【特別インタビュー】久保純子 フリーアナウンサー/モンテッソーリ教諭

久保純子 Junko Kubo

1972年東京都生まれ。小学校時代をイギリス、高校時代をアメリカで過ごす。大学卒業後NHKに入局し、ニュースやスポーツ番組のキャスター、ナレーター、インタビュアーなどとして幅広く活躍。「紅白歌合戦」や「プロジェクトX」などの司会も担当。2004年からフリーアナウンサーとしてテレビやラジオに出演する傍ら、執筆活動や絵本の翻訳も手がける。08年から日本ユネスコ協会連盟の世界寺子屋運動広報特使「まなびゲーター」を務め、14年にはモンテッソーリの国際教諭資格を取得するなど、「子ども」と「言葉」、そして「教育」をキーワードに活動の場を広げている。ニューヨーク在住6年目の2022年、念願だったモンテッソーリ幼稚園で働き始める。

 

ニューヨークの底知れぬパワーが、夢の扉を開けてくれた

モンテッソーリ教諭として、ニューヨークの幼稚園に就職を果たしたフリーアナウンサーの久保純子さん。
子どもたちの力を引き出す「導き役」でいられる毎日に幸せと癒しを感じるという。
自分の「好き」を手放さず、苦しいことも受け入れる力は、ニューヨークの街が教えてくれた。
「遅すぎることは決してない」というメッセージが心に響く。

 

久保さんにとってニューヨークとは。

大好きです。街自体がキラキラしていて、住んでみて初めてその素晴らしさに気づかされました。海外の暮らしを経験し、アジア、ヨーロッパ各国もできる限り自分で歩いて旅してきましたが、エネルギーの強さ、あふれるパワー、何かが始まりそうな息吹をニューヨークからは肌で感じます。日本の平和、奥ゆかしさ、義理人情などの美徳も大好きですが、何があっても立ち上がるというニューヨークの得体の知れない底力は他の街とは比較にならないと感じます。

コロナ禍はニューヨークで過ごされました。

街に人がいなくなり、にぎわっていたブロードウェイからも人影が消え、何もかも止まってしまい光が消えました。唯一光を与えてくれていたのが、毎日エンパ イアステートビルに灯る明かりで、それが安心感を与えてくれました。そんな閉ざされていた世界のなか、4人に1人はコロナに感染という時期を経て、そこから立ち上がれた力強さにこの街の人々の強さを感じます。

 

6年間暮らしていても、ニューヨークは毎日違う顔を見せてくれます。

 

今はそのニューヨーカーのお一人ですね。

6年間暮らしていても、ニューヨークは毎日違う顔を見せてくれます。例えばガーメントディストリクト(布問屋街)から少し歩くと、ブロードウェイのある華やかなタイムズスクエア、ニューヨークの台所ヘルズキッチン、さらに進むと瀟洒(しょうしゃ)な佇まいのアッパーウエストと、その魅力は尽きません。幼稚園の仕事を始める前は、毎日3万歩ぐらい歩いて探索していました。人種のるつぼでいろいろな人が行き交う街だからこそ、日々新しいパワーを実感します。大好きなブロードウェイもありますし。

ミュージカル愛が深いと伺いました。

ロンドンに住んでいた小学校4年生のころに初めて「キャッツ」を観て、こんな世界があるのかと魅せられました。日本でも機会があれば観に行っていましたが、ここ本場に来てしまったらすべてを網羅したいと思うほど夢中になって、週に2、3回行くこともあります。いろいろな方法を駆使して安いチケットを探すのも楽しいですし、ミュージカルは私の心の拠り所です。

ー 同じ作品を何度も観に行かれるそうですね

「キンキーブーツ」は18回、「ムーランルージュ」は7回観ています。少し渋めですが「キンバリー・アキンボ」や「ヘイディズタウン」も好きです。閉演した「トッツィー」や「ミセス・ダウト」、ダニエル・クレイグの「マクベス」や、サラ・ジェシカ=パーカーの「プラザ・スイート」もとても良かったです。「MJ」など好きな作品は毎日抽選に申し込んで、いつチケットが手に入っても大丈夫なように夜は空けておき、当選したら夕食後、家族に「みんな、今から行くよ!」って。

何度も観て次にどうなるか分かっていても、同じシーンで感動し、号泣です。劇場まで歩いて行けることに心躍り、歩いて帰ってこられることにウキウキし、こんなに身近にエンターテインメントの最高峰がある喜びを感じながら、すべての瞬間を楽しんでいます。幼稚園に通勤するときも、ミュージカルのサウンドトラックを聴きながら自転車に乗っています。また、プレイビル(*編集部注)もすべてとってあるので、ロングラン公演で配役が変わってもすぐ分かります。「キンキーブーツ」は舞台を観ただけで、後ろのエンジェルズが変わっているな、前にあったシーンがカットされているな、と分かりますし、変化を発見することも楽しみです。なによりこれだけの才能が集まるアメリカの層の厚さに圧倒され、その才能を生み出すアメリカのシアター教育にも興味があります。

