【アメリカで活躍する日本企業インタビュー】Mitsui Fudosan America, Inc. President 石川敬洋

Mitsui Fudosan America, Inc.

1251 Avenue of Americas, New York, NY 10020

Tel (212) 403-5617

1967 年愛知県生まれ。東京大学経済学部卒業。 1991 年 4 月三井不動産(株)入社。経理部を経て、 事業開発室やビルディング事業企画部などで土 地の買い付けや不動産ファンドづくりに従事。その後、IR室長、海外事業一部を経て2017年4月、アメリカ現地法人に赴任。2019年4月から現職

「伸びる」街、ハドソンヤードで新しい開発事業にチャレンジ

─アメリカでの社史について教えてください。

1970 年代から西海岸で工業団地の開発事業、既存オフィスビルの取得、賃貸などをしていましたが、ニューヨークで本格的に事業を始めたのは1986年、現在アメリカ本社を置くマンハッタンの「1251アメリカ街ビル」(6番街)の取得が大きな契機でした。80年代後半は西海岸でオフィスビルの取得、オフィスビルの開発事業などをしていましたが、バブル崩壊の影響から大半の物件を売却しました。苦しい時代もありましたが、不動産賃貸事業の継続性を確保したい、ナショナルスタッフの雇用を継続し、自社のノウハウを断絶させたくないという思いから、何とか基幹アセットである1251アメリカ街ビルだけは、保有を続け、ビル賃貸事業を継続してきました。

─ニューヨークにおける日本企業の大型不動産開発は80年代以来です。

そうですね、55ハドソンヤードがその第一歩と認識していただけるとありがたいです。ハドソンヤード全体では敷地面積で1 1 ヘクタール、開発延床面積でアメリカ最大規模の民間開発です。その一角に日系企業として参加できたことの意義は大きく、不動産開発事業は特に雇用 創出などを通じてニューヨーク市民にも 一定の貢献を果たせているのではないかと思います。

地下2階、地上51階、塔屋1階建ての55ハドソンヤード(三井不動産提供)

─どのような経緯でハドソンヤードのオフィスビル開発に至りましたか。

共同事業者であるリレイテッド社とは、さまざまな事業機会を探している中で従来より付き合いがあり、一緒にやらないかという誘いを受けました。当社が選ばれた理由としては、当社が長い歴史を通じて開発事業を行ってきた会社であり、共同事業者側にとっても同じような価値観を共有できるパートナーだったことが大きかったと思います。日本国内で数々の開発実績があり、スキルを提供できることも評価していただきました。その他、当社が海外事業の拡大に会社としてコミットしていたこと、財務体質の健全性から資金調達力があることも評価されたと思います。

─ハドソンヤードの開発事業の魅力とは。

まず、全体で敷地面積が1 1 ヘクタールもあり、ニューヨークマンハッタンでは開発敷地面積で最大の一体開発であること、さらに街全体では、住宅、オフィス、商業施設、ホテル、文化施設など複合用途の開発であることに魅力を感じています。投資という側面では、ニューヨークは開発用の敷地も限定されており、不動産開発が容易ではない街です。そこで希少な開発機会を得るということ自体に、大きな付加価値および収益の成長性があると思っています。もちろん既存ビルのある6 番街やパーク街にも魅力はありますが、今後伸びていくエリア、いわばジェントリフィケーション(再開発による都市の高級化)が進んでいくエリアで開発をやってみたいという思いもありました。また、繰り返しですが、ハドソンヤードは単一用途の開発ではなく、オフィス、住宅、商業施設、文化施設の他、二期に関しては学校も入ると聞いており、まさに我々が東京で取り組んでいる「日本橋再生計画」をはじめとした複合開発事業のコンセプトに似ており、企業として共感するものがあります。

 

─投資事業面で見たポイントは。

投資性能という面ではオフィスも住宅もそうですが、テナント様からの需要の将来性、別の言い方をすると賃貸料の成長が大きなポイントです。ハドソンヤードはちょうどミッドタウンとチェルシーの結節点であり、ハイラインを通れば若者に大変人気のあるミートパッキングエリアにもつながります。地下鉄は7 番線が直結しており、他のエリアに行くのも便利。そういう面で、これから伸びる街だと思っています。アメリカ全体が適切かつ健全なインフレのある国でもあり、オフィスに限らず賃貸住宅なども適切な都市、立地を選んで事業対象を選定できれば、ミレニアル世代が顧客となり、さまざまな需要を取り込んでいくことができます。テナント様がハドソンヤードにご入居を決めた大きな理由というのは、各社で働く若いタレントを惹きつけることだと伺っています。

