【Japan Pride 注目企業エグゼクティブインタビュー】キッコーマンフーズ President & COO 辻亮平

President & COO
辻 亮平(つじ・りょうへい)※辻は二点しんにょう
kikkomanusa.com
N. 1365 Six Corners Rd, P.O. Box 69, Walworth, WI 53184

1961年生まれ。84年、東京大学農学部農芸化学科を卒業し、同年キッコーマン株式会社入社。野田産業科学研究所や東大微生物研究室での研究活動、イエール大学スクール・オブ・メディシン客員准教授などを経験し、キッコーマンでは製造から研究・商品開発まで幅広い分野に携わる。2020年から現職。農学博士であり、シカゴ日本商工会議所の2022年度会頭やシカゴ日米協会のディレクターも務める。


しょうゆをツールとして食文化の国際交流を図っています

和食だけでなく、肉料理などどんな料理にも合う日本のしょうゆ。欧米の食文化にも日本のしょうゆを浸透させた立役者であるキッコーマンフーズは2023年、グランドオープニングから50周年を迎える。

 

ーウィスコンシン州に工場を構えた理由は。

  1つ目の理由はロジスティックス(物流)です。グランドオープニングの1973年当時、しょうゆの最大の市場は西海岸、次に東海岸でしたが、これらの地域だけでなく中西部や南部も含めアメリカ全土にお届けできるよう、物流に有利なシカゴ近郊の当地を選んだのです。
 2つ目の理由はしょうゆの原材料である大豆と小麦の穀倉地帯、いわゆるハートランドの真ん中に位置することです。大豆は主にイリノイ、オハイオ、インディアナ、ミシガンなどの州で獲れ、小麦は少し北のノースダコタ、サウスダコタ、ミネソタなどの州、あるいはカナダで主に獲れます。
 3つ目の理由も原材料に関連し、水が潤沢にあることです。全世界で供給可能な淡水資源の22%が中西部にあるといわれているように、しょうゆづくりの命ともいえるきれいな水が、五大湖や地下水のおかげで潤沢にあるのです。
 4つ目の理由は中西部のワークエシック(労働倫理)です。中西部は全体的に、人々の労働に対する倫理観や規律を守ることへの意識が高く、真面目な人が多いといわれています。農業や酪農がさかんな地域のため、毎日朝早くから夜遅くまで働く文化が浸透しているからでしょう。 地元の人々から「どうしてここに工場を?」と聞かれて4つ目の理由を話すと、みなさんよろこび、共感してくださいます。

製造から研究・商品開発まで幅広い分野に携わってきた辻氏。「どうしたらロングライフの商品をつくることができるかを、常に考えています」 

ー日本のしょうゆがアメリカ人に受け入れられた理由は。

 諸説ありますが、戦後、GHQをはじめ多くのアメリカ人が日本に滞在していました。戦後、日本に来たジャーナリスト、官僚、教師、ビジネスマンなどが(日本国内で)しょうゆを使用しているのを見て、アメリカ人にも需要があるのではないかと考えたという話があります。私たちはアメリカでしょうゆを販売するだけでなく、しょうゆをツールとして食文化の国際交流を図っています。ラベルに「All Purpose Seasoning(多目的調味料)」と記されているのは、寿司や刺身などの日本食だけでなくいろいろな料理に合うということを伝えるため。今でこそステーキやバーベキューなどのしょうゆ味は普通ですが、アメリカに進出した当時はそれがありませんでした。そこで「Delicious on meat(肉に合います)」とアピールし、スーパーの試食販売など各地で地道な販促活動を行った結果、欧米の食文化にもしょうゆが浸透していったのだと思います。
 また、当時アメリカでは、穀物を化学分解したアミノ酸液に色付けをしたものがしょうゆとして売られていました。そこに私たちが日本の本醸造しょうゆを持ち込んだのです。両者には圧倒的な品質の差があり、日本で生まれた本醸造しょうゆが受け入れられる理由としてクオリティー、そして日本の製造方法という素地があります。

 

ー製造において難しい部分や、ポリシーとする部分は。

 しょうゆは発酵醸造物です。最近アメリカでも発酵食品が健康に良いと注目されていますが、この発酵工程こそが一番特徴的であり、難しい部分でもあります。仕込みには「麹づくり」と「もろみ発酵」という工程があり、麹づくりにはアスペルギルスという麹カビを、もろみの発酵には乳酸菌と酵母を使います。3つの微生物を使う日本のしょうゆやみそは世界的にも珍しく、製造に技術も要します。
 また、当社には現地化というポリシーがあります。どうしても日本にしかないものを除き、発酵工程で使う装置、醸造工程で使う仕込みタンクも含め、かなりのものを現地調達できるように整えています。そうやって現地化しながら、全世界で日本と同じ品質を再現しています。