18 回通った「キンキーブーツ」のロビーでなりきりパチリ。
本音は私も舞台に立ちたい!とか。「好き」への情熱は教育者としての活力の源

 

ー アメリカのシアター教育の充実度は日本の比ではないですね。 

そう思います。こちらに来て、子どもの学校教育を通して初めて知ったことのひとつでもあります。小さいころからシアターを通して自分を表現したり、気持ちを伝えたり、仲間意識を持ったりすることを学校教育として取り入れていることは素晴らしいと思います。覚えたセリフを上手に話すというお遊戯とは違う教え方ですよね。弁護士でも、お医者さんでも、 他のどんな仕事に就くにせよ、シアターを通して自分の表現力を培うという教育にとても共感します。

他にも日米の学校教育の違いで印象深いことは。

私たちがニューヨークに来た2016年秋は、トランプとクリントンの大統領選の渦中でした。当時小学校2年生の娘の学校では、子どもたちがトランプとクリントンになって、それぞれの公約を自分の言葉で表現し討論していました。こういうことで政治への興味や、自分が自分の国を動かしていくという意識が生まれるんですね。それを学校だけで終わらせず、夕食を食べながら政治の話題も親子で話します。 こうして考える力、自分で生きていく力が培われていく。環境問題も、誰かが変えるのではなく、自分たちが変えるという意識を持つようになります。アメリカの「me, me, me(自分、自分、自分=自己主張すること)」という部分が前面に出ることは決して悪いことではなく、自分で何かができるという思いの上に立っているからこそ出てくることなのだなと思います。

アメリカは「移民の国」であり、アメリカ人といってもそれぞれルーツが違うので、お互いを理解するためにも政治や宗教、人種に興味を持つことはとても大切だと思います。反対に、お互いを慮ることや、お掃除を通して身につける衛生観念など、日本の良いところにもたくさん気がつきます。コロナ禍で明らかになった、教室前に手洗い場のある素晴らしさ。 アメリカの学校では手洗いうがいの習慣がありません。衛生環境への意識の高さは日本ならではだと思います。

お子様をニューヨークで教育できたことについては。

彼女たちに合っていたと思います。私も子どもたちもいろいろな経験をし、挫折することも、思い悩むこともあり、人種の壁に直面したこともあります。これからも何があるか分かりませんし、日本も一生ひとつの仕事をしていく時代ではなくなっています。アメリカで学んだことで、娘たちも、どんな環境にいても自分で扉を開いていける力は培えたのではと思います。

先生になるのは子どものころからの夢だと伺いました。

アナウンサーから英語教師に転身した母の影響もあり、子どものころから学校の先生になれたらと思い、大学で教職課程も取りました。NHKに入ったのも、「セサミストリート」のような、子どもに言葉の楽しさを教えていく番組を日本でもつくりたいと思ったからです。日常の業務に 追われて実現できずにいましたが、30歳で子どもが生まれたのをきっかけに、 原点に戻ろう、本当にやりたかった子ども番組作り、子どもの教育に携わるという夢に立ち戻ろうと思うようになりました。 それには子育てをしている生の感覚がある今しかないと思い、NHKを退職しました。その後、民放局からお話をいただき「クボジュンのえいごっこ」と「ハッピー! クラッピー」を制作し、夢の扉を開くことができました。子育て中の母親の感覚と、やりたいと思っていたこと、さらに子どもが好きな虹やクレヨン、ふうせん、読み聞かせなど、ありとあらゆる「大好き」を詰め込んだ、本当に幸せな第一歩でした。

撮影で訪れた地元の公園に「こんな場所があるなんて知らなかった。
やっぱりニューヨークはまだまだ毎日発見ね」と目を輝かせる久保さん

先生になるための「学校生活」を振り返って。

40歳でモンテッソーリ教諭の資格取得コースに入学しましたが、学校は20代の生徒がほとんどでした。でもこちらでは誰も年齢を気にしません。一緒にお昼を食べたり、流行りのドラマの話をしたり、年齢を超えた交流を持てることがとても楽しかったです。日本では何をしても年齢が前に出ますが、そのおかげで話題に取り上げていただき、モンテッソーリを知ってもらえる機会にもなっています。何歳になっても、Never too late(遅すぎること決してはない)。やりたいことがあれば立ち上がれる、やりたいという思いがすべてだと伝えることができれば嬉しいです。