─55ハドソンヤード竣工時点で、全体の約9割が契約済みと聞きました。

実はテナント誘致について、最初は苦労していました。2015 年1 月の着工時には、ある程度テナントが埋まる目処が立ってから着工したかったものの、エリアの認知度が今ほど高くなかったのです。ただ、会社としては、絶対にここは伸びるという確信を持っていました。その後、次第にではありますが、街の魅力がだんだん高まってきて、少しずつテナント様の契約が進み始めた。竣工時には9割以上が契約済みの状態となりました。半分以上は資産運用会社で、弁護士事務所も多いです。テナント様からも、ここに移転することで、若い優秀な人材の採用やリテンションに役立てたかったとお伺いしています。

─注目している都市やエリアは。

ニューヨーク、ワシントンDC、ボストン、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シアトル、デンバーの7都市で既に事業をしています。これらの都市では、開発がそれほど容易ではありませんでしたが、雇用主側の採用意欲が旺盛で、若い方を中心として賃貸住宅を借りていただく層に経済的余力がある。また、オフィスのテナントとなっていただける企業が多数存在し、今後の成長も期待できるなどの特徴があります。これらの都市を深堀りし、継続的に事業をしていくのが基本的な戦略です。将来性がありそうなエリアとそうでないエリアを厳選していきたいですね。

─ 貴社の中長期プラン「ビジョン2025」については。

「街づくりの一層の進化」「リアルエステートテックの活用によるビジネスモデルの革新」「海外事業の飛躍的成長」という主要目標を掲げており、2025年半ばをめどに日本も合わせた連結会社全体で3500億円の営業利益を目指しています。このうち約30%の利益を、米国を含む海外事業により担いたいという目標があります。利益を上げるためには投資をしていかなければいけないので、2018から25年の7年間で国内・海外合わせて約3兆円の投資を計画しており、海外向けはその半分強という計画です。

 

マンハッタンのミッドタウンにある1251アメリカ街ビル(本社)で取材に答えた石川敬洋氏

 

─入社から現在までの道のりを教えてください。

私は1991年に三井不動産に入社し、最初の5 年ほどは経理部門で全社の予算、決算などの仕事をしていました。その後、企業の所有する土地の有効活用や売却のお手伝いをする仕事に移りました。当時の代表的なプロジェクトに、海外投資家とともに投資機会を獲得した東京の汐留シティーセンターなどがあります。日本で商業用の不動産投資が動きはじめた2003年からは、オフィスビルの開発用土地や建物投資の機会を企画する部門に所属しました。いわゆるバルク(複数の不動産をまとめて売買すること)セールの不動産に投資をし、それらを組み合わせてファンドを組成し、投資家を募り、運用する仕事をしていました。その後、IR (Investor Relations)室長という立場で三井不動産会社の株主、投資家、アナリストへ会社の戦略、定量面などを説明する業務を担当した後、2年半前に米国現地法人の駐在員として渡米しました。海外駐在はニューヨークが初めてです。

─こちらで仕事をして感じたことは。

全社の海外事業を伸ばすという方針の下に日本人とアメリカ人スタッフが一緒に協力し合って働いています。全米各地で新しい事業にチャレンジできるということで、大いにやりがいを感じています。当社のこれまでの経験から、開発事業にどのようなリスクがあるか、事業からきちんと収益を上げられるかなどを見極める能力はあると思っています。ハドソンヤードの事業をリレイテッド社と一緒にやろうということになったときも、開発事業に対する当社の目利き力がパートナーに認められたという部分はあります。しかし、日本のノウハウが全面的にアメリカで通用するわけではないので、そこを過信せずに現地の優良なデベロッパーと組んで、彼らの知恵をお借りしながら、謙虚に進めていきたいです。

─グローバルな現場でビジネスを成功させるための秘訣とは。

まずは、多様性を受け入れるということが非常に大事だと思います。お互いに違いを認め合うというか、寛容さというか。また、アメリカでは皆さんが非常に合理的です。「メイクセンス(筋が通る)」な話はしっかり聞いてもらえるので、論理的に物事を進める必要がある。この2つが大事ですね。

 

Interviewer: Miho Kanai
Photographer: Masaki Hori

2019年9月4日取材