ブロードウェイで「Children of a Lesser God」が開幕

ニューヨーク便利帳
編集部
佐野 絵梨
ニューヨーク在住歴:6年

こんにちは。編集部の佐野です。

ようやくニューヨークも春らしい気候になってきました。
新しい季節の到来にそわそわしつつ、こういう心が柔らかい時には素敵な舞台芸術に触れたくなります。
ミュージカルが大好きでブロードウェイでもたくさんの作品を見てきた私ですが、先日、またひとつこれまでにない新感覚の観劇体験をすることができました。
今日はその作品を皆さんにご紹介したいと思います。

Children of a Lesser God

4月11日、ニューヨークのSTUDIO54でオープニングを迎えた「Children of a Lesser God」
1980年にブロードウェイで初演され、1986年に映画化(邦題「愛は静けさの中に」)、そして今年ブロードウェイでリバイバル上演が決定した注目のストレートプレイです。

「Children of a Lesser God(チルドレン・オブ・ア・レッサー・ゴッド)」

とある田舎のろう学校に赴任した教師ジェームズと、その学校で掃除婦として働くろう者のサラ。ジェームズはサラに口語を教えようとしますが、話すことを諦めてしまっているサラはそれを受け入れようとはしません。そんなやりとりを通しながら、ふたりは次第に惹かれ合っていきます。しかし関係が深まれば深まるほど、お互いのエゴや、「健聴者とろう者」という隔たりが生まれてしまい、いつしか感情的になることが増えていきます。そうした障壁を乗り越えて、真実の愛を育み始めるふたりが描かれています。

©Matthew Murphy

手話を使った舞台

この作品には、ジェームズのような健聴者とサラのようなろう者が数人ずつ登場します。
そのため物語は手話と口語の両方で進んでいき、口語は舞台上部に設置された電光掲示板に字幕で掲示されます。
一方手話での会話の最中は、そこに「Sign」の文字が表示されるだけ。
しかし手話を知らない人にも、彼らが何を話しストーリーがどう進んでいるかがきちんとわかります。
それはサラたちの手話を見事なまでに他の俳優が言語化し、客席へと伝えてくれる演出によるもの。
タイムラグもなくとても自然で、場面の流れを決して止めることがありませんでした。

手話を使った舞台作品はほかにもありますが、この作品には手話が使われていることをいつしか忘れてしまうような、演出の見事さが感じられました。彼らの日常に同じ目線で入り込んでいるような感覚に陥ったのは、私だけではなかったはずです。

サラを演じるローレン・リドロフ

サラ役を演じたのは、ローレン・リドロフ(Lauren Ridloff)。
凛々しくチャーミングな姿が印象的な、黒人として初めてMiss Deafに輝いた女優さんです。
彼女自身も先天的なろう者で、耳が聞こえず話すこともできません。
しかし、口から言葉を発さずとも、軽やかな手話と豊かな表情で全身で感情を表現する彼女に、客席中が一気に引き込まれていきました。
「迫真の演技」などというありふれた言葉では表し切れないくらい、彼女の演技はリアリティーに溢れています。
それは、女優としての力量はもちろん、彼女自身が、声を使いコミュニケーションをとることをいつしか諦めたサラに、同じ境遇にあった自身の姿を重ね合わせた経験があるからだと後から知りました。

©Matthew Murphy

ローレンの祖父は健聴者だったそうですが、ろう者として女優の道へ進もうとする彼女の背中を押してくれた最大の理解者だったそうです。
2017年の夏、マサチューセッツ州バークシャーで行われた同作品のトライアウト公演。
本番の30分前にその祖父の死の知らせを受けたにも関わらず、彼女は誰にも告げず気丈に舞台を成功させたのだとか。
祖父に晴れ舞台を見せることこそ叶いませんでしたが、約1年後の今、彼女は見事にその作品でブロードウェイデビューを果たし舞台に立っています。

誰もが息を飲むあのシーン

互いに惹かれ合ったジェームズとサラは、二幕でさらに深い関係を築き上げていきます。
一方、相手に求めることや押し付けることも増え、これまで見えなかった「健聴者とろう者の壁」が見え隠れし始めます。

