【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】Nippon Life Insurance Company of America President & CEO 中山隆史

Nippon Life Insurance Company of America
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Tel (212) 909-9872

1991年日本生命保険相互会社入社、国際金融部配属。94年、同社よりリーマンブラザーズ社(ニューヨーク)に1年間派遣される。98年3月米国日本生命(デモイン)に出向し、3年間駐在。2008年より米国日本生命ニューヨーク支店長を2年間、Global Desk Headを2年間務める。2014年には日本生命資本市場営業室の室長に。2016年Nippon Life Global Investors Europe(ロンドン)に出向し、CEOに就任。2019年3月より現職。

全米唯一の日系保険元請会社
価値あるサービスを追求

2021年で設立30周年を迎える米国日本生命。アメリカで唯一医療保険の元請を行う日系保険会社がこだわるサービスや今後の展望について聞いた。

ー 事業内容を教えてください。

「アメリカでもニッセイ」をスローガンに、ニューヨーク・ニュージャージー・ロサンゼルス・シカゴ・アトランタ・オハイオ・ペンシルベニアに拠点を置き、主に日系・韓国系・中国系・アメリカのローカル企業向けに団体医療保険を提供しています。自社の保険商品を持っており、アメリカで唯一、医療保険の元請を行っている日系生命保険会社です。取り扱う主な保険は、「医療保険(Medical)」、「歯科保険(Dental)」、「視力矯正保険(Vision)」、「長期・短期所得補償保険(LTD/STD)」、「生命保険(Life)」で、医療保険の付帯サービスも充実しています。また、「医療費積立口座(HSA/HRA/FSA)」等のオプショナルサービスも提供しています。保険給付はもちろん、お預かりした保険料の運用や、法務、会計部門など、生命保険会社としてのすべての機能を備えています。

ー 元請(自社商品の販売)を始めた理由とは。

日本国内で培った経営ノウハウを米国においても展開・実践し、最良の商品とサービスを提供するためには、自社商品を持つことが重要であると考えたためです。

ー クライアントは日系企業がメインですか。

設立当初はアメリカに進出した日系企業をサポートすることを目標にしており、日系企業がメインでしたが、今はかなりお客様の層が広がってきています。合計2,600社ほどの顧客のなか、米系企業は1,700社、日系企業は670社、韓国系企業は150社、中国系企業は50社ほどの割合です。

ー 米系企業にはどのような点が喜ばれていますか。

やはり「日本生命ならではの丁寧なサービス」と言えます。もともと我々の保険は、価格面よりもサービスで付加価値をつけるところを評価していただいています。カスタマーサービスは英語だけでなく、スペイン語、日本語、韓国語を用意し、特別な体制を敷いています。また言語のみでなく、米国日本生命はお客様へのより良いサービス提供を一貫して追求しております。新規ご契約時だけでなく、ご契約いただいた後についても柔軟かつ丁寧な対応を高く評価いただいています。なお、商品も米系大手生命保険会社とそん色ないレベルを提供できており、価格面でも条件が揃えば競争力ある水準を保っています。

ー カスタマーサービスの教育にも力を入れているのですか。

はい。カスタマーサービスの拡大が始まったのは、ちょうど私が98年に米国日本生命に初めての駐在をした時でした。当時は日本語のカスタマーサービスを増員していくというフェーズで私は主に採用や教育に携わりました。そこで、例えば英語のカスタマーサービスだと平均3分で終わる電話が日本語の場合は平均6分かかっているということで、ボスであるアメリカ人社員から「もっと効率良く対応できないのか」と言われたことがありました。その時に私は「日本語で会話をするとお客様は安心して医療や病院についての相談をする。それに丁寧にお答えすると時間がかかる。それも含めてサービスであり、必要な6分です」と説明しました。それが、日本生命がこだわっているサービスのクオリティについて、現地スタッフに浸透させていった原点です。また、現在、日本語カスタマーサービスでは、英語での音声案内に従ったプッシュボタン操作は不要で、直接日本語カスタマーサービスの担当者につながるようになっています。経験豊かなスタッフが、日本語で丁寧にわかりやすくお答えし、迅速にご対応するワンストップサービスを提供しています。

