自動車産業が発展し始めた頃から、トータルサプライヤーとして世界中の自動車メーカーに部品を提供してきた矢崎総業。とくに組電線(ワイヤーハーネス)の生産においては、世界首位のシェアを誇る。車のあらゆる部品を繋ぎ合わせるハーネスのように、暮らしや社会を繋ぐことをミッションとし、世界中のネットワークを駆使してグローバルに事業を展開する。
今や「ワイヤーハーネスといえば矢崎」という揺るぎないプレゼンスを構築した矢崎グループが北米本社を置く、デトロイトのオフィスを訪ねた。
我々のミッションは「つなぐ」ことです。
矢崎総業の沿革を教えてください。
当グループは1929年に創業者である矢﨑貞美が個人経営で自動車用組電線の販売を開始して以来、自動車用計器、タコグラフ(自動記録計)、送電ケーブル、空調機器など、さまざまな製品とサービスを世に送り出してきました。1941年「矢崎電線工業株式会社」として法人化され、一般の電線を作り始めました。
自動車産業が芽生え急成長するなかで、組電線事業を開始し、自動車産業の発展とともに歩んできた歴史があります。さまざまなお客様に販路を広げ、日本では当時から断トツのシェアを誇ってきました。
矢崎総業の製品について教えてください。
圧倒的なシェアを占めるのは、やはり自動車用の組電線です。組電線は、自動車にとって神経や血管のようなもので、ハイグレードな車両では1台の車体に約4,000本、繋ぎ合わせれば4キロメートルもの組電線が張り巡らされています。
現在、自動車部品以外の事業としては、一般用電線、空調機器、太陽熱温水器、ガス漏れ警報機、タクシーやトラック用のタコグラフ、タクシーメーターなどがあります。日本におけるタクシーメーターの製造では高いシェアを占めているので、皆さんが乗るタクシーのメーターを見ると「YAZAKI」のロゴを目にすることも多いと思います。
今や世界中の車に矢崎総業のパーツが使われていますが、海外展開の状況はいかがですか。
海外進出の第一歩は1962年のタイでした。日系メーカーのタイへの一斉進出に先んじて現地に法人を設立し、組電線を作り始めました。続けて、アメリカ、ヨーロッパへと展開しました。
現在では世界各国に46ヵ国、166法人、619拠点を置き、このデトロイトの拠点は矢崎グループの北中米事業の中核を担っています。
アメリカへの進出は、1964年のLA、1966年のシカゴを皮切りに進めていったようですね。
はい。シカゴへ進出した目的は、タコグラフをフォードに納めることでした。その後、組電線のビジネスを本格化しようとデトロイトに拠点を構えました。フォード、GM、クライスラーという当時のビッグ3の本社がこの近辺に点在していたためです。
その後、顧客や製品を拡大し、電子部品やディスプレイなどの事業も開始しました。
今年も新しい事業所を開設するなど、拠点は世界中に増え続けているようですね。
現在、矢崎グループにとって最も大きいマーケットはアメリカです。そして日本、ヨーロッパ、アジアと続きます。
タイ、ベトナム、フィリピン、インドネシア、カンボジアで製造する製品は、その3分の1が日本やアメリカ向けとなっており、アセアンは矢崎の最大の生産拠点です。
アメリカ向けの製造の多くはメキシコで行っています。売り上げの伸びとともにメキシコに工場を増やし、現在では50以上の工場を稼働しています。エルサルバドル、ニカラグアにも工場があります。ニカラグアでは現在1万人の従業員を雇用し、結果として「日系企業といえば矢崎」という確固たる地位を築き上げることができました。
世界各国に事業展開する際の課題は何ですか。
組電線は、電線を絶縁体で覆い、プラスチックのコネクターで部品を繋げて作るのですが、我々は銅やビニール、プラスチックなどの材料も自社で設計しています。世界中に工場が分散していると、どこで作り、集約し、組み立て、運送するか、この効率化がキーとなります。物流においても、積載方法の検討や在庫管理も含めると非常に複雑な体系です。
何より、製品を作っているのは、人。従業員の動線に気を配り、人により能力にも違いがあるなかで生産スピードを定常的に守るよう考える。当然、品質は落とせません。世界中の拠点のマネジメントと統制は大きな課題です。
今後、電気自動車の台頭や環境問題などにより自動車産業にはどのような変化が起こると思いますか。
電気自動車はようやく本格的に市民権を獲得し始めました。それまで、電池の持続性や走行可能距離など、車自体のポテンシャルと充電用のインフラに未熟な部分が大いにありましたが、徐々にこれらの課題をクリアし今では400キロ超の走行を可能にしました。当然、電動化は進むでしょう。環境保護の観点では発電時の環境汚染はゼロではないものの、少なくとも走行中は空気を汚さず総合的には環境に配慮されています。今注目されている「自動運転」とあわせ、メーカー間では競争が起きるでしょう。
