に関して、主な輸出相手国はアメリカやカナダですが、アルゼンチン、ブラジル、チリなどのラテンアメリカ、欧州やアジア、アラブ諸国などにも広く輸出しています。 過去9年以上、メキシコのマーケットでトップシェアを占めている理由は何でしょうか。 これまでの歴史のなかで、お客様の細かなニーズにこたえられるよう、商品ラインナップ、ディーラーネットワークやサービスを継続して改善し続けてこられたことでしょうか。 メキシコでは、機能的かつコンパクトなサイズの車種が人気です。いちばんの売れ筋は、30年にわたってメキシコでの弊社のアイデンティティーを築き上げてくれたツルを受け継ぐヴァーサで、室内が広いのが好評です。さらにメキシコのお客様に魅力的に感じて頂けるよう、メキシコ専用の2トーンカラーの導入などを企画と連携して短期間で導入するなどしています。 弊社は、おかげさまで長い年月をかけてお客様にご愛顧を頂いてまいりました。現地のスタッフの能力を活かし、お客様が必要としていることを理解し、確実に要望に応えられるようになってきたことが大きいと思います。これからも引き続きお客様の期待にこたえられる商品を提供できるよう努めていきます。 車のマーケットを見ても、メキシコの街並みを見ても、どんどん変わっていく。その変化が本当におもしろい。 今日に至るまでには、さまざまな苦労があったことと思います。 60年も前に販売、生産、開発を立ち上げるのは当然大変な作業の連続だったと思います。 また、車には多くの部品が使われています。そのため、部品を納入して頂いているサプライヤーの方々のご協力が不可欠です。今は当たり前のように多くの部品を納入して頂いていますが、生産を開始したころは日本からのノックダウン生産から始まり、少しずつサプライチェーンを整え、本当に大変だったろうと思います。 さまざまな変化があるなかで、調達の最適化は競争力を維持する ためには不可欠な要素なので、時々の状況を鑑みながら常に検討を進めています。 北米の大きなマーケッ トと年間約36万台の車が売れるメキシコ国内のマーケットは、弊社にとってとても重要です。競争力のある商品を開発・生産できる環境が整う日産メヒカーナをこれからも大切に育てていきたいです。 今メキシコでもっとも力を入れていることは何ですか? メキシコからの輸出先国は多岐にわたっています。今後も成長を持続し、より広いエリアに対して対応していくには、商品に関わる全員が現地のニーズを理解し、商品の魅力・品質を継続的に上げていく必要があります。そのためには、本社、開発、生産がひとつになって、密に連携をとっていくことが重要です。 将来に向けてメキシコ全体がさらに強力なワンチームとなるよう、部門間の連携を強化して、メキシコ全体の能力を高めていきたいですね。 今後の目標について教えてください。 約60年間をかけてメキシコで活動させて頂いたことが、弊社のブランド力の源となっています。 メキシコでのビジネスを成功させるためには、ますます魅力的な商品を提供していく必要があります。メキシコのお客様にとってどんな商品が魅力的か。これを知るためには現地の方の知識や経験を最大限に活用する必要があり、ビジネス環境を考えながら、今後も最適な現地化を考えていきたいです。 同時に、重要な北米市場での競争力を向上するため、北米拠点との連携強化を通してメキシコ全体の開発能力向上を図るのが目標です。 難波さんご自身について教えてください。 日産では20年間、車体の内外装の開発、設計に関わっ ていました。その間アメリカに4年、フランスに2年の赴任を経て、海外赴任はメキシコが3ヵ国目です。 現地の状況を肌で感じることのできる海外勤務では学ぶことはとても多く、チャンスさえあればいつでも海外赴任はしたいという想いはあります。昨年2017年の4月にフランスから日本へ帰任したばかりでしたので、今回メキシコへの赴任を内示されたときは驚きましたが(笑)。 メキシコには2018年の4月に来たばかりです。家族を一緒に連れて来ることも考えましたが、今まで転校が多かった子どもも中学生になり、彼らの学校生活も考え、今回は単身赴任にしました。 今はメキシコシティーのポランコに住んでいます。買い物も食事をする場所もたくさんあるのが嬉しいですね。 メキシコの印象はいかがですか? とにかく食事が美味しい! 単身赴任で外食ばかりしていると太りそうで恐いので、週末はなるべく自炊して作り置きするようにしています。 そして一緒に仕事をしている人たちが本当に親切です。困ったことがあっても、助けを求めれば手を差し伸べてくれる、そんなアミーゴの国の優しさをメキシコの人たちに感じます。 これからメキシコに赴任する方へのメッセージをお願いします。 メキシコは人も街もエネルギッシュな国。パワーに溢れたチャレンジングな場所です。 車のマーケットを見ても、メキシコの街並みを見ても、どんどん変わっていく様子が本当におもしろい。これだけ日々成長して活発に変化しているマーケットは、世界中を探してもなかなかありません。 赴任前は心配なこと、不安なことはたくさんあると思いますが、この変化を楽しみにして、メキシコまでいらしてください。 日産メヒカーナ Nissan Mexicana, S.A. de C.V.  副社長 Vice…

