SYSCOM GLOBAL SOLUTIONS INC.
One Exchange Plaza, 55 Broadway, 11th/12th Fl, New York, NY 10006
Tel (212) 797-9131
滋賀県出身。京都産業大学卒業後、日本のIT企業のシステム営業部に3年間勤務。退社後ニューヨークへ留学。 1999年SYSCOM USA(現SYSCOM GLOBAL SOLUTIONS) に入社し営業部に配属。 2008年NY SI Solutions Departmentゼネラルマネージャーに就任。2020年から現職。ニューヨーク移住のきっかけになったというほど大の音楽好きで、ライブにも足を運ぶお気に入りのジャンルはブルース、ロック。
創立から30年、
老舗IT企業が掲げる新方針“Think Local, Act Global”
アメリカ発の日系企業として長きに渡り在北米の日系企業を支えながら今後は
アメリカのローカルマーケットへも進出していくSYSCOM。
2021年の社名変更とともに掲げられた新方針に込められたグローバル展開とは。
ー 窪田さんの経歴について教えてください。
日本の大学を出てから3年ほど日本のIT企業でシステム営業として勤務しました。Windows 95が出た年でオフコンと呼ばれていた大型コンピューターから急激にパソコンに切り替わった時代で、人手が足りず業務がハードで。そのときからアメリカに行きたいとは思っていたので、26歳で会社を辞めて憧れのニューヨークへ。始めの1年は語学学校に通って、職歴のあるITだったら就労ビザが取れると思って見つけたのが今の会社です。当初は英語も大してできなかったのでエンジニアで働こうと考えていたのですが、社長から「君、経歴見たら営業っぽいよね」と言われ営業に配属されて早22年が終わろうとしています。
ー SYSCOMはどのような社風ですか。
風通しが良く自由な社風ですね。自分たちでは「独立系」と呼んでいますが「アメリカで作った、日本人が多い会社」でして、いわゆる日系企業ではないんです。社員も基本的にはこちらの大学を卒業した人を雇っていて、6割は日英のバイリンガルです。私の入社時は本当に組織がフラットで。先輩もいましたが上司というわけでもないので、何か相談するときはすぐ社長でした。だんだん会社が大きくなり今ではマネージャーや部長などの役職がありますが、それでも下から飛び越して社長に意見を言うなど、そういったオープンさは残っているかと思います。
2021年の社名変更に伴いリニューアルした会社ロゴが掲げられたオフィスエントランス
蛻変(ぜいへん)の経営ー。
環境を見て、変わらなければいけないときにしっかり変わっていくこと。
ー 新スローガン「Think Local, Act Global」についてお聞かせください。
2021年2月に現在の社名に変更し、新たなスローガンを掲げました。皆さん「グローバル」と頭に描くと「海外」になるかと思いますが、私たちの場合は逆で「アメリカ発」として日本やその先のアジアに行くことがグローバルです。また、これまでは日本人のやり方で日系企業相手にビジネスをやってきましたが、これまで培ってきたやり方や技術を今後はアメリカのお客様にも提供するため、アメリカのローカルマーケットにも進出し始めています。これは僕らにとってもう1つのグローバル化ですね。現在の顧客は9割以上が日系企業ですが、この方針がうまくいけば今後比率も変わってくると思います。
ー 東京支店の役割と特徴は。
東京支店では、日本に来るアメリカやヨーロッパなどの外国企業を日本国内でサポートしたり、逆に日本発でアジアに進出する企業のサポートをしたりしています。 2016年の東京支店立ち上げは、ニューヨークから社員を送り込まず現地で社員を雇って行いました。社員は日本人だけではなく、インド、ベトナム、イタリア、ルーマニアなど国籍を問わず、英語もしくは日本語が話せる人材が集まっていて多様性に富んでいるため、責任者(日本人)は文化の違いに戸惑うんですよ。そこで、お互いの文化や風習の違いを受け入れるための講習を受けてもらっています。
ー コロナ禍で伸びているビジネスや今後の見通しは。