印象的なシーンがありました。
「I can’t enjoy music, because you can’t enjoy music」とサラに言ったジェームズ。
しかしサラは、ジェームズや私達が如何に思い込みに満ちているかを教えてくれます。
音による振動を感じ、音の雰囲気を体で味わい、その音に合わせて人が踊っているのを見れば自分も踊りたくなる。
明るい音楽か暗い音楽か、耳が聞こえなくても感じられる。
サラは舞台上で「耳が聞こえない=音楽を楽しめない」という方程式を客席のひとりひとりが疑い出すよう導いてくれたのです。

そんな前向きさを持ち合わせながらも、なかなか自分の殻を破ろうとしない臆病な一面も見せるサラ。
ある日そんなふたりのすれ違いは頂点に達し、ジェームズが感情をサラにとめどなくぶつけます。
そこでサラが発した「Speak…Speak…」という言葉、続けてとめどなく溢れでる「声」。
彼女が声を発した瞬間、見ていた全員の心を揺さぶった強い感情と、劇場内に満ち始めた緊張にも似た空気。
その様子を表現する言葉を、私は観劇後しばらく経った今も見つけられずにいます。
実はサラ役のローレンが生まれて初めて声を発したのは、このシーンの稽古中だったのだそうです。

感動するお芝居はたくさん見てきましたが、それらのどれとも違うものすごい体験に、涙を拭うことも忘れて時が止まったようでした。

©Matthew Murphy

Start Listening, Stop Judging

この作品を手がけるのは、なんと日本人。
2013年に大ヒットミュージカル「キンキーブーツ」で日本人初のトニー賞(最優秀作品賞)を受賞した、活躍目覚ましい演劇プロデューサー、川名康浩さんです。

©Shinji Murakami

観劇当日、川名さんにお会いすることができ、この作品にかける想いを伺うことができました。
今の世の中は、誰もがスマートフォンを持ち、SNSも普及し、日進月歩で便利になっています。
しかしデジタル化が進めば進むほど「本当のコミュニケーションとは何か?」という疑問がわいてきます。
コミュニケーションが機械越しになり、一方的になり、人の目を見て心を開いて話すことが少なくなってしまっている。
この状況に警鐘を鳴らし、相手の声に耳を傾けて自分と異なる人を敬う、「Heart to Heart」のコミュニケーションの大切さを描いたのがこの作品なのだそうです。

川名さんをはじめとする制作陣の想いは、作品のスローガン「Start Listening, Stop Judging」に集約されています。

知らぬ間に人は自分の思いを押し付けている時があり、その時私たちの耳はふさがっています。
耳を傾けたら、自分のエゴのままに人をジャッジすることもなくなるでしょう。
そして人をジャッジすることを誰もがやめたとき、この世界からは戦争もなくなっていくのではないでしょうか。
世界中の人びとが観劇に訪れる、世界のエンターテインメントの中心ニューヨークのブロードウェイで
この作品を上演する意図はそこにあるとも、川名さんは語ってくださいました。

サラの感情は体中からほとばしり、劇場にいるすべてのひとがそれを感じ取りました。
声に出す「言葉」だけでなく、目や口の動きを見て、心から出る「言葉」を受け取ること。
まさに「Heart to Heart」の瞬間を劇場中が体感したひとときでした。

ブロードウェイから「心」を世の中に語りかける川名さんのご活躍は、同じ日本人としてとても嬉しく誇らしいものです。

最後に

サラを、とびきり前向きで人間味あふれるローレンが演じたこともこの舞台のカギなのではないでしょうか。
客席にいる私も、サラやジェームズの言葉に心の耳を傾け、心で繋がっていることを体験させてもらいました。

カーテンコールは、華やかなまでのスタンディングオベーション。
両手を挙げて手のひらをひらひらと揺らすのが、拍手を意味する手話なのですが、まるでたくさんの花が揺れるように、会場中に手話の拍手が咲き乱れました。