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【メキシコで活躍する日本企業インタビュー】東京海上メキシコ保険会社 CEO 岡本 和典

世界各国に展開し、人々の暮らしや事業に「安心」を提供し続ける東京海上。メキシコでは2019年、法人化25周年を迎える。治安やインフラにまだ不安のあるメキシコで、リスクマネジメントの重要性を説き、日系企業の活躍を最大限バックアップしている。 従業員のモチベーション向上の先に会社の成長を見据え情熱的に取り組むのは、CEOの岡本氏。その精神力の源とは何なのか、メキシコシティーのオフィスでお話を伺った。 目に見えない商品を扱う分、それに携わる従業員の主体性、情熱が大切です。 東京海上メキシコの沿革について教えてください。 1973年に駐在事務所を設立し45年が経ちました。現地法人にしたのは1994年のことで、2019年で25周年を迎えます。 はじめは日系企業様向けの保険を提供するところからスタートしましたが、近年は地元メキシコのお客様にも保険を提供し、その割合は30%を占めるまでになりました。 社員はケレタロの拠点も含めて合計140名程が在籍し、駐在員は私を含め7名です。 事業内容や扱う保険の種類について教えてください。 保険種目はさまざまで、企業向け保険が約90%を占めます。大きく分けると損害保険では倉庫や工場、事務所の火災保険、物流の保険、そして賠償責任保険を、生命保険では企業向けの団体生命保険を扱っています。 また、駐在員の増加にともない個人向けの保険も増えています。住宅の火災保険や自動車保険のほか、火災保険の特約としてのゴルフ保険も扱っています。さらに、日本からの駐在の方が医療保険などの代わりに加入される海外旅行傷害保険のメキシコでの日本語での事故対応も行っています。 メキシコ市場の開拓、営業はどのようにしていますか。 値段は大切ですが、値段だけで勝負をせず、物流のロスプリベンション(損害防止サービス)や工場の防災アドバイスなど、高度なノウハウや経験を活かしたサービスを提供しています。 事故があった時にできるだけ早く適正にお支払いをすることは当然ですが、お金だけで解決できないことも多く、事故自体が起こらないことがお客様にとっては重要です。このような事故を未然に防ぐためのサービスやアドバイスを弊社は得意としています。今年から、事故軽減策を提案する事故対応専門の駐在員をひとり増員しサービスを強化しており、そういった部分は競合の欧米系やメキシコの保険会社よりも手厚いのでメキシコのお客様にも高い評価を頂いています。 営業部隊は日系企業様向けとメキシコ企業様向けに分けており、メキシコ企業様向け営業メンバーを中心に各部門に優秀なメキシコ人のローカルスタッフも増えてきています。 東京海上には、できるだけ現地の優秀な人材を採用し、社の企業文化、フィロソフィーを理解して定着してもらいたいという方針があり、真剣に取り組んでいます。 メキシコの離職率は非常に高いと聞きました。労務関係の苦労などはありますか。 実は今そこにもっとも力を入れています。保険会社は目に見えない商品を扱う分、携わる従業員の主体性や情熱が大切で、真剣にお客様のために考え行動することが何より重要と考えています。 利益はお客様に選んで頂いた結果最後についてくるもの。つまり「世のため人のため」であり我々は「ビヨンド・プロフィット」と呼んでいます。利益は空気のようなもので、無くなると生きていけない大事なものですが、我々の生きる目的は呼吸をすることではありません。東京海上にとってその目的が「世のため人のため」なのです。利益のその先を目指そうという共通認識を世界中の拠点で持ち、給与で人を引き止めるだけでなく、企業文化やコーポレートビジョンを皆で議論して従業員のモチベーションと定着率の向上を図っています。メキシコでも全従業員で会社のビジョンを議論し再定義しました。 また、役職や部門を問わず「私たちの存在意義」、「働く意義や目的」を考え、意識するよう働きかけています。それらが見えてくると主体性や情熱に繋がります。これを弊社グループでは「To be a Good Company(グッドカンパニーを目指して)」と呼んでいます。 メキシコ赴任前は本社でそのフィロソフィーを考え、とくに海外での浸透を図る役割の部門に所属し、色々なプロジェクトに携わりました。メキシコでは直属上司との定期的な一対一の面談・コーチングや、満足度調査、リーダーシップ研修などに取り組んでいます。その成果か従業員の定着率もこの2、3年で劇的に上がりました。 利益が上がっても、従業員の満足度や定着率が低ければ意味がありません。何かの縁でここのトップを任されている限り、これは私の最大のミッションです。とくに駐在員には、駐在期間にこの先ずっとメキシコのお客様や従業員から選ばれる会社を皆で創り、代々未来へ繋いでいこうと伝えています。 今後に向けてどのような戦略を立てていますか。 