アメリカ最大の音楽の祭典「第65回グラミー賞授賞式」が2月5日にロサンゼルス・Crypt.com Arenaで開催。(日本時間2月6日)ザ・レコーディング・アカデミー主催によるこのイベントは音楽業界の復興と支援を目的に1959年に第一回が開催され、今では世界各国の音楽業界から注目され世界最高峰の権威ある音楽賞とされています。
過去にグラミー賞を受賞した作曲家の日本人は、坂本龍一さん(1989年・映画『ラストエンペラー』サウンドトラック)と喜多郎さん(2001年・アルバム『Thinking Of You』)。そして今回、日本人作編曲家のMasa Takumi(宅見将典)さんのアルバム『Sakura』が日本人初の「グローバル・ミュージック・アルバム賞」(旧名ワールド・ミュージック・アルバム賞)にノミネートされました。
現代のアメリカのトレンドであるヒップホップ音楽を取り入れつつ、心安らぐ和楽器の音色が映えるこのアルバム。「世界に日本を知ってもらう」ことを意識して「Katana」や「Tamashii」などアメリカ人に聞き馴染みのある日本語のタイトルを付けるほか、「アルバム収録曲の51%以上に民族音楽を取り入れる」という本カテゴリーへのエントリー規定に沿った音楽づくりや長期に渡るセルフプロモーションなど、ノミネートまでの道のりは戦略的。
5度目の挑戦となる今回のエントリーを決意するまでに葛藤があったという宅見さんの背中を押したのは、アジアンヘイトや近年のアジアのエンターテイメントの海外進出という社会情勢でした。「今、アジア人として何か行動を起こすべき」という想いで制作された『Sakura』には「人の心に美しい花を咲かせたい」というメッセージが込められています。
世界各国でミュージシャンがレコーディングした音源のマスタリング*を手掛けたのは、ニューヨークでマスタリングエンジニアとして活動するRyoji Hata(畑亮次)さん。日米を股にかけて活動する宅見さんと畑さんのお二人に、海外進出の経緯や日米の音楽業界について伺いました。
*音の修復や音圧の調整など、制作の最終工程として楽曲を世に出す音質に仕上げる作業。
Masa Takumi(宅見将典)| 作編曲家
大阪府出身、大阪市在住。13歳のときに出会ったX JAPANのYOSHIKIに影響を受けてバンドを始め、2000年にバンド・sirenを結成しメジャーデビュー。バンド解散後はドラマーや作編曲家としての活動を開始。EXILE、DA PAMP、AAA、PKCZ、私立恵比寿中学などに楽曲を提供し、二度「日本レコード大賞」優秀作品賞の受賞歴をもつ。2011年に「グラミー賞」にノミネートされたSly&Robbie and The Jam Masters の作品に参加したことを機にグラミー賞に魅了され、2018年にロサンゼルスへ移住。
Ryoji Hata(畑亮次) | マスタリングエンジニア
神奈川県出身、ニューヨーク在住。1991年(当時20歳)で渡米。語学学習とオーディオ教育を経て1995年にThe Looking Glass Studiosでキャリアを開始しDavid BowieやDave Navarro、Philip Glassなどの制作に参加。2000年にHata Production を設立後も日米を問わず多くのアーティストの音楽制作に携わる。(制作参加アーティストはDuncan Sheik、映画Keeping The Faithのサウンドトラック、Miyavi、Vamps、Loudnessなど)2010年あたりからマスタリングの魅力に取り憑かれ活動の場をマスタリングエンジニアにシフト。2016年から宅見将典のアルバムマスタリングに参加。
聴き心地が肝心
日米の音楽シーンを捉えた楽曲制作
ー 『Sakura』の制作はどのように?
宅見:全てリモートワークです。コロナが始まる前から僕らの業界はリモートワークが始まっていて。ロサンゼルスへ移住したときも日本から機材を全て持ち込んでリモートで日本の仕事をしていました。業界全体の打撃でいうと話は別ですが、コロナ前と後で仕事のクオリティーに変化はないですね。
畑:最近はデータを送るスピードが速くなりましたよね。
宅見:2000年は3MBサイズのMP3データを送るのに40分くらいかかったんですよ。当時、人生で初めて作った曲のデータをディレクターに送ったときに「届いたぞー!」と電話がかかってきてお祝いモードに(笑)
― お互いの感想は?
