Asahi Shuzo Co., Ltd.
5 Saint Andrew Rd, Hyde Park, NY 12538
1976年、山口県周東町(現岩国市)生まれ。旭酒造は実家の家業。早稲田大学社会科学部卒業後、家業とは関係のない東京のメーカーに就職。東京の居酒屋で「獺祭」のおいしさに気づき、2006 年、実家に戻る形で旭酒造に入社、常務取締役となる。13 年から取締役副社長として海外マーケティングを担当、主にニューヨークで海外進出の礎を築く。16 年 9月、代表取締役社長に就任、4 代目蔵元となる。2021 年度版「Forbes JAPAN 100」の「今年の顔」の 1 人に選出されるなど社会への影響力のある発信も注目されている。
おいしいお酒をつくるということが
私たちの一番のプライド
主要ブランド「獺祭」をひっさげ、アメリカで日本酒文化を切り拓いてきた旭酒造。
2022年12月にはニューヨーク州ハイドパーク市に酒蔵をオープンし、
北米向けに「獺祭Blue」の生産・販売を開始。
日本酒業界全体の底上げを見据える桜井氏が思い描く今後の展望とは。
ー アメリカでの事業沿革は。
アメリカには2004年に進出し、当初は獺祭を輸出する形でスタートしました。元々獺祭は山口県で全然売れていませんでした。いろいろな地域に出ていって東京で一番最初に注目され、そこでお客様に広まっていくなかで、獺祭というブランドが誕生しました。そういった経緯もあり、獺祭は外に強く出ていこうというブランドになり、東京で上手くいったので次は海外という感じでした。
ー ニューヨークを選んだ理由は。
世界の中心地、文化の発信拠点を考えると、やはりニューヨーク。いろいろな文化が集まって新しいものをつくり、発信している街ですよね。「駐在員や日系企業が多い」「日本食レストランが多い」という意味では西海岸が良いのでしょうが、文化を発信して新しいものをつくっていくという点で、私たちにとってはニューヨークが良かったのです。世界の中心で勝負していくことがすごく大事だと考えました。海外全体で見ても一番最初の進出先がニューヨークです。
文化を発信して新しいものをつくっていくという点で、
私たちにとってはニューヨークが良かったのです。
ー 酒蔵の開設により広がる可能性は。
2つあり、まず1つは製造目線です。水は現地のものを使って、米は日本から輸入するものとアメリカ産の山田錦を使います。つまり、今までの酒づくりとは全く違う状況です。これは大きな挑戦ですし、失敗も成功も含めてノウハウがたくさん積み上がっていくと思います。将来それを日本に持ち帰ることで、日本の酒づくりがより進化すると思います。自分たちが自分たちのライバルをつくり出すことことで切磋琢磨し、かつ情報を共有していく方法を取りますので、ある意味2倍のスピードで進化できると考えています。そこが酒づくりの目線ですごく大切な部分なんです。もう1つは、酒蔵を起点にして食文化を変えていくという点です。日本酒はまだまだ「日本食のお供」です。それをもう少し広げ、新しい食文化を浸
透させていく必要があります。現地に酒蔵があることでもっと身近な存在となり、ニューヨークの地酒として親しみをもってもらえます。これは自分たちだけのことでなく、50年後、100年後の日本酒マーケットのために私たちがチャンスを与えられたのだと捉えています。
ー 酒蔵開設の構想はいつから。
5年前からです。一番最初のきっかけはCulinaryInstituteofAmerica(CIA)からオファーをもらったことでした。CIAとしても日本食が無視できない存在となり、日本食やそのセットとなる日本酒も無視できないと考えたようです。私たちにとっても新しい食文化をつくっていくチャンスになります。「日本酒を現地化し、世界に広げるのは大事なことだから誰かがやらなければ」と思っていた矢先に声がかかったという感じです。アメリカで獺祭を製造してどんどん販売していくというより、根底となる文化から浸透させ、日本酒の業界自体を成長させたいと思っています。
ー 酒蔵の中身については。
約5,000平米の敷地で、機能はほぼ日本と同じです。製造過程に必要な設備は日本から持ってきています。酒づくりの工程はしっかりお見せする予定です。酒づくりにおいて何を大事にして、どのようにつくっているのかを知ってもらいたいです。試飲カウンターも用意します。また、酒蔵の敷地内に桜の木を植えたので、お花見をしながらお酒を楽しむこともできます。酒づくりに集中するので、料理を提供する予定はありません。
ー アメリカ人スタッフに酒づくりを伝承するためには。
日本から杜氏が来て、そこにアメリカ人スタッフも加わります。アメリカできちんと酒づくりをしていかないと、現地に酒蔵を設けるメリットがあると認めてもらえません。日本のスタッフだけでお酒をつくっていても、真の意味で現地化を目指すことができないと考えています。最初は製造するお酒の量に対しては多いくらいの人数を抱え、仕事を教え込みながらやっていくことになるでしょう。
ー 海外展開においても絶対に譲れないプライドは。
