【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】米国岡谷鋼機会社 社長 本多 良隆

350年続く岡谷鋼機の歴史を受け継ぎ、米国岡谷を次のステージへ。

1669年に名古屋で金物商として創業した、鉄鋼を主に扱う産業材商社の岡谷鋼機
350年もの間、脈々と受け継がれてきたチャレンジ精神は、本多良隆氏のなかにも宿っている。29歳で赴任したタイで事業の立ち上げに携わり、後にインドネシア法人で社長を務めた本多氏は、2018年5月に米国岡谷の社長に就任。米国岡谷が今目指しているものとは何なのか、話を伺った。

ナショナルスタッフが指揮を執り、今まで以上に活躍できる組織にしていきたいです。

岡谷鋼機の事業内容を教えてください。

弊社は、鉄や機械を中心に取り扱う産業材の商社です。
主要事業はものづくりに欠かせない鉄鋼製品や原料、高品質な特殊鋼を扱う「鉄鋼」、非鉄金属や半導体などのエレクトロニクス商材などを扱う「情報・電機」、工作機械などのメカトロ製品と化成品の樹脂材料を中心に扱う「産業資材」、住宅関連から食品まで生活に密着した商材を扱う「生活産業」の4つのセグメントに分かれています。
グループ全体で連結売上高は8,500億円にのぼり、その約4割が鉄鋼セグメントの売上です。
商社でありながら、事業チャンスがあるものに対しては技術面での協力企業を見つけて、ジョイントベンチャーとして製造子会社を立ち上げています。そのほか、より地域に密着した販売系子会社も多く所有しています。

アメリカでの沿革や事業内容を教えてください。

アメリカ国内には13の拠点と、3つの関連会社を持っています。
アメリカでの事業は、1957年にニューヨークに駐在員事務所を開設したのがスタート。当初は、米国から鉄のスクラップを日本へ輸出するための連絡業務が事務所の主な役割でした。
しかし、90年代から2000年初頭にかけて日系企業のアメリカ進出が盛んになり、日系の会社に貢献できる事業を行うためにアメリカ全土に支店を展開。商業活動だけでなく、ものづくりも含めた全面的なサポートを行っていきたいと考えるようになりました。

また、既存の商売にとらわれず、その都市ごとに今後伸びていくであろう産業の発掘にも努めています。
例えば、オイルやガス向けの鉄鋼製品の販売から事業をスタートしたヒューストンでは、樹脂材料の取り扱いも開始しました。LAを拠点に日本向けの航空機産業の取り組みも始めています。2年前にはシリコンバレーにも拠点を設立。これには世界をリードする最先端の技術やサービスを、日本はもちろんのこと世界中の拠点に発信し、新たな息吹をもたらしたいという狙いがあります。
また、カナダ・メキシコ・ブラジルの各現地法人とも連携をし、北・中・南米のビジネス拡大も考えています。

アーリントンハイツにある本社ビル

350年続く会社ならではの企業理念は何ですか。

本社の岡谷鋼機は350年もの間、代々岡谷家によって大切に引き継がれてきた歴史のある会社です。
しかし、全く古い体質ではなく、常に新しいことに挑戦し続けているからこそ会社を永続させることができています。この姿勢は、金物商だった創業当時も「棚の最前列には常に新しいものを並べる」ということを徹底していたほど、ずっと変わっていません。当時から新しい商品の仕入れルー トを開拓し続け、事業を拡大してきました。
このような精神は現在まで脈々と受け継がれています。

また、現在我々が経営理念として掲げているのは「グローバル最適調達パートナー」という言葉。常にお客様により良い物をお届けするために、何をすべきかを徹底的に考えるということです。
現在世界22ヵ国に拠点を展開し、世界市場におけるお客様の最適な調達パートナーを目指しています。製造子会社を作るのも、この経営理念に基づき、追求を重ねた結果です。ビジネスの持続性や社会との調和は我々がとくに重視することなのです。
歴史がある会社ゆえに、「堅実な会社ですね」とよく言われますが、それは適切なリスクを常に考えているためです。例えば「面白そうだからやってみよう」と何か新しいことをスタートするときも、最終的な判断に至る過程では、その商売の意義や持続性を徹底的に議論します。
目先の利益だけを考えるのではなく、自分たちが行っていることに、社会的な意義があるかどうかを常に問う。そういった姿勢を持ち続けています。

社長に就任されて、変えていきたいポイントはどこですか。

私たちは日本の資本が入っていますが米国企業なので、ナショナルスタッフ(現地スタッフ)がやりたいことに取り組める環境を作り、彼らが現地の事業を引っ張っていける組織にしたいと強く思っています。
米国岡谷は設立から50年以上が経ちますが、岡谷鋼機本社から派遣された駐在員が中心となりビジネスを考え、拠点を展開してきたという歴史があります。
しかし、より現地に根差し、その国の地域や経済に貢献できる会社になるためには、ナショナルスタッフが中心となってビジネスを考え、舵を取っていく必要があると考えています。ですから、米国岡谷においてもナショナルスタッフが指揮を執り、今まで以上に活躍できる組織にしていきたいです。
これまでは拠点長にナショナルスタッフがいなかったのですが、人材の育成と登用に力を入れ、組織を変えていきたいと考えています。

