【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】トヨタ自動車 EVP/ Chief Administrative Officer 小川 哲男

2017年7月、カリフォルニア州、ケンタッキー州、ニューヨーク州の各拠点をテキサス州プレーノに移転・集約させたトヨタ自動車。 本社機能の集約を目的とした「ワン・トヨタ」のスローガンを掲げ、ますますその動向に注目が集まっている。
まだ移転して間もないプレーノの新社屋を訪問し、小川哲男氏に話を伺った。

ビジターからネイバーへ

アメリカでのトヨタの歴史を教えてください。

2017年にアメリカ進出60周年を迎えました。
1957年に車を輸出する事業から始めたのですが、最初のオフィスはハリウッドにありました。1937年にトヨタ自動車工業株式会社が設立されたので、それから20年の時を経てアメリカに居を構えたことになります。現在、本社1階のショールームには、記念として当時販売していたクラウンとランドクルーザーを展示しています。
1977年からはアメリカ国内での技術開発に着手し、1986年にはケンタッキー州に工場を設立、現地での生産がスタートしました。
それから約30年後の2017年に本社機能をここプレーノに集約し、「ワン・トヨタ」という形となりました。

アメリカに進出してからの60年を振り返ってみて、いかがですか。

やはり進出当時のことは会社にとって印象深いものでした。
当時はまだ商品的にも未熟だったうえ、デトロイトのビッグ3が全盛期を迎えていました。トヨタの車はなかなか積極的に売ってもらえず、マイナーな存在でした。当時の苦労は計り知れません。
最近では、2010年前後のリコール問題があります。現地で生産・販売を行いそれなりにステークホルダーが増えていた頃の出来事で、アメリカの一企業として足りない部分があったと痛感しました。

北米の本社機能を集約されたのはなぜですか。

今までバラバラだった製造・販売・金融などの各機能を集約することで、意思決定のスピードを上げ、業務の効率化を目指したのが大きな理由です。
また、2010年前後のリコール問題も大きなきっかけのひとつでした。アメリカでまだまだビジターの域を出ていなかったと感じ、ひとりでも多くのサポーターを確保するためには、地域への強いコミットメントが必要だと考えました。
移転にあたっては1,000億円近くをすでに投資しており、プレーノが我々の「ホーム」であることをアメリカの地で宣言することは、ビジターからネイバーへの転換を図るという意思表示でもあります。

プレーノ近郊の環境はいかがでしょうか。

カリフォルニアには、お金では買えない気候の良さがありました。しかし交通渋滞には常に悩まされ、郊外でないと家を買うのが難しいのも事実です。
その点プレーノは、コスト・オブ・リビングやクオリティー・オブ・ライフの観点から見て豊かですね。20近くの大学があり中学校、高校の水準も高いため、ローカルの社員にはその点を評価し移住を決めた者もいると思います。

新社屋の規模はどれくらいですか。

正社員が約4,000名、ビジネスパートナーの方を含めると6,000名程度が働いています。そのうち日本人出向者の数は約120名です。
しばらくこの規模での運営を考えています。

移転されてまだ間もないですが、現時点でのご状況は。

機能をひとつ屋根の下に集めたことで、部署を越えたディスカッションや、ジョブローテーションが可能となりました。 また、各機能の特性が混ざり合い、新しいカルチャーも生まれます。
(部屋に飾ってある象の写真を見て)この写真は戒めとして飾っています。自動車産業は非常に裾野の広い産業なので、全体を捉えることが重要です。象の鼻だけを見るのではなく、足はどうか、耳はどうかと全体像の中で考えられるようになってきたことは、機能統合のひとつの成果だと思います。この象の例えは、社長の豊田の教えでもあるんですよ。

テキサス州でビジネスをされる利点は何でしょうか。

土地も広大で、全米各都市、カナダ、メキシコへ4時間圏内という交通の要所でもあり、時差の面でもコミュニ ケーションが取りやすいです。レストランやショッピングモールも増え、とても伸びしろがあります。
今後も大企業の本社機能の移転が続くのではないでしょうか。

次はアラバマ州にマツダとの合弁の工場を建てられると伺いました。なぜアラバマなのでしょうか。

これは大変ありがたいお話で、20を超える州から誘致のお話を頂きました。
各州の方と真摯に話し情報交換をしてきたのですが、物流面やサプライヤーのリソース面、州の労働人口などを総合的に判断し決定に至りました。建設予定地は広い平地のコットンフィールドであるため、迅速な立ち上げには最適でした。
稼働は2021年を目指しており、カローラの15万台生産、約4,000人の雇用を予定しています。

