【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】米国三菱電機(空調冷熱事業本部)副社長 薮 重洋

大正10年、三菱造船を母体に設立された三菱電機
歴史のなかで培った最先端の技術を駆使し、一般家庭用の製品から宇宙システムまで、電気で作動するものはほぼすべてを手がけてきた。
2020年、東京オリンピックの年に100周年を迎える同社は今、「グローバル環境先進企業」を目指し、世界中の人びとがさらに快適に暮らせる豊かな社会の実現へと邁進する。環境負荷を低減し、細やかなニーズに応える空調システムを世に送り出す、アトランタの拠点を訪ねた。

お客様にとって本当に良いものは、上手に現地にフィットさせることで可能性が広がります。

三菱電機のアメリカ進出の歴史、現在のシェアは。

三菱電機は、大正10年に三菱造船電機製作所を母体として設立されました。私が担当する空調冷熱事業のアメリカにおける歴史は、1980年、空調機器の販売を開始したことから始まります。
そして三菱電機は2020年、オリンピックの年には100周年を迎えます。エレベーター、エスカレーターの分野でスポンサーになり、この年をひとつの区切りとし、それまでに会社全体として5兆円を目指しさまざまな分野を強化しています。
現時点では、全世界で約4兆4千億円を売り上げ、アメリカでの売り上げはそのうちの約10%となっています。当社にとってアメリカは日本以外の国では最大のマーケットです。

事業内容を教えてください。

三菱電機の事業は、重電システム、産業メカトロニクス、電子デバイス、情報通信システム、そして私が担当している空調冷熱システムが属する家庭電器の5つに分かれています。
世界における我々のビジネスのポートフォリオは、そのままアメリカにも凝縮され、世界で強い事業はアメリカでもそれなりの市場ポジションを確保しています。世界でトップクラスに入るような強い事業を残し集中強化するという経営方針があり、その例として、空調冷熱システム事業やエレベーター等を手がけるビルシステム事業があります。

藪副社長が担当されている、空調冷熱システムについて詳しく教えてください。

まず、アメリカで販売する一般家庭用と業務用のシェアは、およそ6対4です。
アメリカの一般的な空調設備は、ダクトで空気を送って各部屋を温めたり冷やしたりするものです。一方、日本で一般的なのは、壁等に取り付けるタイプのエアコンで、各所に冷媒を直接持っていき、送風口から冷風・温風が吹き出すものです。冷媒とは、空気を温めたり冷やしたりするために使う液体や気体に変化する媒体のことで、主にフロンガスが使われています。フロンを圧縮し、熱いガス状のものが凝縮して液体に戻るときには熱を発散する。この液体を蒸発させると、周囲から熱を奪い冷えた空気ができる。この原理を冷暖房に応用するバリアブル・リフリジラント・フローに代表される技術を我々は得意としています。

100年程前、キヤリア社の名の由来となった発明家、ウィリス・キャリアが発明した蒸気圧縮式、冷凍サイクルの技術を我々が学び、アジアやヨーロッパの環境に適合する形にしてきました。アメリカの家庭用の物と比較すると、小さくても十分な機能性を発揮する意味も込めて 「ミニスプリッツ」と言われます。
長年、我々を含め多くの日系メーカーがアメリカ市場にその技術を導入しようと努めてきましたが、顧客のニーズと常識、業界の慣行はなかなか変わらず、30年もの間受け入れられずにいました。 ところが最近、大きな流れができ、急激に売り上げを伸ばし始めたのです。

売り上げが伸び始めたのはなぜでしょうか。

アメリカの建物の多くは、一ヵ所に機器を一元化してダクトで空気を送り全館を常に快適な温度にしておくのが一般的で、我々の製品も当初はダクトの空気が届かない部分を補完するものからスタートしました。
しかし深刻化するエネルギー問題や、ガス代・電気代の高騰をきっかけに、ダクトで全館一気に空調する仕組みが徐々に見直されていきました。やがて、大規模なビル空間もエネルギー消費を抑えられるものへと変化していきました。
昨今は、コンピューターなどを置く部屋は一年中暑く冷房が要り、でも隣の部屋には暖房が要るという状況が普通にあります。そこで、熱を冷媒に乗せ各部屋へ移動させ分配する技術が活躍します。一般家庭も同様で、各部屋を別の温度に設定でき、人のいないときはOFFにもできる。これを「Zone Comfort Solution」と呼びプロモーションしています。
実は我々の製品が比較的沢山売れているのはニューヨーク等北東部です。スペースが狭小なニューヨークでは、リノベーションの際等にこのシステムが次第に採用されました。これまで文化や商習慣の違いが壁になっていましたが、やはり良いものは受け入れられていくのだと実感しています。
ただし、アメリカで導入する際には、ここの文化に合わせる必要がありました。我々はここに50名程のエンジニアを勤務させ、日本やヨーロッパ市場で流通しているものをアメリカのお客様に最適化するよう改善設計してきました。