幼稚園への就職活動はいかがでしたか。

国際教諭資格を得て10年後の2022年、下の娘が14歳になり、コロナ禍も落ち着き、満を持して面接を受け始めました。今までの仕事は基本的に日本向けでしたので、英語環境のアメリカ社会で就職活動をするのは初めてなわけです。大丈夫なのか、やっていけるのか、 ついていけるかと、ものすごく緊張しましたし、怖い気持ちもありました。最初に電話をかけたときは緊張で手が冷たくなり、何を言ったかも憶えていないくらいです。そんな緊張感も新しいチャレンジへの楽しみに変えて、「こんなことができている自分て楽しくない?」と自分を鼓舞し、結果、一番行きたかった幼稚園に決まったので本当にほっとしました。

昨日までできなかったことが、 今日できたときのあの目の輝き。
「できたよ!(I did it!)」の一言がもうたまらない、 電流が走ります 。


実際に先生になって感じたことは。

モンテッソーリでは先生のことを「導き役」と呼びます。教え込むのではなく子どもたちを見守りながら導きます。私のパートナーの先生は30歳の若きベテランで、いろいろなことを学ばせてもらっています。私も子育てを経験し、失敗を繰り返しながらここまでやってきた今だからこそ、全てを受け止められるのかもしれません。もし20代で先生になっていたら、泣いたり、地団駄を踏んでる子どもを前に「どうしよう」と戸惑ったりしたと思います。今は許容範囲が広くなっているのか、子どもが何をしても可愛くて仕方がないですね。孫みたいな感覚。目をパチクリさせながらこちらを見ているだけで、「ああ、よくここまで大きくなったね、3歳半」という気持ちになります。

ー 「導き役」としての毎日は。

毎朝6時に起き、8時前に出勤し、おやつを用意し、その日のワーク(** 編集部注)の準備をして、子どもたちが登園してきたらヨーイドンで活動を始められるように教室を整えます。クラスが始まると、安全の見守り、お手洗いの手伝い、昼食の支度、外に行くときの着替え、ワークのプレゼンテーションと、息つく暇もありませ ん。モンテッソーリのプレゼンは、子どもと「導き役」の1対1で行い、その後、子どもはそのワークに好きなタイミングで好きなだけ没頭できます。私も折り紙のワークを作るなど、いろいろ工夫しています。 泣く子どもを30分抱っこしていると腕も疲れ、「おばちゃん大変」と思うこともありますが、それを超える喜びの暮らしです。

NHK時代のアナウンサー業務も大好きな仕事でしたが、「失敗しちゃった」「こうすれば良かった」など、反省の繰り返しでした。そういうことが今は皆無です。す べては子どもたちのためなので、失敗という概念はなく、毎日が癒しです。モンテッソーリの基本は、待つ、待つ、待つ。子どもが靴紐を結ぶ、靴下を履く、そういうことを30分でも40分でもずっと待ちます。昨日までできなかったことが、今日できたときのあの目の輝き。「できたよ!(I did it!)」 の一言がもうたまらない、電流が走ります 。

モンテッソーリ教育への情熱や、ミュージカル愛、伝えたい思いがあふれて止まない

ー 「導き役」とアナウンサーを両立するバイタリティーの源は

今はモンテッソーリの仕事がメインで、アナウンサーの仕事は時差もあるため夜の8時過ぎから、できる範囲でやっています。バイタリティーの源はやはりニューヨークの街ですね。この地が私に元気とパワーを与えてくれます。もちろん良いことばかりではありません。物が壊れて修理を頼んでも2週間来ないとか、日本で当たり前のことが当たり前じゃないこともありますが、それもまた心地良いというか。日本の丁寧な対応も好きですが、ニューヨーカーの雑な感じも嫌いじゃないです。航空会社に電話して3時間待たされたあげく切られたことや、メトロカード にお金チャージしたらそのままカードが機械から出てこなかったこともあります。でもこれがまたこの街の面白さで、自分にも許しを与えられます。

 

ー 、子どが、将かされる気がします。

はい、絶対にそうですね。日本に帰ったら家族との生活を優先させながら、できる限り早くバイリンガル教育とモンテッソーリ教育を合わせた幼稚園をつくりたいと願っています。

 

* プレイビル…劇場で配られる作品情報が載った冊子
** ワーク…モンテッソーリ教育において子どもが取り組む作業の名称

ニューヨーク便利帳®︎vol.31本誌掲載

Interviewer/Editor: Sonoko Kawahara
Photographer: Masaki Hori
2022年9月17日取材