おいしいお酒をつくるということが私たちの一番のプライドであり、ブランドの根幹を成すものです。獺祭は日本の文化や気候・風土、もっと言えば山口の気候・風土でできあがったものだと思っています。お米を磨いて中心部の良い部分だけを使ってお酒をつくったり、味の透明感を重視するというのは、他の国の文化ではなかなかないことだと思います。日本的あるいは引き算の美学がこのお酒には活きていますし、そこから始まったものがニューヨークで成長していったとしても、日本を原点としたものだと考えています。最近よく例えるのですが、ここ(取材場所の日本食レストラン:一花)と同じような感じです。ニューヨークには素晴らしい日本食の店が増えていますよね。現地の人に合わせて変わっていく部分もありますが、それは現地でできるなかで最高においしいもの、現地の人に喜んでもらえるものを追求したからこそだと思いますし、日本で受け継がれてきた寿司や和食の文化を継承してニューヨークで成長していったと思っています。そうしてこのような立派なお店が増えてきたのです。そういう存在に私たちもなっていきたいですし、なっていくだろうと思っています。
一花のエグゼクティブシェフ、鈴木氏による料理に舌鼓を打つ
ー 日本酒業界の今後については。
まだまだポテンシャルがあると感じています。日本食の人気が伸びていることに加え、新しい市場ができていく可能性があるからです。ただそのためには、誰かがやらなければいけないという酒蔵の話につながります。未来は明るいのですが、楽に未来に到達できるとも思っていません。日本酒業界の発展にみんなが本気で取り組んでいかなければいけないですし、本気で市場を切り拓くには個々のブランドがやるしかないです。やる気があるところが戦い抜いたその先に明るい未来があると思っています。私がアメリカに来た最初のころは、入国審査でお酒をつくっていると言うと、「酒ってなんだ?」と。その説明から入って「お米でつくったワインのような」という話をしてようやく、「よく分からないけど通っていいよ」という感じでした。しかし最近は、入国審査でその話をすると「あ!酒って聞いたことある、飲んだことあるよ」という人が増えてきたので、市場に一般化してきたと実感しています。
ー アメリカで獺祭をどういう位置づけにしていきたいか。
非日常のもので、すごくおいしいとは知っているし、いつかは飲みたいという憧れのもののような存在を目指していきたいです。まずは飲んでおいしいと思ってもらわないと始まらないのですが、その先は非日常の華やかな喜びに結びつくものとして伝えていきたいですね。
ー ニューヨーク・ヤンキースとのスポンサー契約については。
単純なのですが、ヤンキースは「ザ・ニューヨーク」のような存在ですよね。ニューヨークを象徴するものに獺祭が組み込まれることで新しい何かが生まれるきっかけになると思いますし、広告を目にした人が興味をもって日本酒に触れてみたり、「獺祭Blue」を飲みに酒蔵に行ってみようと思うかもしれません。こういう活動はすごく大事だと思っています。他州のチームではなくてニューヨークを選んだのは、ニューヨークから文化を発信していきたいという思いがあるからです。ちなみにヤンキースタジアムではVIPスペースで飲むことができます。
ー 海外マーケットの開拓から学んだ、営業の極意は。
私自身、営業としては出来が良くなかったと思います(笑)。最初は分からないことが多く現地の業者さんと一緒にお店を回っていくわけですが、これがまた上手くいかず。一日外回りをして「獺祭50(300ml)」が何本か売れる程度で、心が折れてしまったこともあります。やり方を変え、実際に獺祭を扱っているお店で獺祭の愛飲者向けにプロモーションする方向にシフトしたのです。そうしたらそのお客様が、獺祭がおいしいという話を他店にもしてくれるようになりました。味にほれ込んだお客様が自ら営業部長となって広めてくれたことはすごく大きな影響でした。営業の極意は、やっぱりお酒のおいしさを追求したことです。そしてもう1つ、ブランドや品質を守ることに一生懸命になること。獺祭の取り扱いが雑だったり、保存状態が良くない取引先に関しては、取引を止める選択肢もありますし、値引きの話をいただいたときは「申し訳ありませんができません」とお断りしています。ブランドを守ることも営業方針として大事にしてきました。
ー 今後の目標やターゲットは。
自分たちのお酒の9割を海外で販売できたらと思っています。それだけ世界中の市場にポテンシャルがあると思っています。そして海外比率9割のうちの3分の1くらいは北米で占めていく。実際にはそれ以上のポテンシャルがあると思いますし、それくらいのパワーがありますよね。まだまだ私たちがアプローチしていく余地はあると思っています。
ー 読者にメッセージを。
世界の中心地であるニューヨークで闘う飲食店や駐在員のみなさん、夢を持って学びに来たみなさん、それぞれ本当に大変な闘いをしていらっしゃると思います。ただ、私も最初にニューヨークに来たときにいろいろな日本のブランドのロゴを見て、ほっとするし嬉しかったんです。闘って
いるみなさんの姿は誰かが見ているし、励みになるし、勇気を与えています。みなさんががんばってきた道の先で、私たちがニューヨークで酒蔵をつくり、世界に挑戦していくことになったのです。一生懸命のその先に未来がある、ニューヨークで闘うことに意味がある、と思っています。
Interviewer:HisashiAbe
Photographer:MasakiHori
撮影場所提供:一花
2022年9月16日取材
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