コロナ禍だから伸びているのではなく「コロナ禍でも止まらない」ビジネスの1つに、アプリケーション開発のビジネスがあります。例えば、パソコンやサーバーを入れ替えるインフラ構築は予算の都合で止めるけれど、業務に直結する業務管理システム(ERP)は止めずにお客様は進めたいのだなということが分かって、そこは成長が見えたところですね。それに付帯してお客様が困っているいろいろな業務があって。例えばサインをもらっていた承認フローを電子化したい、リモートでも業務を速やかに遂行したい、そんなご要望がありました。今まで紙でやっていたことをデジタル化すると、全てがITのテクノロジーで動くようになるので、そうなると次はセキュリティーが気になってくるんですよね。今まで必要がなかったところにセキュリティーの懸念ポイントが出てくる。それを解決するための取り組みがアプリケーションビジネスで、今後はそれを急拡大していきたいですね。
ー パンデミック以降、予想していなかった発見とは。
たくさんの企業がウェビナーをされていると思いますが、我々もウェビナーを始めました。面白いなと思ったのは、物理的に現場で開催するよりも集客がすごく良いということです。本来であれば業務が忙しくて興味があるのに行けないという人もウェビナーだと気軽に参加できます。あとは会議ですね。今まではお客様のオフィスを訪ねていましたが、オンラインになったことで移動時間がなくなった分、会議の数が増えたり時間の使い方が変わりました。直接は会えないけれどお客様と触れ合うことが以前よりも増えたという逆の考え方もあるのかなと。あと最近、ゴルフの場で新しい人と知り合うことが増えました。コロナ禍で去年は何もできませんでしたが、ゴルフだけはできたんですよね。
ー IT業界における日米の違いは。
日本の会社は文系を卒業した人でもエンジニアになったり、営業がやる仕事の範疇が広かったりしますよね。お互いの隙間を埋め合うような組織力が日本にはあるのかなと。アメリカは専門性が高いので営業は営業だけ、技術は技術だけとなり、その専門性が尖っている。例えば、新しいテクノロジーやビジネスモデルは大体アメリカから出てきますよね。最初に出てくる天才的なアイデアはアメリカが強く、それをうまく活用して何かをやることが得意なのが日本。日本はみんなで何かをカバーするような組織作りに長けている。そこが違いだと思います。
ー 座右の銘を教えてください。
15年ほど前、深いお付き合いのあった取引先の役員の方が退任されるときに渡された言葉があります「。蛻変(ぜいへん)」。「脱皮して変わる」ことを意味し、セミが卵から幼虫、サナギになり、羽化する姿を呼ぶんですね。脱皮して違う形になること。これが非常に心に残っていて。環境を見て、変わらなければいいけないときにしっかり脱皮して変わってゆく、これが大事なんだなと。そういった意味では今のコロナ禍というのは大きな機会です。蛻変の経営だったり、蛻変の人生が送れるといいなということを常に考えています。
ー 窪田さんが思うJapan Prideとは。
日本人だから、日本を知っているからできる仕事のやり方というのがあると思います。私がアメリカで仕事を始めた1999年当時は、今よりも情報の入手が難しく、ITシステムの構築も今以上にITベンダーに頼らないといけないことが多くあったと思います。現在はクラウドで簡単に手に入るシステムも多くなりましたが、逆に情報が多すぎて何を選んだら良いか分からない、そこを専門家に助けて欲しいという要望もあると思います。アメリカで一緒に頑張っている日本企業を、同じ日本人としてサポート出来ることに誇りを持っています。
「これまでのインフラ構築業務で培った顧客基盤や体制を活用した
アプリケーションビジネスを急拡大していきたい」と今後の展望を語る窪田氏
ー これからどのようなことに挑戦していきたいですか。
これから難しいハイブリッドの選択肢を迫られるようになると思います。この環境に適したオンサイトワークとリモートワークと。コロナが問題なくなったから環境を元に戻そうかという話でもないと思うんですよね。これで変わってしまった価値観やビジネスの在り方を考えると、ビジネス全体を見て良い形をつくっていけたらと思います。そのなかで若い人たちにもモチベーションを高めて取り組んでもらえるようディシジョンメイクしていきたいですね。これからの新しいブランディングは新しい感覚を持った人たちに担ってもらいたいですし。そのためには頭をスッキリしておかなければならないので、最近はジムに通い始めました。こういった状況ですから、ネガティブにならないよう努力しつつ、みんなが前向きに頑張っていける会社づくりを目指したいですね。
Interviewer:Megumi Hamura
Photographer:Masaki Hori
2021年 8月17日取材
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