テキサス州内でのCSRにも力を入れているそうですが、具体的にどのような活動をされていますか。

例えば、フードバンクや病院への支援などです。弊社にはサプライヤーの支援組織があるのですが、そのノウハウを生かして活動しています。フードバンクでは、在庫物資の「見える化」を実施し、必要なものを必要な時に配布できる仕組みを作りました。病院へは、待ち時間を短縮する改善策を講じました。こうした地道な活動を通して、地域に密着した会社を目指しています。
以前、テキサス州知事が「リーマンショックで景気が悪化した時も、トヨタは誰ひとり解雇しなかった。私は今なおそれを覚えており、その時にトヨタを真の友人だと思った」と言ってくれたんです。投資額や雇用数といった数字ではなく、ひとつのストーリーとして知事の記憶に残ったことは大変嬉しいことです。

テキサス州はとても伸びしろのあるところです

土地も広大で、競合も多いアメリカでのマーケティングはどのようにされていますか。

トヨタブランドは、全米に12のリージョンオフィスがあり、レクサスは4つのエリアオフィスがあります。土地ごとに合ったマーケティング施策があるので、各地域のディーラーと細かい戦略を策定しています。例えば、車の価格を下げるのがいいのか、金利に対して過敏なのかなどを分析します。全米共通の戦略は少ないですね。

「カムリ」は16年連続、全米での販売数が第1位と伺いました。

本当にありがたいことですが、アメリカでの乗用車販売台数においては2002年から16年連続1位を獲得しています。高い支持を頂いているのは、お客様の声に耳を傾けつつ、信頼とともに快適な自動車を提供し続けてきた結果だと思っています。
初期のカムリに比べ、アメリカのお客様の嗜好に合わせ車体は大きくなっています。それでいて燃費が良く壊れにくいため、一定数のアメリカ人にとって必需品のような位置付けになっているのではないでしょうか。

アメリカ人にとって車の存在とは。

文化的にも、生活手段としても切り離せないと思います。
カリフォルニアにいた時、私の娘は16歳になってすぐ免許を取り、車で高校に通っていました。日本だと考え難いことですよね(笑)
テキサス州ではピックアップトラックやSUVに対する嗜好が高い傾向がありますが、スポーツカーもよく見かけます。そのなかでカムリの売れ行きが長きに渡り好調なのは、本当にお客様のおかげです。

カーシェアリングや電気自動車の普及で、マーケットはどのようになっていくとお考えですか。

カーシェアリングに関しては、共存の方法を考えています。今後もある一定のバランスは保たれると思うので、自動車の所有がゼロになることはありません。
電気自動車(EV)については、テスラに代表されるピュアなものは1%に満たない状況です。電動化は、ハイブリッド車やプラグイン・ハイブリッド車なども含め環境対応のためさらに進展していくと思います。
2018年1月にラスベガスで開催された展示会CESでは、電動化、コネクティッド、自動運転技術を活用し、移動、物流、物販など多目的に活用できる次世代EV、“e-Palette Concept”を出展しました。そのパートナーとして、アマゾン、ピザハット、ウーバーなどとアライアンスを締結しました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは一部機能を搭載した車両の実証実験を行う予定です。

ご自身についてお聞かせください。座右の銘はありますか。

そんな偉そうなものはないのですが、ひとつ大事にしていることは“Keep on Smiling”です。ミーティングなどでは白熱した議論があってもいいと思いますが、それが終われば、お互い笑い合えるような環境で常日頃仕事をしていきたいと思っています。

最後に、新しくテキサス州にいらっしゃる方へアドバイスをお願いします。

その土地土地の良いところを見つけることは大事だと思います。住んでみて分かる良さが必ずあります。テキサス州は知れば知るほど奥深いところですので、垣根を払ってお越し下さい。

トヨタ自動車 Toyota Motor North America, Inc. 
EVP / Chief Administrative Officer
小川哲男 TETSUO OGAWA

1959年生まれ。1984年トヨタ自動車株式会社に入社。2008年に米国トヨタ自動車販売株式会社に出向し、トヨタ自動車株式会社中国部部長を経て、2015年に同社常務役員に就任。 同年には、トヨタ自動車(中国)投資有限会社取締役社長を務めた。2017年4月より現職。2018年1月にトヨタ自動車株式会社専務役員に就任した。
※2018年2月インタビュー時点

Interview: Hisashi Abe
Photo: Reed J. Kenney