東京海上グループ全体で、2018∼2020年の3ヵ年計画というものを作り、メキシコにおいては3つの戦略を立てています。 まず、日系企業様・現地企業様向けともにオーガニックグロース、つまり足元の成長を図ることです。 次に、グループ企業とのシナジーや現地大手保険会社などとのアライアンスです。東京海上グループ全体の収益は日本国外が全体の5割と近年は急速に海外で成長しており、アメリカなどでも大型の保険会社を数千億円の規模で買収しています。実は、最近買収したアメリカの会社と、今色々なアライアンスを組んでおり、メキシコではまだあまり普及していないアメリカ発の保険商品を導入する予定です。 3つ目は、コロンビア、ペルー、パナマ、ベネズエラ、チリなど中南米戦略を強化していくことです。弊社の場合、これらの中南米諸国をメキシコで担当しています。 何かの縁でここのトップを任されている限り、従業員の満足度や定着率を上げていくことは私の最大のミッションです。 メキシコ特有の保険商品について教えてください。 とくに物流時や倉庫での盗難や事故など、治安や物流インフラに起因する事故が非常に多く、メキシコに進出された日系企業は苦労されるケースも多いです。日系企業のアメリカ向け輸出は非常に伸びていますので、我々がお引き受けしている物流の保険も比例して伸びています。我々は、事故発生時のお支払い以前に、できるだけ事故が起こらないよう、過去の多くの事例から得た運送会社の問題や、盗難や事故が起こり易い時間帯、ルートといった情報をお客様に提供し、事故削減策を講じることに力を入れています。本来の保険金支払い業務にくわえ、ロスプリベンションはとても大事な業務なのです。 くわえて、買収したアメリカの会社と共に取り扱っている新商品の例として、D&Oという保険があります。“Directors and Officers(役員賠償責任保険)”の略で、アメリカで既に広く浸透しており、メキシコでも増加している、企業の役員が訴えられたケースに備えるための保険です。今後、時代のニーズに合わせた新商品の開発を予定しています。 スペイン語がご堪能ですが、どこで学ばれたのですか。 研修も入れると9年間赴任していたスペインのバルセロナで、ゼロから学びました。メキシコでの3年と合わせて12年間スペイン語環境で生活していることになります。一緒にスペインにいた妻はスペイン語を話し、長女もバルセロナ生まれです。長男、長女ともにスペイン語、英語を学ぶ環境におり、せっかくなのでこのまま伸ばしてあげたいと思っています。 また、スペイン語を話せない社員が赴任するときは、ホームステイをしながら学校に通ってもらったり、熱心な人は毎朝スカイプレッスンを受けるなどして学ぶ機会を持っています。まったく話せなかった人がスペイン語でプレゼンできるようになったりすると、面白くてさらに勉強も進むようです。 座右の銘はありますか。 “Today is the first day of the rest of your life”です。私の尊敬する社長が常に言っている言葉なのですが「いつでもスタートできるから前向きにやっていこう」という意味で す。 私はフルマラソンを何度も走っていますが、マラソンもこの言葉に通じています。42キロの道のりで、30キロまでは調子が良くても、残りの10キロで何があるかわかりません。長い人生、調子が良くても浮かれず、悪くても諦めず、一喜一憂しないこと。毎朝走っているのですが、すべてから解き放たれて自分ひとりで色々なことを考えられる良い時間で、健康にはもちろんメンタルにもとても良いです。 これからメキシコに進出する日系企業にメッセージをお願いします。 メキシコは、生活面で大変なこともありますが、それを上回る良いところがたくさんあり、ビジネスの市場としても間違いなく面白い国です。実際に来てみると、伸びゆく勢いやたくましさに触れ、悪いイメージが覆るパターンが多いと思います。…

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【メキシコで活躍する日本企業インタビュー】全日本空輸(ANA) メキシコシティ支店支店長 大下 秀史

近年、日系企業の進出が盛んになり、観光客数も増加の一途をたどるメキシコ。2017年2月、全日空(ANA)は誰もが待ち望んだメキシコ・日本間の直行便の就航を実現させた。メキシコは中南米への入り口でもあり、日本と世界を繋げる重要拠点としても注目されている。 地球の裏の親日国との距離をより近付けた立役者、日本を代表する航空会社ANAの、メキシコシティ支店を訪ねた。 日墨のあらゆる面での交流がより活発になるよう貢献し、両国の架け橋になりたいと思います。 メキシコシティ支店の沿革を教えてください。 2015年7月、当時営業支店として3名の職員でスタートしました。メキシコ路線の開設に合わせて支店が増強され、2016年12月にオフィスを移転。そして2017年2月、日本・メキシコ間の直行便就航に至りました。 現在は職員も8名に増え、営業だけでなく総務・経理機能やスペイン語のコールセンター、旅行代理店の対応デスクなどが入っています。