アトランタは、ダイバーシティーにおいてとても先進的な地域です。

営業、販売はどのようにされているのですか。

この業界では代理店が販売を担うことが多いです。一般的にはトレイン、ヨーク、キヤリア等米国大手メーカー各社の系列の代理店が全米にあります。そしていわゆるコントラクターといわれる、空調設備業者が全米に何万人、何十万人います。町の職人達がお客様のところを訪ね、販売と設置をするというシステムです。アメリカ各社のダクトを使うエアコンを請け負う彼らに、我々も依頼をします。製品がニーズにマッチしているため、彼らは徐々に我々の製品を扱い始めてくれています。
工場出荷レベルで1兆7,000億円くらいの空調マーケットにおいて、かつてこの仕組みの製品のシェアは1∼2%程度でした。それが近年7∼8%と急激に伸びています。マーケットそのものが毎年2∼3%増で推移するなか、我々の作るタイプの製品が20%、好調なときには30%くらい伸びた年もあります。
アメリカの大きな会社が不得手とする領域でのニーズの拡大を受け、大手のヨークやキヤリアも、日系やアジア系メーカーとその消費地でアライアンスを組んでいます。

製造拠点について教えてください。

生産は、おもにメキシコ、日本、タイと、一部中国で行っています。かつてはアメリカにも製造拠点がありました。
製造戦略を立てるポイントは3つあります。第一に、ニーズを的確に拾える消費地の近くで開発・生産すること。次にデリバリーという観点からは、需要の変動に合わせどれだけフレキシブルな供給をできるかというのがポイントです。だからこそ市場の近くを意識し、メキシコでも製造・開発を行っています。最後は投資効率です。ひとつのシリーズの専用生産設備、例えば金型を作るだけでも、5∼10億円く らいの投資が必要です。これを償却し採算を合わせるためには、最低10∼20万台の生産が必要になります。沢山売れるものは近くで作り、そうでなければどこかに集中したほうが効率が良い。
これらの要素のバランスをとってどの工場に生産配置するかというのが戦略なのです。

ハワイのフォーシーズンズ・リゾート・フワラライで、ゴルフの三菱電機チャンピオンシップを開催されていますね。

お客様をお呼びするうえで、キーとなるコントラクターや代理店の方々はゴルフ好きな人が割と多いんです。
この近くのTPCシュガーローフというコースでも三菱エレクトリック・クラシックという大会を行います。どちらもPGAシニアの大会ですが、フレッド・カプルスやトム・ワトソン等彼らが子どもの頃から憧れていた選手が多く、喜ばれます。
こうした活動は、もともと三菱電機の空調にネームバリューがなかった時代に、まずはお客様にブランド名を知って頂きたいという思いから始まりました。

この先10年の目標を教えてください。

アメリカの市場では、我々のタイプの製品は恐らく世界一のスピードで成長すると予想されます。
目標はマーケットが伸びた分きちんとシェアをキープし、あるいは多少なりとも増やしていくことです。それができれば恐らく5年後には当社にとって世界最大の市場になるのではないかと思います。各社の市場への投資額も、数年で倍増するのではないでしょうか。
日本メーカーの作った洗浄便座や瞬間湯沸かし器等は、その利便性から20∼30年かけ浸透してきました。お客様にとって本当に良いものは、上手に現地にフィットさせることで可能性が広がります。
日本企業はアメリカにはない繊細な技術をまだ持っています。もちろん地道なPRやマーケティングが必要ですし、時間はかかりますが、いざ認められたらアメリカはフェアで合理的な国なのでどんどん受け入れられていくでしょう。

今後アトランタに進出する企業に何かアドバイスを。

アトランタ周辺は、定点観測をするのには最適です。建設関係も商業施設も勢いに満ちています。また、ダイバーシティーにおいてとても先進的な地域で、政府も文化の融合を生かし前向きな政策を沢山打ち出す等、文化の並存に長けています。
そして最近驚かされたのは、ついに日本語と英語で授業を行う公立のチャータースクールが開校するのだそうです。各国の文化を認める寛容な地域なんですね。ニューヨークほど物価も高くないですし、全米の都市と中南米のほとんどの国へ直行便も出ています。拠点を置くにも住むにも良い場所ではないでしょうか。

Mitsubishi Electric US, Inc.
Cooling & Heating Executive Vice President & General Manager
藪 重洋 ATSUHIRO YABU

1960年生まれ。1984年に大阪大学工学部機械工学科を卒業後、三菱電機に入社。京都製作所での勤務を経て、UK出向を経験。 その後、本社の環境事業推進プロジェクト、リビングデジタルメディア技術部次長、三菱電機ホーム機器取締役副社長を経て、2012年に Mitsubishi Electric Air Conditioning Systems Europe Ltd の取締役社長に就任。2016年より現職。 また、2017年には三菱電機の執行役員にも就任した。
※2018年3月インタビュー時点

Photo : Jonathan Wade