【Japan Pride 注目企業エグゼクティブインタビュー】Delta Air Lines, Inc. / Manager Specialty Sales – JV Asia Market Global Sales & Distribution / 横澤 昭徳

Delta Air Lines, Inc.
1030 Delta Blvd, Atlanta, GA 30354

岩手県出身。フィラデルフィアのテンプル大学卒業。1992年、日本でノースウエスト航空に入社。7年間の成田空港勤務を経て法人営業に異動。2004年に駐在員としてニューヨークに派遣され、その後ロサンゼルスにて勤務。08年のノースウエスト航空とデルタ航空の合併に伴い、デルタ航空本社のあるアトランタに転勤。10年8月からアジアマーケット統括部長。22年4月から韓国ソウルに駐在し、デルタ航空と大韓航空共同事業の東南アジアマーケット統括営業部長を務める。

安全を最優先した活動で
お客様に一番良いサービスを

タッチレス化やアプリの進化によりますます便利になった航空業界。
デルタ航空が提供する快適なサービスの根底には、
顧客に対する社員1人1人の心がけと、高い行動力があるという

ー 入社の経緯とこれまでの仕事内容は。

フィラデルフィアのテンプル大学を1991年に卒業し、アメリカで仕事を探していましたが、当時アメリカは景気が悪く、残念ながら外国人が仕事を見つけられる状況ではありませんでした。逆に日本は仕事が多くあったので日本での就職活動に切り替え、日米をつなぐ仕事に興味があったことから、内定をいただいていたノースウエスト航空への入社を決めました。92年4月1日に新卒で入社したので、2022年でちょうど30年になります。
入社後はまず成田空港の旅客サービス部に配属され、実際に現場で接客業務を学んだ後、96年に初めて自分のチームを持ちました。60人ほど部下がいる大きなチームを率いながら成田空港のオペレーション業務に従事したのですが、1日15本ほどある出発便のほとんどが満席状態という多忙な現場でした。きついなと思うこともありましたが、同時に非常に面白い現場でもありましたね。その現場を3年経験した後に東京の法人営業部に転籍し、日系も外資系もさまざまな企業の営業を担当しました。9.11同時多発テロの影響で仕事がなくなってしまうという経験もしましたが、2003年には営業部でトップレベルの成績を残すことができ、ちょうどその年にニューヨーク駐在の話をいただき渡米することになったのです。
ニューヨークとロサンゼルスで現地旅行代理店などの営業を担当し、駐在が終わるタイミングでノースウエスト航空とデルタ航空が合併。そのとき日本に帰る選択肢もありましたが、現地社員として残る道を選んだのです。以降はアトランタ本社にてアメリカにおけるアジアマーケットの営業チームを統括してきました。

アメリカ空軍出身の高い技術をもつパイロットが80%近くを占めるデルタ航空。
離着陸のスムーズさも業界屈指の評判だ

ー 航空業界の技術改革のトレンドは。

航空業界は機材や空港設備といったハードウェアに対する投資の規模が大きく、IT企業のように新しいテクノロジーを開発してすぐに導入するということが難しい業界です。そんななかでも、近年の最も大きな技術改革はタッチレス化です。新型コロナウイルスの流行も大きなきっかけとなり、人と人との接触を減らすタッチレステクノロジーの導入が進んでいます。航空券の予約からチェックイン、搭乗までタッチレスで可能。また、アプリも便利になっており、海外旅行の場合に必要な各国のワクチンおよび自己検疫の情報を全てアプリ内で一元化し、ワクチン証明書やその他必要なQRコードも管理できます。
さらに、お客様にはあまり見えない部分ですが、気象予測の技術も進化しています。最新技術のおかげで、乱気流に巻き込まれて機体が揺れることも以前に比べてかなり少なくなっています。フライト・オペレーション・システムが進化したことで、乱気流を避けたり飛行ルートを最適化したりすることも簡単になりました。

在宅ワークの普及に伴い地方に移住した人が、
都市部のオフィスに飛行機で出勤するという、
今までになかった需要も生まれています。

ー 新型コロナの流行が収束に向かうなか、航空業界全体の再編については。

アメリカ国内便に関しては、2022年3月時点で予約状況が19年同月の約90%まで回復しています。国際便に関しては、同時点で約70%まで回復。国内のレジャー利用はほぼ100%まで回復していますが、出張利用はまだ5割ほどにとどまっています。出張がオンラインミーティングなどに置き換えられた部分は確かにありますが、大きな契約やコンベンション、人と人とのネットワーキングが大事だと再認識されている部分もありますので、ビジネス需要は75%ほどまで戻ってくると予想します。また、在宅ワークの普及に伴い地方に移住した人が、都市部のオフィスに飛行機で出勤するという、今までになかった需要も生まれています。