空港にも空港所という事務所を開設し、16名のスタッフでカウンターのスーパーバイズなどを行っています。実際のチェックイン業務は別会社に委託をしています。 直行便就航後、日本人の動きに変化はありましたか。 2015年7月の支店開設時に赴任してから2年10ヵ月ほどになりますが、直行便就航後、明らかに日本人の観光客が増えました。以前は見かけなかった場所で日本人を見かけるようになったのです。 今メキシコには約1,200の日系企業が進出し、在留邦人は1万1,000人を超えました。直行便のお客様は日本人の割合が高く、日本とメキシコどちらにお住まいの方からもご利用頂いている状況です。とくにメキシコシティの駐在員や日本からの出張者からは、アメリカへの入国をともなう乗り継ぎがないことで、体力的にも精神的にもストレスが減り、便利になったと言われます。日を追うごとにメキシコ人や、韓国・中国などアジア系のお客様も増えています。 直行便就航までの歩み、経緯をお聞かせください。 メキシコと日本の経済関係はこの5年程で急速に発展し、日系企業の進出とともに邦人の数も増えてきました。両国の結びつきが強くなるにしたがい、需要がまだ増えるであろうことを確信しました。もっとも大きな決め手は、メキシコにある日系企業から「日本の航空会社に直行便を飛ばしてほしい」という機運が高まり始めたことです。 これに合わせて支店の開設に踏み切り、2016年1月に正式にメキシコ路線の開設を発表、メキシコの航空当局や空港会社との折衝を開始しました。 しかし、メキシコシティ空港は非常に混雑空港で、離発着の枠がほとんど空いていませんでした。枠を確保するのに約半年を要し、実際に午後着の枠をもらえたのは、2016年11月のことでした。その時点で、既に2月15日の就航を発表していたので大変です。支店や空港所の立ち上げを急ピッチで行い、幸い計画通りの就航へと漕ぎ着けたのです。 直行便就航において、課題はありましたか。 メキシコシティは標高が2,240メートルと高く、酸素が薄くて燃焼効率が悪いため、エンジンが100%のパフォーマンスを発揮できません。日本からの便では多い日は20トンの貨物を積み、客席も全席販売できるのですが、メキシコ発便には重量制限があるため、全席を乗客で埋めることができず、貨物も載せられません。需要のもっとも高い時期にも、座席が一部空いている状態になるため、お客様にはよく「満席だと言われたのに、乗ってみたら席が空いているじゃないか」と言われてしまうことがあります。 直行便をご利用いただけなかった方には、ヒューストン経由便をご案内するなど、直行便以外にも多様な選択肢を提供することで利便性を確保するよう努めています。 また、現在新しいエンジンも開発中です。完成し機体に搭載できるまでにはもう少し時間がかかりそうですが、機内を満席にできる日を心待ちにしています。 ぜひ、我々の飛行機に乗ってメキシコにお越しください。 機内食の導入にも大変な苦労があったと聞きました。 我々は、機内食にはとても力を入れています。日本発便の食事は日本で、メキシコ発便は基本的にメキシコで作っています。通常海外では、日本人のシェフが常駐し空港で機内食を作ることが多いのですが、メキシコではまず、人材確保の面で苦労しました。現在は日系人のシェフが担当して機内食をご用意しています。 もっとも苦労したのは、日本食に欠かせない白いごはんでした。メキシコシティは標高が高いため沸点が低く、家庭でもお米を炊いたりパスタを茹でるのが難しいのです。もちろん食べられないことはないのですが、就航開始後半年経っても、なかなか日本人のお客様に満足してもらえるだけのレベルには達しませんでした。スタッフが月に何回も現場に出向き、圧力釜を使ったり、水の量を加減するなど試行錯誤を重ねました。そして去年の秋口、半年以上かかってようやく白いごはんを安定的に炊けるようになったのです。絶妙なごはんの炊き具合というのは、日本食を食べ続けてきた日本人でなければ理解できないのは仕方のないこと。また、盛り付けにもこだわりを忘れたくありません。そのため、今もなお月に1回はスタッフが現場に足を運び、品質の確認を行っています。 こんなに大変なものなのかと思いましたが、ようやく安定し始めた品質を、今後も維持していきたいと思います。 メニューの考案・決定はどちらでされているのですか。 全世界共通で東京のグループ会社、ANAケータリングサービスで行っています。この会社から、半年に1回日本食のシェフと洋食のシェフに現地に来てもらい作り方を指導してもらうのですが、メキシコにはそれ以上の頻度で来てもらい、作り方や盛り付けの指導と、既存メニューのチェックを受けます。 メニュー変更の頻度はエコノミークラスが1ヵ月ごと、ビジネスクラスは元々のメニュー数が多いため3ヵ月ごとです。機内食は、毎月必ず職員も試食をします。 こちらから出した新しいメニューのアイデアも受け入れられます。 例えば、機内でメキシコ料理を提供したいと考え、メキシコ発便のアラカルトメニューにタコスやチラキレスなどを提案しました。