ー ローカル従業員の割合は。

ニューヨークには、現在、約50名のスタッフが在籍しており、そのうち約40名がローカル従業員で構成されています。実は日本生命の子会社のなかで、米国日本生命が最も現地化が進んでいます。ローカル従業員のなかには、10年、20年と勤続している人もおり、定着率が高いです。基本的に運営はローカル従業員に任せて、彼らのプロフェッショナリティをリスペクトする。駐在員の役目はローカル従業員の仕事の進め方が「日本生命的ではない」となれば、改善の提案をしてコーポレート哲学を浸透させ、潤滑剤のようにファシリテートすることだと考えています。

ー 新型コロナウィルスの感染拡大によりどのような変化を感じますか。

保険提供の面で、かなり変化があります。以前は病院へ行って受診するというのが基本だったのが、診察して欲しいけれど病院に行くのが怖いという人が増えました。そこで我々が提携している「Teladoc(テラドック)社」が提供する遠隔医療サービスや「Telemedicine(テレメディスン)」というビデオ等を通じたオンライン診療サービスの需要が高まっています。Teladoc(テラドック)社は米国内50州で遠隔医療サービスを提供する会社で、弊社の医療保険に加入いただいたお客様に遠隔医療サービスを提供しています。当該サービスでは、緊急を要さないけが・病気について、米国内のどこからでも電話またはビデオ通話で医師の診療を受けることができ、弊社のPPOプランにご加入いただいているお客様については、費用がかかりません。以前からあったサービスなのですが、以前は病院に行って診察を受けたい人が多く、あまり活用されていなかったので、この点に大きな変化を感じます。また、コロナ禍の状況で、財政的な影響を受けている日系企業も多く、弊社としましては、コロナに関連する検査・治療費や保険料支払猶予に関する特別対応等、お客様の財政的なサポートも行っております。詳細については、米国日本生命のHPをご覧いただければと思います。我々もこうした特殊な時期ですから、お客様の利便性を高めつつ、財政的な負担を減らしていくサービスをできる限り行っています。

ー 貴社はボランティア活動も活発に行っていますね。

昨今の社会情勢や環境変化のなかで、親会社である日本生命も、安心・安全で持続可能な社会の実現に向けて、SDGsの達成に向けた取組みに注力しています。我々、米国日本生命も日本生命グループの一員として、貧困層への食料配給ボランティア、ニューヨークシティマラソンへのボランティア参加など、地域社会に貢献するCSR活動に力を入れています。ニューヨークシティマラソンではセントラルパークで給水ボランティアを行いました。地域社会への貢献と、ニューヨークで日本生命グループとして「Play, Support」を実現・PRすること、社員の一体感を高めることを目的としています。

グループ会社も含め合計26名が参加したニューヨークシティマラソンでのボランティア活動

ー 自身の経歴について教えてください。

1991年に日本生命に入社し、現在は3度目のニューヨーク赴任です。最初は1994年にリーマンブラザーズ社に派遣され、次は2008年にニューヨーク支店長として出向、今回は2019年3月から現職で駐在しています。2016年から3年間はロンドンの投資会社でCEOを務めていました。思い入れの強い米国日本生命に戻って来ることができ、大変嬉しく思っています。

ー 座右の銘は。

アメリカ16代目大統領であるエイブラハム・リンカーンが言った「Where there’s a will, there’ s a way(意志あるところに道はひらける)」をモットーにしています。これまでの社歴を振り返っても、新しいことに挑戦すると、例え上手くいかなくても、何かしら成果に結び付ことが必ずありました。米国日本生命ではカスタマーサービスの拡大や、日本では投資運用の業務を多く行っており、リスクがあると言われても工夫して新しい投資にチャレンジすることで、リスクを抑えながらリターンを上げて行くなどして道を切り開いてきたと思います。

 

 

ー 今後の展望を教えてください。

2021年で米国日本生命は30周年を迎えます。私どもは、アメリカで唯一、医療保険の元請事業を行っている日系保険会社であるということを、非常に誇りに思っています。創業当初の思い、現在までの取り組みを踏まえ、次の30年で、アメリカでの展開をさらに広げて行きたいと考えております。また、米国日本生命では、アメリカが先端を行く技術を日本に紹介していくことに取り組んでおり、ウエルネスプログラムや遠隔医療などの紹介も行っております。こうした取組みを通じて、保険業界ならびに医療業界における米国と日本の架け橋となることが、我々のミッションだと考え、日々の業務に取り組んでいきたいと思っております。

ニューヨーク便利帳®︎vol.29本誌掲載

Interviewer:Kaori Kemmizaki
Photographer:Masaki Hori
2020年9月15日取材