ウィスコンシン州の社屋(提供写真)

ーコロナ禍での影響は。

 コロナ禍では市場の構成が一気に変わりました。人々が外に出られず家で過ごすようになったため、レストランなど業務用の需要は落ち込みましたが、誰でも食事はしなければいけないので、家庭用商品の需要は爆発的に伸びました。ここは食品業界の安定している部分であり、景気に左右される幅が他業界よりも少ないと思います。
 他には、世の中で言われていたサプライチェーン崩壊の影響を当社も受けました。まったく想定しない規模で家庭用商品の需要が伸びたことにより、容器をはじめ、運搬用パレットに使う木材なども不足しましたが、長年にわたり築いてきたサプライヤーとの良好な関係を活用して、かなりの量を供給する努力をしてきました。

 

ー社員育成については。

 現場から管理職を抜擢することも多く、高卒のラインワーカーでも会社のサポートを受けながら夜学や資格の学校に通い、ステップアップしていくケースがあります。今のマネージャーも数名は現場出身で、非常に高いモチベーションを持っています。日本に派遣する研修制度も設けており、以前この制度に参加した社員がアメリカに帰ってきたときには、「ありがとう、本当にキッコーマンの一員になった気がする」と言ってくれました。日本の仕事のやり方や文化を学ぶことで、そのくらい気持ちが大きく変わるのです。

 

ー仕事において心がけていることは。

 コーポレートスローガンである「Seasoning your life」、日本語では「おいしい記憶をつくりたい」という思いを常に意識しています。私がよく言うのが、「Work together, succeed together(ともに働き、ともに成功する)」という言葉です。消費者のみなさんに食のよろこびを提供しながら、会社と人が一緒に成功するためにはチーム力が大事です。社員には何ごとも「自分ごと」として取り組んでもらいたく、自律性をどうやって引き出すかということを常に考えています。こちらが指示をするのではなく質問をする形にし、社員自身が答えていくなかで何が大事かに気づいてほしい。そうなるような話し方を心がけています。ある経営者が、「リーダーとして一番怖いのは、振り返ったときに誰もついて来ていないこと」とおっしゃっていました。そうならないように気をつけながら仕事をしています。とはいえ、私も若いころはわがままでしたけどね(笑)。

 

ー特に達成感を得た体験は。

 日本で商品開発を担当していたときに、消費者を理解し、何を求められているのかをもっと深く考える必要があると強く感じました。そこで、消費者リサーチ組織「おいしさ未来研究センター」を部下たちとともに立ち上げました。新しい組織をつくるには大変な苦労が伴いましたが、いろいろな人の助けを借りながら実現でき、それを次の担当者に引き継ぐことができた達成感は大きかったですね。

製造工場にて。IT技術と人の感性が必要な部分を織り交ぜて製造現場に生かしている

ー50周年の節目に思うことは。

 やはり「感謝」ですね。消費者のみなさんとお客様にこんなにも長くご愛顧いただいたからこそ今の当社があります。そして、これまで当社を支えてくれた全てのサプライヤーや取引先、また、地元のみなさんの支援をとてもありがたく思っています。最後に、当社の発展に尽くしてくれた諸先輩や従業員に感謝し、次の50年の礎となれるよう今を充実させたものにしたいと考えています。

 

ー今後のミッションは。

 アメリカでの1人あたりのしょうゆの年間使用量は日本のおよそ8分の1程度と推測されており、まだまだ奥行きが出せるはず。日本市場はやや縮小気味のため、量よりも質を変えていくこと、差別化により新しい価値を提供することを主眼に消費者にアプローチしていますが、アメリカでは量と質の両方を上げていくつもりです。今年はアレルゲンフリーのしょうゆ風調味料として、大豆と小麦を使用せずトマトを主原料としたトマトしょうゆ(製品名:Umami Joy Sauce)を新発売します。おいしくてみなさんの役に立つ商品の開発と販売を繰り返しながら、さらにご使用いただく機会を増やしていくことがミッションだと思っています。

Editor: Miho Kanai
Photographer: Masaki Hori
2023年1月13日取材

▼本誌掲載
シカゴ・デトロイト便利帳 Vol.20