これが、メキシコで食べたどのタコスにも引けを取らないくらい美味しくできたのです。またドリンクも、就航当初はマルガリータを提供しました。 支店長として掲げているミッション、そしてこの先10年の目標を教えてください。 直行便就航当初は、大変ありがたいことにお客様から「ありがとうございます」という言葉をたくさん頂きました。皆様の期待を裏切らないよう、毎日の安定した運航と空港オペレーションを目指していきます。 日本とメキシコの間にはまだまだ高いポテンシャルがあります。今は経済面の交流が注目されていますが、それに限らず文化やスポーツ面でも魅力を探して焦点を当てていけば、より交流も増え、結果的に人が飛行機に乗るようになるでしょう。我々は、日墨のあらゆる面での交流がより活発になるよう貢献し、両国の架け橋になりたいと思います。 また、メキシコはアジアから見たらキューバやグアテマラ、ペルー、ブラジルなどへの乗り継ぎ拠点、つまりラテンアメリカへの入り口です。中南米へ行く皆様にも広く使って頂ける仕組み作りと販売網の確立を行っていきたいと思います。もちろん、中南米のお客様が日本やアジアへいくという逆の動きにも注力していきます。 メキシコの魅力とは何でしょうか。 メキシコは、世界でも有数の親日国です。私はフランスやカナダにも駐在したことがありますが、今回メキシコに赴任して約2年半、引っ越した当初から居心地の良さを感 じました。皆さん親切で、住みやすく仕事もしやすいです。単身赴任をしていますが、レストランやスーパーマーケット、コンビニエンスストアもたくさんあり不便はまったくありません。 メキシコ料理は和食よりも先に世界遺産に登録されているくらい、歴史がありバラエティーに富んでいて、日本人の口にも合います。たとえばモレという料理。カカオをベースにカレーのように何種類ものスパイスを煮込んだもので、ぜひ皆さんにも味わってもらいたいです。 また、遺跡をはじめ世界遺産がアメリカ大陸では最多の34ヵ所もあり、観光資源にも恵まれています。美しいビーチもたくさんあります。私はワインが好きなのですが、メキシコにはアメリカのナパよりも歴史が長いアメリカ大陸最古のワイナリー、カーサ・マデロもあります。とても豊かな文化に恵まれた国なのです。 最後にこれからメキシコに来られる方にメッセージをお願いします。 メキシコは「危ない」というイメージがあるかもしれません。それも事実なのですが、治安の悪い地域や都市はある程度決まっていて、メキシコシティ、バヒオ地区など は日本人もたくさん住んでいます。しっかり情報を収集し最低限の注意をしていれば、メキシコ全体が危険であるとむやみに恐れる必要はありません。 それよりも、メキシコには良い面がたくさんありますので、もっとそちらに目を向けてほしいと思います。ぜひ、我々の飛行機に乗ってメキシコにお越しください。機内でお待ちしております! 全日本空輸 All Nippon Airways Co., Ltd.  メキシコシティ支店支店長 Mexico City Office Vice President & General Manager 大下秀史 HIDESHI OSHIMO…

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【メキシコで活躍する日本企業インタビュー】フジタ工業株式会社 メキシコ支店支店長 南口 聡

100年を超える歴史を誇る総合建設会社、株式会社フジタ。 2004年にメキシコ支店を創設し、マツダ、日産自動車をはじめとする大手自動車関連企業の工場建設を主に手がけてきた。現在もトヨタ自動車の新工場を建設中だ。 ピーク時には支店創設時の10倍以上の売り上げを記録し急成長を遂げた、メキシコ支店の支店長、南口聡氏にお話を伺った。 現在のメキシコでの事業は、9割以上が日本から進出されている自動車産業関連の建設工事です。 メキシコでのフジタの沿革を教えてください。 当社は基本的にはODA(政府資金で行われる、開発途上国などに対する援助・協力。政府開発援助)の仕事を請け負うことで、中南米のマーケットを開拓してきました。 メキシコはODAの仕事がなかったため、進出したのは比較的最近のことです。中南米では今から56年前の1962年のペルー進出を皮切りに、ブラジル、ボリビア、アルゼンチン、ドミニカ共和国、エクアドルなどさまざまな国でODAなどの仕事を数多く手がけてきました。具体的な内容としては、病院、空港関係、学校、在外公館などの工事です。現在も在ペルー日本国大使館の工事を行っていますが、中南米のODAの仕事は以前に比べると減少しました。とはいえまだまだ政府関係の工事はありますので、継続してチャレンジしています。 メキシコにおいては、2004年に事務所を開設し、今は国内8ヵ所に拠点を設けています。ここメキシコシティーの事務所は法的な届出や会計経理の部門を置き、主要な拠点はアグアスカリエンテスとケレタロの2ヵ所です。 事業内容としては、9割以上が日本の自動車産業関連の建設工事です。 競合企業の入札が激しい自動車関連の工場建設で、フジタが信頼を勝ち取った秘訣を教えてください。 