米国岡谷、50周年記念パーティーの様子

お客様のものづくりに寄り添い、常に新しい付加価値を追求し続けています。

本多社長の経歴を教えてください。

私は岡谷鋼機の産業資材セグメント、メカトロ(機械)部門出身です。1996年の入社時には、自動車の部品メーカーのお客様が集まる愛知県の刈谷支店で、機械設備の販売を担当しました。入社した際は、20年後にまさか自分がアメリカにいるとは露ほども思いませんでした。
入社5年目に転機を迎え、タイでメカトロ部門を立ち上げるプロジェクトに偶然私が出張で送り込まれました。その後あれよあれよという間に2009年まで駐在することになりました(笑)。
しかし運に恵まれ、タイの経済も好調でしたし、国もお客様もみんなエネルギーに満ち溢れていた時代でした。新規進出や新会社設立など、お客様のプロジェクトも目白押しで、充実した駐在となりました。
なかでも、私が担当をしていたメカトロ部門で、機械や切削工具の販売を専門に取り扱う新会社の立ち上げを行うことになり、この大プロジェクトに30代前半で携われたことは大変勉強になりました。ひとつの会社を作り、社員を雇って事業展開をするという経験をさせてもらって。若いときにさまざまなチャレンジができたことは商社マンとしての醍醐味です。上手くいったことも失敗したこともすべての経験が、現在も私の中に残っています。
日本への帰任後は、インドネシアに赴任し、翌年からインドネシア法人の社長を務めました。さまざまな支店の立ち上げや多くの社員の雇用など、まだ若い会社でしたので自分で開拓していく楽しさがありました。  

米国岡谷への着任がこれまでと違う点は、やはり50年の歴史の重みです。先輩方が築かれた歴史を大切にし、自分が指揮をとっていくことに対して、今まで以上に責任を感じています。
アメリカは国土も広い、世界を代表する国です。社員とともにこれからの米国岡谷を真剣に考えていきたいと思います。

自ら開拓をしたり、アイデアを出したりすることは好きですか。

そんなことばかり考えています。これは社内でよく言うことですが、「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれて、ただ「私は鉄を売っています」と答えるだけでは商社マンと言えません。「鉄を軸に何をやるのか」を考えるのか商社マンです。
例えば新しい拠点や製造子会社を作る必要性を感じたら、会社に言われてからやるのではなく、自ら提案をして実現させてきました。この仕事にチャレンジ精神は不可欠だと思います。

また、私たちには大手の総合商社さんのように新しい仕組みや国家的インフラを作ることではなく、お客様により近い立ち位置から事業をサポートをすることが求められています。お客様のものづくりに寄り添い、常に新しい付加価値の提供を追求し続けています。

経営者としての苦しみや喜びとは何でしょう。

苦しいと思うことはないです。サラリーマンで入社したにもかかわらず、経営者の立場を任せてもらえることには感謝しかありません。その期待に「応えないかん」というプレッシャーはもちろんあります。
でも、一度しかない人生、もし上手くいかないことがあっても、さまざまな課題を乗り越え、次々に新しいことに挑戦する人生の方が楽しいはずです。
350年続く岡谷鋼機の歴史を受け継ぎ、米国岡谷を次のステージへと前進させることが私の使命だと思っています。

最後に、日系企業がアメリカで成功する秘訣とは。

どの国でも同じだと思いますが、やはりその国、地域、社員、お客様とよくコミュニケーションを取りながら課題を解決していくことが重要だと思います。その対話力が日々試されていると感じています。
自分の経験に固執せずに、今置かれている環境へ頭を切り替え、自分の考えを押しつけるのではなく、相手の立場になって物事を見る。日本人は、やり方を型にはめる傾向にあると思いますが、常に対話をして柔軟な対応をしていくことが大切だと考えています。

また、日本人駐在員は、ナショナルスタッフから研修員のように捉えられがちというのも事実。駐在員は基本的に数年経験を積んだ後、次のステップに向けて日本に帰任してしまいます。ナショナルスタッフがアメリカに骨を埋めるつもりで働いている傍らで、本社からきた社員が、「自分にとってアメリカで働くことは腰掛けで、良い経験をするために来ました」なんていう気持ちでいたら、なかなか良い会社にはならないでしょう。
私たちは本社のためにだけ仕事をしているわけではなく、この国やこの国のお客様に対して、この国にいる人たちと一緒に働いています。それを第一に考えるということが、最も重要だと思います。

米国岡谷鋼機会社 OKAYA(U.S.A.),INC. 
社長 President
本多 良隆 Yoshitaka Honda

1972年愛知県出身。1996年岡谷鋼機に入社。入社時に産業資材事業、刈谷支店機械室に配属。2001年からタイに駐在し、現地でメカトロ部門のビジネスの立ち上げに携わる。2009年 名古屋本社への帰任を経て、2012年7月に岡谷インドネシアに赴任。翌年、同社社長に就任。2018年5月より現職。

Interview:Mika Nomoto 
Photo:Amy Bissonette 
※2019年1月11日取材