【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】Shimizu North America LLC President 吉儀猛雄

Shimizu North America LLC

1000 Parkwood Cir. SE, Suite 820, Atlanta, GA 30339

Tel (770) 956-1123

 1984年に清水建設入社。香港、インドネシア、シンガポール、マレーシアへの赴任や、ペンシルベニア州立大学留学(コンストラクションマネジメント修士課程修了)などを経験。2002年にアメリカ赴任。国内現場やメキシコ担当などを経て09年に清水ノースアメリカ社長就任。13年に清水インド社長就任。15年に再び清水ノースアメリカ社長就任。

清水建設の使命を実直に「子どもたちに誇れるしごとを」

清水建設のアメリカ現地法人「清水ノースアメリカ」はアトランタに拠点を置き、日系企業の工場建設などを支えている。9年に渡って社長を務めてきた社長の吉儀猛雄氏に、事業の動向や仕事への思いなどを聞いた。

ー会社の沿革を教えてください。

清水ノースアメリカは、清水建設のアメリカ現地法人です。清水建設として初のアメリカ進出は、1974 年のサンフランシスコ駐在員事務所設立にさかのぼります。78 年には初の工事を獲得し、81 年にはロサンゼルスに現地法人を設立しました。ロスに拠点を置いたのは当時、日系企業が最初にアメリカ進出する地だったからです。99 年にはニューヨークに本社を移しましたが、その後すぐ2000 ~ 01 年にかけてアトランタへ移転しました。アトランタに移ったのは、顧客企業の近くにいられるメリットが大きいと考えたからです。移転当時、アメリカ北部はユニオンなどの問題が根強く、主要顧客である日系企業の間では、南部への工場整備を意向する声が多くありました。アトランタは国内各都市だけでなくメキシコにも多くの直行便が出ており、ニューヨークやロスなどとは違った、カバー範囲の広さも魅力です。

ー事業が伸びている地域はありますか。

弊社は同時進行している現場が5、6 カ所ほどで、アメリカ国内の同業者ほどの規模はありません。仕事を受けるのは、日系企業がアメリカに工場を建てたいという機会が主であるから、むしろニッチな分野で事業をしていると言えます。ですので、どのエリアが伸びているかとまでは言い切れませんが、あえて挙げるならアラバマやテネシーです。ノースカロライナやサウスカロライナ、ナミシシッピなど、ジョージアを中心とするアメリカ南東部は日系自動車関連企業の動きが盛んです。

ー新規顧客企業をどう開拓するか、教えてください。

弊社の強みは、日本企業のやり方を熟知していることと、自動車産業の工場のように、複雑で比較的重い建物の設計施工ノウハウが豊富なところにあると認識しています。倉庫などのシンプルで比較的軽い建物は、アメリカ企業のほうがうまく建ててしまいますが、アメリカのやり方に慣れていないアジアやヨーロッパ企業との関係を築いていけば、この強みがありますから、顧客の幅を広げられるのではないかと思います。

ー建設業界にイノベーションの動きはありますか。

建設業にとってイノベーションは難しさがありますが、コンピューターの力を現場に可能な限り取り入れることができれば良いと思います。弊社は、人が関わって建物をつくる価値を会社としても強調しているので、ある意味では相反しているところがあります。ただやはり、各所でコンピューターは導入されていますから、建設業の現場にも生かしたいと考えています。

ーアメリカ法人トップを務めたここ数年の事業の手ごたえは。

弊社の顧客はほとんどが日系企業で、アメリカ全体の着工数の伸びのように推移はしておりませんが、それでもリーマンショック後少しずつ良くなっています。その一方で、スタッフを集めづらい課題は常にあります。建設業全体が忙しいと、弊社のような小規模な事業者は、建設業がホットな地域では特にスタッフを集めづらい。現場は本社のコアスタッフだけでなく、協力会社のスタッフのおかげで成り立っていますから、これは常に意識して動いていく必要があります。

ー不動産開発の取り組みを教えてください。

不動産開発には今後さらに力を入れていきます。弊社は2020 年4 月の組織改編に向けて準備を進めています。私が今いる清水ノースアメリカは持ち株会社となり、建設、不動産開発、プロセスエンジニアリングの各事業会社を設けます。弊社はこれまで建設事業に注力してきましたが、不動産開発やプロセスエンジニアリングに一層力を入れ、アメリカの事業全体を広い範囲で強化していくつもりです。

ーコーポレートスローガンについて教えてください。

弊社は「子どもたちに誇れるしごとを」というメッセージをスローガンに掲げており、これには「強くしなやかで、人と環境にやさしい施設・まちづくりを通じて、持続可能な未来づくりに貢献する」という思いを込めています。清水ノースアメリカも建設を通じて、水や気候変動といった環境問題に今後も取り組んでいきます。

ー社歴を教えてください。

私は1984 年の入社後すぐ海外に出て、最初の15 年位は香港、インドネシア、アメリカのペンシルベニア州立大学留学を挟んで、シンガポール、マレーシアの順に回りました。1 つの国には3、4 年おり、いずれも現場業務をしていました。その後、東京に戻り、ここでも現場で働きました。日本人でありながら、日本で働くのは実はこのときが初めて。40 歳近かったですが、非常に新鮮で新入社員のような感覚でした。日本のやり方は海外と全く違っており、面白いなと。東京には3 年半おり、ここでの経験がアメリカに来てから生きています。アメリカに来たのは2002 年。ここからが会社人生の後半です。さらにメキシコで2 年、インドで3 年弱働いた後、15 年には再びアメリカへ。アメリカ在住は今では17 年目となります。

ー思い出深い仕事を教えてください。

私が経験した最初の現場は香港でのホテルプロジェクトだったのですが、ここでの印象が強いです。日本と全く違う社会で、建設の仕事自体がそもそも初めて。20 階建てほどの建物が出来上がっていき、外側の足場を外していくなか、担当した外壁が少しずつ見えたときには感動しました。ホテルでしたから、水道の水がちゃんと出たり、照明がついただけでも感動しました。みんなで力を合わせて仕事をすると、本当にすごいものができるのだと心から思いました。

ー建築物をつくる仕事は夢がありますね。

現場で働いている最中はそうは思わないのでさうが、完成した建物を見るとやはり感動します。大きさがありますし、長く残っていくものですから。私は、この香港のホテルが完成して14、15 年後に泊りに行ったことがあるのですが、ちゃんと建っている様子を見るとそれだけでもうれしく、安心しました。私は海外を仕事で転々としていましたので、一度担当した建物をその後訪れる機会は、実はあまりありません。ですからこれは、本当に良い思い出の1つです。

ー座右の銘を教えてください。

座右の銘というほどのことではありませんが、「人として正しいことをしよう」という考えを大切にしています。これは社会人になる前から今までずっとです。仕事で2 つ、3 つの選択肢があるときは、人間としてどうすべきかを考えてから物事を決めるようにしています。

ー仕事で今後力を入れたいことはありますか。

職場が日本人にとってもアメリカ人にとっても働きやすい環境になるよう、サポートを続けていきたいです。アメリカ人は商習慣や物事の考え方が日本人と大きく違います。日本人が良かれと思ってしたことでも、アメリカ人にはむしろ逆であるケースが時にはあります。こういった違いを、私は全部分かっているという訳ではありませんが、アメリカに長くいた人間として伝えていければ良いと思います。

2020年3月17日取材

Photographer: Hiro Edward Sato
Editor: Shota Haga

アトランタ・ノースカロライナ・サウスカロライナ・テネシー・アラバマ・テキサス便利帳 Vol.16