もともと当社は、自動車関連の建設を得意としているゼネコンです。もちろん自動車関連に限らず、物流倉庫や病院、ホテル、事業所などすべての建設に対応可能なのですが、とくに自動車関連事業は古くから力を入れており、実績があります。 社内にも営業・設計・工事・積算のすべての部門で自動車関連に特化した社員を集めた「グローバル自動車ユニット」という専門集団もございます。ここには全世界の自動車関連工場の実績、ノウハウなど、過去から積み上げてきた非常に数多くのデータを集約しており、それに基づいてお客様に技術を提供できるのが当社の強みです。その過去のデータは必ずしも成功した事例ばかりではなく、失敗事例もあり、工事が終わるごとにその過程で起こったことを登録するようにしています。そうすると、例えば自動車の樹脂を扱う工場の建設依頼を受けたとき、データベースを検索すればすぐに全世界の樹脂工場の事例を読み込むことができます。 過去の事例を生かした設計ができるということが、当社を選んでいただけた理由だと思っています。 メキシコで今まで手がけた代表的なプロジェクトを教えてください。 3大自動車一貫工場の建設プロジェクトです。サラマンカのマツダをはじめ、アグアスカリエンテスのCOMPAS(日産自動車とダイムラーの合併会社)、そして現在グアナファトでトヨタ自動車の工場を建設中です。 大きな組織の一貫工場を手がける際に苦労された点などをお聞かせください。 実はマツダのお仕事をいただいたのは2011年で、2010年まではまだメキシコに日本の自動車関連企業は多くは進出していませんでした。2011年にマツダが進出されてから、メキシコの日系自動車産業に勢いがついたような状況です。売上ベースでいきますと創設当初は20億円くらいだったものが、2011年以降ピーク時には300億円ほどまで一気に拡大しました。そのため2011年からは、技術者や、設計者、総務など日本から数多くの社員をメキシコに送り込みました。そういった意味では、2004年に事務所を設立したとはいえ、実質的に大きな事業が始まったのは2011年からです。 海外勤務も初めてで、メキシコの土地も言葉もわからない、どのように施工を進めていくかもわからない、という社員をたくさん日本から連れてきましたので、彼らを指導することに関しての苦労は多かったです。ただ、長年中南米で仕事をしてきた社員たちがそのような社員を支え、アドバイスをしてくれていたので、ノウハウを共有しながら2011年から急成長することができました。 メキシコでビジネスを展開するうえで苦労されたことはありますか。 私どもは日系のゼネコンとして、日本品質をお客様に提供する使命を全うしたいという思いがあり、それを実行するうえでさまざまな苦労がありました。具体的には、ローカルスタッフや資材の問題です。 ローカルスタッフにおいては、現場における日本の高い安全・品質管理に末端の作業員が戸惑いを見せることや、納期の問題もありました。メキシコの方は比較的のんびりしていますので、約束の日に完全に施工を終えてお引き渡ししたいという我々の思いに反して現地の作業員の意識がともなわないこともあり、完成予定の日に8割程度しか作業が終えられていなかったこともありました。 資材においては、日本製品のような優れたものが調達しづらいということが挙げられます。そのため、お客様の要望の高いものは日本から取り寄せるなどの工夫をしています。あらゆる困難がありましたが、中南米での長い経験を活かして乗り越え、今ではノウハウとして蓄積しています。 これから当社が誇る日本クオリティーをメキシコの企業様にも提供していきます。 ご自身のことをお聞かせください。メキシコに赴任されて何年になりますか。 2011年以降、出張で度々メキシコを訪れておりましたが、駐在員となってからは約5年です。非常に楽しくやっています。 私はもともと広島出身で、入社してからも大半を広島で過ごしました。マツダの工場進出にともなって広島の企業もたくさんメキシコに進出されました。そして私は広島の企業のメキシコ進出が落ち着いた段階で駐在員になりました。 今後どのように事業を展開されていくか、展望を教えてください。 いままでは日系自動車メーカーの工場建設がメインの業務だったのですが、これからは自動車関連企業だけでなく幅広い業種の日系企業のメキシコ進出サポートを行っていきたいと考えています。 また、これまでは99%が日本の企業からのお仕事だったのですが、現在はメキシコ現地の企業やアメリカの企業からの仕事にもチャレンジしています。昨年よりトランプ政権の影響を受けていますが、静観していても仕方がないですから、これを機にメキシコで培った実績・ノウハウ・人材を生かして日本クオリティーをメキシコをはじめすべての国のお客様にも提供したいと思っています。 日本人社員の人数はこれからも同水準で推移していく予定ですか。 事業規模に合わせ、人員、体制は柔軟に変更していきます。 これだけ日系自動車企業が集約していますので、メキシコ進出を視野に入れている企業はたくさんいらっしゃいます。日本でも規模や費用、進出にあたってのエリアなどのご相談はたくさん受けています。 