宅見:畑さんからは音楽的な周波数について教わりました。アメリカ人がよく聴く低域の音です。日本はテンポの速い曲が多いので、低音を出すとスピード感がなくなることからあまり低音を出さないんですよね。
畑:宅見さんは毎回、アルバム制作を終えると反省点をあげるんです。マスタリングをしていて、そう言う話までして作品に関わることはなかなか稀で。
宅見:マスタリングってすごい大事なんですよ。特にアメリカのサウンドを意識するなら。
― それはなぜですか?
宅見:日本で売れる曲はメロディーの良さが重要視されますが、アメリカはメロディーよりも”聴き心地”なんですね。聴き心地が悪いと、服で例えるとどれだけオシャレな服でも着心地が悪いと着ない、みたいな感覚があって。今回ノミネートされた一番の勝因は、グラミーというよりアメリカ人の心に響いたという意味でサウンド面にもあると思います。
― アメリカ人からみる日本の音楽の印象は?
宅見:坂本龍一さんや久石譲さんの名前はよくあがりますね。あと親日家の人はアニメが好きだったり。
畑:日常の会話で日本の音楽の話が出る機会はそこまで多くはありませんが、以前に比べてその頻度が上がってきているのも事実です。特にブロードバンド時代に入ってからは世界中の人がアニメを中心に日本のことをより細かく知る機会がだいぶ増えたと感じます。
― どのようなところに日本の魅力を感じますか?
畑:日本には「俺が、俺が」という文化はないけれど、そこに流れる熱いものがあると感じています。それをうまく表現しているなと感心したのは、映画『The Last Samurai』で。”侍”と一言でいうとアレですけど、こういう日本の精神や生活に対する大事な部分を見出して作品にしてくれる海外の人がいるんだと。『Sakura』の作風やアルバムが持つメッセージもタイムリーだと感じました。
―『Sakura』をどのような場面で聴いてもらいたいですか?
宅見:和の精神を思い出せるような、人の心を応援する曲でありたいですね。日本食が恋しくなったら日本食を食べるみたいな…ぜひジャパレス(日本食レストラン)で流してもらえたら嬉しいです。あとは、辛いときや心を落ち着かせたいときに聴いてほしいですね。僕もグラミー賞を目指してきたこの12年間は、辛かったり悔しい時間の方が多かったので。
音楽家も自分でプロモーション
パーティーで学ぶアメリカの社交術
― ノミネート後の心境の変化は?
宅見:ここで終わりではなくて、受賞するという大きな夢ができました。世界的に有名なノミニーたちに並んで選ばれたという時点で「君はwinnerだ」と言ってくれる人もいますが、ここで満足しない自分が出てきました。
畑:出会う人が増えました。あとは、いつもより問い合せの電話が鳴るとか、メールが多く届くとか、SNSで友達申請が来たりも。“グラミー賞”という言葉が持つ力を改めて実感しています。
― ノミネートまでの道のりは?
宅見:まずはグラミー賞のボーティングメンバー(投票メンバー)になることから始まって、そのメンバーが集まるパーティーで名刺や自分の楽曲を交換する”ロビー活動”に力を注ぎました。アメリカは人との会話自体をエンタメだと思っているというか、人と会って意見交換することをすごく貴重にしていると感じます。
― パーティーではどのようなことを?
宅見:とにかく目立つために袴を着てハットを被って参加して、出会った人と写真を撮って、タグ付けしてSNSに投稿します。もちろん広告を打つのもメディアを使うのもいいけど、本人がそこにいるというのが最大のプロモーションなので、パーティーのためだけにニューヨークに何度も訪問しています。
畑:アーティストだから音楽的な部分だけ取り組んでいると思われますが、この場でなんとか必要なコネクションを作って自分の名前と作品を印象づけようという宅見さんの想いには学ばせられました。
宅見:精神論としては「自分は凄い」でいいですけど、自分が歩んできた軌跡と年齢と結果を見たときに自分に何か世界一のものがあるかといえば、僕はないと思っていて。
― アーティスト写真も袴姿ですよね。
宅見:着物を着て三味線を弾くってもう、日本人として最終手段だと思うんですよね(笑)日焼けして金髪にしたって僕たちはアジア人には変わりないわけで、どう頑張ってもアメリカ人にはなれないので、たとえ周りの人から笑われても「日本を広める」という意味合いも込めて日本人としてできることをしています。
― 社交場での立ち振る舞いは?