似たようなところでは、コネクテッドカーも今後さらに進んでいくと思います。車と家や社会、また車同士が繋がり、車がもっと楽しくなります。例えばインターネットと繋がることで、今の私の車も現在地や最寄りのパーキングの場所など聞いていないことも教えてくれます(笑)。車が色々なものと繋がれば、その可能性が広がり社会での位置付けも変わります。
スピード感のあるアメリカで率先して新しい波を捉える役割を担っています。
クルマが、より生活に密着してくるということですね。
高齢者による交通事故も問題視されてきているので、一定の年齢になったら、自らが運転する代わりに自動運転機能を使うような時代になっていくと思うんです。
また、新しいエコハウスなどにもヒントがあります。いずれ住宅と自動車を繋げるところまで進んでいくのではと思っています。
未来社会で人を幸せにするために我々にできることもあるかもしれません。ただしこれはもう少し先のこと。当座は電動化、自動運転化という数年後に迫りくる時代に向けた製品開発を進めていきます。
そういった変化のなかで、具体的にはどのような対応が必要になってくるのでしょうか。
我々のミッションは、「つなぐ」ことです。まずはこの原点に立ち返ります。
車が内燃機関で駆動する場合も、モーターで駆動する場合も、情報系でコントロールする場合もミッションは同じです。電力の必要な電動自動車では、非接触充電というのもありますが、まだ技術的には難しく自動車を動かすような大きなエネルギーを無線で送ることはできません。モーターでの駆動には今までより太いケーブルが必要になり、周辺部品も増えます。さらに自動運転車はデバイスが増えるため、ものすごい量の情報の伝達が要求され、より細かいケーブルも増えてくる。
つまり、形態は多少違えど、繋ぐための線がますます必要になってくるんです。自動車産業が変化しても我々が何をすべきかは明確です。
世界中でお仕事をされてきたと思いますが、日米間のビジネスの違いは何でしょうか。
日本には日本のビジネスにおける習慣というのがありますが、これだけグローバル化が進むと日本のルールが世界で通用しないことがあるのも実感しています。なぜなら、世界のビジネスの基本的なルールや方法は、私から見るとやはり欧米流だからです。欧米がプロレスのリングで戦っているとすると、我々は土俵で相撲をとっているという感じでしょうか。
我々のお客様はグローバルなので、それに適応するルールと考え方で接することが大切です。
休暇はどのように過ごされているのですか。
私はオペラ鑑賞が好きなんです。デトロイトでも年に数演目が上演されますが、シカゴやクリーブランドへも、仲間を募って交代で運転をしながらオペラを見に行きます。リタイアしたら1年くらいミラノに住んでオペラを満喫するのが夢です。
商社時代に赴任していたニューヨークは、メトロポリタンオペラがあって最高でした。現在も親戚に会うために年に数回出かけます。ステーキやフレンチなど、当時から気に入っているお店もあり食事も楽しみです。レストランの話題になると目が輝いてしまいます。
最後に、これからの展望をお聞かせください。
近年デトロイト3(※)も好調で、順調に推移しています。しかしマーケットは少し飽和状態になり、成長は鈍化するかもしれません。矢崎グループとしては、より伸びゆくマーケットを見据えないといけません。メキシコ市場も急激な伸びはないためコスト削減を要求され、競争も激化します。会社として筋肉質な体質作りを愚直にやっていくことが大切だと思っています。
自動運転も技術開発のスピードが勝負になりますが、残念ながら日系より欧米系の方がスピーディーなのが現状です。アメリカでは自動車メーカーのみならずTesla MotorsやGoogleなどハイテク系新規参入者が増えており、こうした新たな潮流は侮れません。
我々は、本社のある日本以上にスピード感があり、規模も影響も大きい国にいる立場として、率先して新しい波を捉える役割を担っていると思っています。品質を保ちながらイノベーションにもチャレンジをし、中身で勝負をする会社であり続けたいと思っています。
※デトロイトに拠点を置くアメリカの3 大自動車メーカー、ゼネラル・モーターズ、フォード、クライスラーを指す。かつての「ビッグ3」。
1952 年生まれ。1975 年に東京大学工学部を卒業後、三菱商事株式会社に入社。海外勤務等を経た後、2005 年に矢崎総業(株)に入社。本社の自動車機器企画室、トヨタBUの営業部門を経験後、海外勤務へ。矢崎ヨーロッパ副社長、矢崎ノースアメリカ副社長、タイ矢崎グループ会長などを経て、2016年6月より現職。(2017年11月7日取材)
※2018年2月からSpecial Advisor
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