また、現在私どもはさまざまな企業からアメリカ進出のご相談も受けており、アメリカでどのようにサービスが提供できるかを模索している最中です。 最後に、これからメキシコに来られる方にメッセージをお願いいたします。 メキシコは距離的には日本から極めて遠い国ですが、それが故に日本企業にとって未開拓のビジネスチャンスが多く残され、可能性に溢れた国だと感じています。しかし、アジア諸国などと比較すると日本企業を受け入れるためのプラットフォームがまだまだ不足しているというのが現状です。 この状況を改善して、より多くのメキシコに進出される企業のお役に立ちたいという思いから、私どもは建設事業以外の分野においてもさまざまな活動を行っています。 ケレタロでは大浴場を備えた日本人向けのホテルと長期滞在型のサービスアパートメントの複合施設の開発、サンミゲル・デ・アジェンデの近郊では工業団地の開発を行っています。さらに、メキシコにおいて貴重かつ高価である水のリサイクルや排水処理に特化した専門会社も運営しています。 メキシコは、今後も益々成長を遂げていく国であると確信しています。“情熱の国”メキシコで、ともに夢を実現していこうではありませんか。 フジタ工業株式会社 Fujita Corporation  メキシコ支店支店長 Mexico Branch Manager 南口聡 SATOSHI NANKO 1963年広島県生まれ。1986年フジタ工業株式会社入社。2005年に広島支店建築部長に、2011年に広島支店副支店長に、2014年メキシコに赴任し、2015年よりメキシコ支店支店長を務める。 ※2018年5月インタビュー時点 Interview:Hisashi Abe Photo:Cristian Salvatierra

アメリカで活躍する日本企業インタビュー

【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】鹿島建設 副社長 梶山 秀義

江戸・天保年間の創業から明治、大正、昭和、平成と時代を経て、2019年で180年を迎える鹿島建設。 日本ではゼネコンという認識があるが、1964年、日本企業のなかで海外進出に最も早く取り組み、アメリカでは建設、開発事業をおもに手懸けている。ニュージャージーにあった米国本拠を2010年にアトランタに移し、その躍進は続く。 業務の約7割がリピートクライアントからの発注依頼ということから評価の高さがうかがえるが、その成功を支えた信念を語っていただいた。 物流倉庫、ミレニアル向け住宅、製造業は引き続き堅調な様子が見られます。 まずは鹿島USAの業務内容、および全国の鹿島建設グループ全体に占める役割、割合についてお聞かせください。 2016年度の鹿島USAの売上高は約2,200億円となっており、これは鹿島建設グループ全体の連結決算の売上高の12%を占めます。 グループ内ではアメリカ駐在経験のある社員がほかの国へ赴任し幹部職に就くケースが多く、アメリカでの事業展開を経験し、マネジメントスキルを身につけるなど、社内の人材育成においても大きな役割を担っています。 世界でのオペレーションの方法を教えてください。 我が社はアメリカ、アジア、ヨーロッパ、オーストラリアに拠点があります。 アジアでは我々がイニシアチブをとって進めることが一般的です。一方、アメリカでは既存の会社を買収し、その地域に根差した現地企業とともに事業展開を進めるなど、オペレーションやマネジメントのスタイルが変わってきます。 北米のヘッドクォーターをアトランタに移した背景をお聞かせください。 ヘッドクォーターのアトランタ移転は2010年のことですが、背景には仕事の案件数やボリュームがジョージア州周辺に最も多かったことがあります。くわえて、2000年代に買収した会社のいくつかはアメリカ南東部に拠点を有していました。 アトランタは地理的にみてもグループ会社とのコミュニケーションに優れていた、ということです。 鹿島USAのスタッフの人数、そして日本からの駐在員の数を教えてください。 2017年末で鹿島USA全体で駐在員は37名おります。 弊グループには、2本柱として建設系の統括会社Kajima International Inc.(以下KII)と、不動産開発系の統括会社Kajima Real Estate Development Inc.(以下KRD)があります。これらはホールディング会社のため、社員数は少なく、アトランタオフィス20名のうち日本人駐在員は12名となっております。 鹿島ビルディング&デザイングループ(以下KBDG)は建設系のKIIの傘下にあり、KBDG全体で社員は160名ほど、うち22名が日本からの駐在員です。 建設事業を行うKII、不動産開発系事業を行うKRD、それぞれ、また両社の強みは何でしょうか。 グループ会社内で事業創造できるのが強みです。 KRD傘下には物流倉庫の立地から開発までを自社で行う会社Core5社があり、KII傘下のKBDGに施工を任せることで、我々がドライバーズシートに乗ってプロジェクトを推進できるわけです。 