宅見:顔がこわばっていると人が寄って来ないので、とにかく笑顔で陽気に。お酒を一気して話しかけていました(笑)自分のCDを100枚くらいカバンに入れて配りまくって。中には「これを売りつけてんのか」と勘違いされたり、CDを差し出しても “ I don’t have any space.”と言われて受け取ってくれなかったりも。パーティーのときは持ち歩き用のカバンは持たないですしね。それ以降は楽曲を収録した小さなUSBを渡したり。そういった社交術は現場で学びました。
大事なのはその場所に居続けるのではなく
自分のやりたいことがある場所を選ぶこと
―アメリカで暮らして感じたことは?
宅見:わざわざ移住したものの「このまま何も得られなかったらどうしよう」と思ったり「それでアメリカで何をしてるの?」と周りに言われる恐怖を感じることもありました。現地の長期移住組の人たちにマウントを取られたりもしましたし。コロナもあって僕は移住してから3年で日本に帰りましたけど、それは都落ちではないし、帰ってからでも追える夢はあると思います。
―帰国することが負けではないということですね。
宅見:はい。帰国した当初は「俺のアメリカってなんだったんだろう」と思うこともありましたけど、畑さんとニューヨークで初対面するきっかけになった、共通の知人である写真作家の木村尚樹さんとの最初の出会いは僕が音楽の仕事に疲れて一時期、六本木で経営していたマジックバーでした。面白いですよね。だから休憩することも悪いことじゃなかったなと今は思いますし、どこで何が繋がるか分からないなと。
畑:大事なのは自分のやりたいことがある場所を選ぶ、そういうことだと思います。なので、その場所はアメリカに限ったことではありません。
宅見:ただ移住しないと分からないこともあるので、住んでみるのは大事です。その土地の文化を知るには1ヶ月や2ヶ月の滞在では無理なので。でも一生そこに居続ける必要があるかと言われたら、僕はそうじゃないと思います。
―アメリカで頑張る日本人の方々にメッセージをお願いします。
宅見:無理だと思っていても叶うことはあります。実は僕、今回のグラミーも無理だろうと思っていて。このエントリーが僕の音楽を知ってもらうチャンスになって何かにつながるといいな、くらいに思っていて。「グラミーとるぞ!」と夢みてこれまでに4回挑戦してだめだったので「負けて当然、勝って偶然」と考えるようになりました。
畑:宅見さんの努力を目の当たりにして、要らないプライドを捨てることの重要さを感じています。技術ありきは勿論ですが、職人気質な部分のみならず自分のビジネスにおいて実務以外にも大事なことをこなすバランスの大切さに気付きました。
宅見:音楽家がパーティーで名刺配るって、セオリーとしてはクールじゃないと思う人もいますからね。でも今はそんな時代じゃないし、変なプライドを持ってはダメ。特にアメリカではアピールした者勝ちです。一度は諦めても、休みを取ってもいいけど、辞めないということ。辞めるのも続けるのも辛いという状態で「無理かもしれない」と不安に思いながらも夢に挑んで、気づけば僕はこうなっていたので。周りになんて言われようが方程式は自分の中にしかないんです。
―最後に今年の抱負を聞かせてください。
宅見:「今、何をするか」を考えることですね。
畑:スポーツ選手がいう”One game at a time”にちなんで”One project at a time”ですね。いただいたプロジェクトに対して、そのときが自分のベストだと思える作業をすること。あとは、嫌でもセルフプロモーションをやっていくことですね。
宅見:僕の場合は”One song at a time”ですね。”一曲入魂”みたいな!
■Masa Takumi『Sakura』
Masa Takumi:https://www.masa.world/
■65th GRAMMY Awards
https://www.grammy.com/
開催/放送日:2023年2月5日(日本時間2月6日)
ノミネート作品一覧と視聴方法:CBS Television Network、Paramount+ ほか
※日本ではWOWOWオンラインで視聴可
Written by Megumi
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