ー アメリカでプライベートジェットの需要が伸びている。

デルタもプライベートジェットのウィールズアップ(WheelsUp)というベンチャーに出資しています。元々、デルタ・プライベート・ジェットという子会社がありましたが、業界2位(2022年3月時点)のウィールズアップに売却した形です。ウィールズアップは業界シェア25%を誇り、需要超過で新規客を受けられないほど人気が急騰しています。アプリでプライベートジェットが手配できる手軽さが話題を呼び、コロナ禍で人混みを避けたい人が増えたことで、さらに火がつきました。アメリカでの成長に続き、これから世界的にプライベートジェット産業が拡大していくことでしょう。

ー 同業他社との最大の違いは。

コロナ禍において、デルタ航空は業界で初めてCHO(ChiefHealthOfficer)を任命しました。検疫学の権威を迎え、専門家の知見に基づいて今後のビジネスを組み立てることにしたのです。CHOの指導の下、社員のワクチン接種や抗原検査のガイドラインを定めた他、機内でのソーシャルディスタンスを保つために業界で最後までミドルシート(真ん中の席)を販売しませんでした。座席の約3割を販売できないという、会社としては大胆な決断でしたが、お客様の安全が第一。科学的根拠に基づいて事業を再構築していった点は、他社との違いだと思います。
またデルタはコロナ禍で1人も社員を解雇せず、2021年はアメリカの航空会社で唯一、利益を上げることができました。CHOという存在がいて、きちんとガイダンスを定め、安全を最優先した活動がお客様に支持されているのだと思います。

ー 快適なサービスの根底にあるものは。

デルタ航空は大手航空会社で唯一労働組合がなく、社員それぞれが「自分たちの会社」という意識を持っています。利益があるときはきちんと分配され、2019年にはアメリカの企業歴史において最大の利益分配を行いました。「会社は社員が支えている」という考え方が根付いているのです。お客様に一番良いサービスを提供しようと社員1人1人が心がけており、デルタはそれを実践できる土壌がある会社だと思います。また、「リッスン・アクト・リッスン(ListenActListen)」という精神が会社に浸透しています。お客様や取引先から指摘があれば、聞くだけで終わらせずとにかく行動を取りなさい、というもので、即座に行動することが顧客のニーズにいち早く対応できる理由ではないかと思います。

デルタ航空は大手航空会社で唯一労働組合がなく、
社員それぞれが「自分たちの会社」という意識を持っています。

 

 

ー 持続可能な航空燃料については。

持続可能な航空燃料、SAF(SustainableAviationFuel)には大変注目しています。普通のジェット燃料は大量のCO2を排出し、環境にやさしくありません。SAFは、従来の燃料と比較して、ライフサイクル温室効果ガス排出量(燃料の製造から使用までの各段階における温室効果ガスへの影響)を最大80%削減することができるので、環境にやさしいのです。2030年末までに、運航に必要な燃料の10%をSAFに変えると宣言しています。

 

会社合併のタイミングで、日本への帰国ではなくアメリカの現地社員として働く道を選んだ横澤氏。
「今考えると、あの選択は1つの大きな分岐点だったと思います」

ー デルタ航空にとって日本市場とは。

日本へはノースウエスト航空時代の1947年から定期便が飛んでいます。戦後最も早く日本に就航した航空会社の1つという歴史がありますので、日本市場はアジアの最重要拠点といえます。2020年には成田から羽田に拠点を移し、今は羽田と名古屋に乗り入れています。コロナ禍で減便や運休もありますが、もちろん需要が回復した際には再開しますし、それ以外の便も需要があれば増便する可能性はあります。

ー 4月からは東南アジア市場の統括責任者。

大韓航空との共同事業を管理する立場として、これから韓国に駐在することになります。私が統括する市場は、シンガポール、台湾、タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシア、フィリピン、香港、カンボジアの9カ国です。東南アジアは人口もGDPも伸びている国々が集まっているので、うまくいけば大きな結果が出せるものと思います。アメリカでの長年の経験を生かし、今度は東南アジアからアメリカへの顧客誘致に力を注いでいきたいと思います。

 

アトランタ・テネシー・アラバマ・テキサス便利帳 Vol.18本誌掲載

Photographer: Masaki Hori
Editor: Miho Kanai
2022 年 3 月 23 日取材