最近ではFlournoy社というアメリカの会社と買収契約を締結し、グループ傘下に入れることとなりました。アメリカには木造3、4階の建物が一般的に多いのですが、Flournoy社は自社で開発・建設・マネジメントを一括して行うことができます。 業績が伸びている分野、とくに南部で顕著なものはありますか。 アマゾンの影響で世間ではEコマースが注目を浴びており、我々の倉庫建設事業にも好影響を与えています。ただ全米の小売の売上高からみるとまだ全体の10%を超えた程度で、Eコマースには今後まだ伸びしろがあるとみています。 そのため、この事業に関しては「ビッグボックス」と我々が呼ぶ100万平方フィート級の巨大なデポとなる倉庫、そしてお客様の住宅のそばにある「ラスト1マイル」といわれる、配送直前の小さな倉庫のどちらもまだ伸びることを見通しています。 また、ミレニアル世代に向けた住宅関連の事業も伸びています。 ヤングエグゼクティブ、シングル、子どものいない若いカップルといった層は、適齢期に家を買うなど、古くからの常識にとらわれず、自分たちが価値を感じるものにお金を使います。例えば屋上にプールがあるなど、住環境のアメニティーをとくに重視する傾向があります。 グループ企業に属するBatson-Cook社とBatson-Cook Development社は、スカイハウスという23階ほどの高層アパートの建設・開発に携わっています。アトランタのバックヘッド、ミッドタウン、ノースカロライナ州シャーロットなど、近年各地に17本を建設しました。 2010年以降の統計をみても、アメリカ南部では、人口がジョージア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、フロリダ州で8∼10%ほど、テキサス州では2ケタ台で増えています。人が増えれば雇用も生まれ、住宅も必要になるという図が描けます。 くわえて、トランプ政権になってからはとくに、製造工場をアメリカ国内に作るという圧力が影響しています。関税を逃れるために、部品工場も同じく国内生産となるでしょう。 アメリカの会社だけでなく、日本を含めヨーロッパ、中国、インドなどのさまざまな国がアメリカに生産拠点を置く動きもみられ、製造業の工場建設マーケットも堅調なようです。 リピートクライアントが多いのは、コミットした予算のなかでお客様に満足してもらえていることが大きな理由だと思います。 日系のお客様に対してはどのようなサービスを提供していますか。 弊社にはアメリカにおける建築士のライセンスや、設備におけるエンジニアのライセンスを持つ日本人もおりますので、日本語でやり取りをしながら効率的な対応ができます。 アメリカに初めて進出するお客様は、とくに法律や具体的な進め方の日本との大きな違いに驚かれます。例えば、狭い日本では縦に建物を建てていく傾向がありますが、土地が安いアメリカでは広い土地を使って平屋で建設した方ががコスト面も効率も良いわけです。 アメリカでビジネスをするうえでとくに感じることはありますか。 アメリカは契約社会と言われますが、実は人間関係を非常に大切にするように感じます。立場は別にしてお互いに人としてリスペクトし合います。 業務上の注意点としては、契約書にはじっくり目を通す必要があります。同様に、ゼネコンを例にするとサブコンに発注する際に詳細な契約書を作らないといけません。またそれには保険についての十分な知識も要します。 高い技術、プランニングの正確さといった日系企業への評価はどんな時に感じますか。 おかげさまでデータをみると、弊社KBDGでは仕事の約7割が日系、米系に関わらずリピートクライアント、すなわち、我々の仕事に満足いただいたお客様からの依頼です。 運輸運送業のUPSに関してはプロジェクトの度にお声がけ頂き、弊社のビジネスでの姿勢が評価されていることを感じます。 例えば仕事を得るために、見積もりを安く仕上げ、後から追加を乗せていく会社もありますが、我々は最終形を見定めた金額をお知らせし、きちんと仕事をすることを心がけています。コミットした予算のなかでお客様に満足してもらえていることが、リピートクライアントが多いことの大きな理由だと思います。 技術革新やAI化など、建設業界にみられる進化の波を教えてください。 先端のICTを使った例えば3Dスキャン、モデルといわれる3次元の図面の3Dキャドなどを使って、新しい効率的な工事管理、施工管理を確立しようと取り組んでいます。これにより品質管理、出来形管理はより正確な目処が立てられることとなるでしょう。 近い将来にはAIが最適なレイアウトを提案できるようになることも考えられます。 アトランタ生活は快適ですか。 私は単身赴任でニュージャージーからアトランタに移り住んで約3年です。 四季があり、季節感がある生活はいいですね。コンサートやショーなどのエンターテインメントがアトランタでも近年とくに充実し、楽しみが増えました。運動不足にならないよう、定期的に汗を流し、柔術の道場にも通い心身を鍛えています。 新しくアメリカで駐在生活を送る読者にアドバイスをお願いします。…